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私たちの村長

 中学生時代の伊藤さんは、無口で、ちょっと暗い、地味な中学生だった。集合写真をみてはじめて伊藤さんがいたのかと、クラスメイトたちが気づかせるほど影の薄い存在だった。クラス会などで発言することなどほとんどなかったし、成績だっていつも平均的レベルだった。そんな伊藤さんが東京の大学、しかも国立大学に進学したものだから、同級生たちだれもが、ウソ! マジかよ! と驚きの声をあげた。そして四年後、大学を卒業すると坂北村に帰ってきた。これもまた村の人たちを驚かせた。

 坂北村の農業は出稼ぎで支えられていた。稲刈りが終ると一家の主人は出稼ぎに出る。春の田植えシーズンまでほぼ半年の出稼ぎだった。その出稼ぎで一家の生計と農業が支えられていたのだ。だから村の若者たちは、そんな農業を嫌って大半が村を出ていく。そして二度と戻ってこない。伊藤さんの家も農家だった。どちらかというと弱小農家で、耕作する田畑も広くはない。しかし伊藤さんはその農家を引き継ぐために村に帰ってきたのだった。
伊藤さんはすっかり変貌していた。無口だった少年は雄弁家になっていた。仲間の輪の中に入っていけなかった内気な少年が、どんな人にも気安く言葉をかける行動的な青年になっていた。帰村して一年後には、若い農業者たちを誘って「ハウス栽培研究会」というグループをつくった。「研究会」という名がつけられたが、新しい農業を起こして村を変革していこうとする青年たちの活動だった。伊藤さんは坂北村の若い農業者たちにこう呼びかけたのだ。

──ヤマセに苦しめられる坂北村の農業を救い出す方法がある。ハウス栽培である。ビニールハウスを打ち立てれば、そこであらゆる野菜が栽培できる。トマトもキュウリも小松菜もホウレンソウも水菜もピーマンもブロッコリーもカリフラワーも。野菜だけではない。イチゴもキュウイもマンゴーだって栽培できる。ヤマセなどどこ吹く風だ。四季を通して野菜や果物が栽培できる。われらの村がこのハウス栽培に取り組むとき坂北村の農業は一変する。
こんな熱い呼びかけで設立された「ハウス栽培研究会」の最初のメンバーはたったの七人だった。翌年にはメンバーは二倍になり、三年後には三倍になった。三十近い農家がスクラムを組んで、ハウス栽培農業に乗り出したのだ。坂北村が動きだした。独自の販売ルートを開拓し、消費者宅に送付する直販システムも広げていった。都会の消費者に坂北村の農業を知ってもらおうと「農学校」もつくった。出稼ぎ農業は徐々に追放されていった。農業に新しい光と希望が差し込んできたのだ。

 伊藤さんにはさらに挑戦しなければならないことが二つあった。その一つがプロポーズだった。夏の一週間だけ開校する「坂北村農学校」に、東京の小学校教師をしている若い女性が入学してきたのだ。彼女は翌年もまた農学校に入学すると、ついには農業をしたいと坂北村に移住してきた。伊藤さんはその女性に心が奪われ、彼女を妻にしたいと思った。しかしそのとき求婚者がもう一人いた。その女性はその青年に奪われてしまった。その青年とは私の父だ。

 もう一つの挑戦は、村長選挙に打って出ることだった。彼はその意志を心の底に刻み込んで村に帰ってきたのだ。村長になって坂北村を変えていきたい、坂北村を根本的に変革していくには村長になるべきだ、と。彼の内部ではいつもその挑戦への情熱で燃えていた。一つ目の挑戦は実らなかったが、二つ目の挑戦は見事に射止めた。現職の村長を大きく引き離しての大勝だった。坂北村に若い村長が誕生した。

 村長になった伊藤さんは、さまざまな改革を大きな展望のなかでつぎつぎに実現させていった。ヤマセに苦しめられて貧しかった村は変貌していった。農業と酪農と林業が栄える村になっていく。教育と福祉の村になっていく。そして文化と芸術を愛する人々の住む村になっていった。伊藤さんは、村長であったが、芸術家でもあったのだ。詩を書き、オーボエを吹き、チェロも奏した。賢治が草した「農民芸術論」をこよなく愛した。彼もまた農民には芸術が不可欠だと考えていたのである。芸術を愛するだけではなく、芸術を創造する主体者にならなければならない。

 小学校と中学校に吹奏楽の活動を取り入れたのも伊藤さんだった。その吹奏楽部は年々力をつけて、福島県のコンクールでは毎年に金賞だった。そして東北支部大会に出場し、そこでも金賞に輝いばかりか、とうとう念願だった全国大会にまで駒を進めたのだ。その快挙が成し遂げられると、坂北村の山から切り出された木で組まれたすばらしく音響のよい音楽ホールが設立された。

 そのとき同時に、坂北村出身の建築家が設計した小さな劇場も建てられた。この村に三つの演劇サークルができていて、さかんに演劇活動が行われていたからだった。若者たちを村にひきつけるには、その村に文化や芸術がなければならない。都会の文化や芸術ではなく、その村から誕生していく文化や芸術である。伊藤はこの村から新しい文化や芸術を生み出そうとしたのだ。その村に大量の死の灰が降ってきたのだ。



 


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