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歴史小説「蒼き狼」論争  曽根博義

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『産経新聞』夕刊文化面の匿名欄「散弾」の筆者「ふるふる」に対して大岡昇平は、早速、3囗後の昭和36年1月14日付同紙夕刊同面に反論「『蒼き狼』は象徴か──井上靖氏との論争でふるふる先生に一言」を寄せた。

「公平に見て井上の方が説得力がある」というふるふる先生の意見は、常識と公平さに欠ける。「常識的文学論」で指摘したのはごく簡単なことで、「成吉思汗なんて人が、『狼』になれのカケ声一つで、あの大征服をなしとげたなんてオハナシは、少しヘンじゃないかといったまでだ」といい、井上靖は『蒼き狼』は「作者によって別種に象徴された狼」だというが、いくら外国の話とはいえ、『元朝秘史』はもちろん、狠についての民族学的、動物学的事実を無視しているのは「少しヘン」だということだと述べた。

 これとは別に「読売新聞」1月18日付夕刊には山本健吉「歴史と小説」が載り、その小見出しで大岡昇平・井上靖の論争に対して初めて『蒼き狼』論争―の呼称が用いられた。山本健吉は「大岡氏の鋭い突っこみを、井上氏は低く構えてがっぷり受け止めた形で、近ごろ珍しい本格的な論争であり、近ごろすがすがしい文壇風景である」と、まず論争を歓迎してから、「歴史小説、ないし叙事詩的」ということを中心に意見を述べて、井上靖を擁護する立場を明らかにした。

 成吉思汗をロマンチックに描きすぎているという点では大岡昇平に同意するが、客観的な史実とは異なる「叙事詩的真実」というものがあり得ることは『イリヤス』などを見ればわかる。たとえ「歴史小説の額縁からはみ出していても、現代の文学であれば、それでよいはずだ」。「この小説の現代性は、むしろ現代人にとって不可能な夢を具象化しようとしているところにある」。「精緻な近代小説の方法を避けて取った古風な叙事詩的発想の意味を、そこに考えるべきであろう」というのがその骨子で、『蒼き狼』を批判したのは大岡昇平にも歴史小説についての理想的イメージがあってのことだろうから、「私は大岡氏が、歴史小説を試みることを大いに期待している」と結んだ。

 これに対して大岡昇平は同紙1月24日付夕刊に「『蒼き狼』は叙事詩か─一山本健吉氏の錯覚」と題する反論を寄せ、山本健吉は『蒼き狼』の叙事詩性を誇張することによって作品をゆがめるだけでなく、叙事詩という観念自体もそこなっていると述べ、「イリヤス」も「そこで語られることが真実だと信じられたからこそ、叙事詩的感動が生じた」のであり、「今日の目から見れば奇想天外なことが、昔の作者には真実だった」のだ。しかし現代において「成吉思汗は蒼き狼なり」のごとき観念が信じられようか。また「お前も歴史小説を書いたらどうだ」という仰せは迷惑だ、と述べた。

 大岡昇平の反論が出る前の1月20・21日付『毎日新聞』は学芸欄のトップに「井上靖氏の『蒼き狠』をめぐる論争」と題する記事を上下2回にわたって掲載し、論争の経緯を解説するとともに、平野謙、村松剛、山本健吉、大岡昇平らの意見を紹介して、本格的な歴史文学(論)への期待を寄せていた。

 山本健吉・大岡昇平間の論争は同じ『讀賣新聞』夕刊紙上でもう一往復行われる。山本健吉「再び歴史と小説について──大岡昇平氏に答える」(1月31日)と大岡昇平「国語問題のために──山本氏に、停戦を提唱する」(2月6日)である。山本健吉は大岡昇平の論を「歴史小説は無限に歴史そのものに近づけ」ということだと受けとめた上で、「なるほど歴史小説というワク組みを取った以上、史実に忠実であるに越したことはあるまい。だが、その前に、現代に生きている作者にとって、それがどういう動機をもって書かれたかが問題だ。歴史上の人物や事件を、忠実に書くということが、小説の第一の動機になるはずがない」と主張した。
大岡昇平がこれに承服するはずほないが、「現代かなづかい」反対運動が重要な局面を迎えている今、その点では同志である山本健吉とも井上靖とも分裂している時ではないとして停戦を呼びかけ、叙事詩についての意見の違いを整理するだけに止めて論争を打ち切った。

 井上靖の反論に対する大岡昇平の再反論「成吉思汗の秘密──常識的文学論」を掲載した『群像』3月号が本屋の店頭に出たのは、『読売新聞』夕刊で停戦の呼びかけが行われた翌日の2月7口である。無論、書いたのは、『群像』の方が先だったと思われる。
 大岡昇平はまず井上靖の反論を次の4点に要約する。

A、歴史小説は歴史そのものではないから、歴史を離れてもいいのではないか。
B、『元朝秘史』は史書ではなく、文学書だから、そこにおける「狼」の記述を無視するのは作者の自由である。
C、私はいかなる理由でも歴史を改変していない。
D、大岡は成吉思汗はレアリストだというが、熱情家の一面もあるのではないか。

 まずBについて、大岡昇平は「『元朝秘史』の記述が史実だとは、私はどこにも書いていない。『原文』と書いただけで、それが『古事記』と同じ目的で成立した王家の歴史』と論文の初めの方に書いてある」という。たしかにその通り、史実だとはどこにも書いていない。しかしすでに述べたように、大岡昇平の批判は、『蒼き狼』が『元朝秘史』の記述に忠実でない点を列挙し、だから作者は歴史を改変していると主張するものだった。要するに、『元朝秘史』の記述が史実だとは書いていないけれども、そう書くまでもないほど、『元朝秘史』を史書として信用していたということにほかならない。最初の方に、古事記と同じ目的で成立した王家の歴史」だとちゃんと書いているではないかというのは、明らかに強弁である。というのも、そのくだりで『古事記』を引き合いに出しているのは、『元朝秘史』が『古事記』と同じように「王家の歴史」であることをいうためであって、その記述か必ずしも史実ではないことをいうためではないからである。

 井上靖の反論で『元朝秘史』の記述が必ずしも史実ではないことを教えられて大岡昇平は相当なショックを受けたはずだが、最初に威勢よく攻撃した手前、引っ込みがつかなくなったのではないかと思われる。再反論も、基本的には最初の批判の繰り返しにすぎない。「狼の原理」を『元朝秘史』から導き出すのは不可能なだけでなく、歴史的信憑性にも欠ける。また狼という動物についての扱い方においても、『蒼き狼』は『元朝秘史』の記述をそのまま使ったり、変えたり、無視したりしている。にもかかわらず作者は、「蒼き狼」とは「別種の象徴された狼だといい、蒼くない狼については『元朝秘史』にどのような記述があろうとも大して関心のないことだと述べているのは何ごとか、と非難するのだ。大岡昇平にしてみれば『元朝秘史』を物指しにして批判し出した以上、どうしてもそれを無視するわけにはいかない。

 そこでBやCについては「『元朝秘史』は歴史でないにしても、その中に真実がないとは言えない。成吉思汗が死後昇天したのは偽りにしても、狼についての記述は真実である」といい、Aに対しては「私の言っているのは、……「蒼き狼の原理」が成吉思汗と一致しないということである。この点を離れて、いくら歴史小説論をぶとうと、それは古来幾多の歴史小説論がある、その数だけぶてるのであって、それは成吉思汗が蒼き狼かどうかということとは、なんの関係もないことである」と言い張り、Dに対しては井上靖の方が正しかったことを認めてしまっている。それ以外の大部分は論点から離れたお喋りにすぎない。

 この大岡昇平の再反論を最後に『蒼き狼』論争は終った。井上靖は再び応えることをしなかっただけでなく、以後もこの論争についてはほとんど沈黙を守り通した。それに対して大岡昇平は、このあとも二、三十年間、事あるごとにこの論争について言及し、井上靖を批判しつづけた(『歴史小説の問題』『成城だより』等を参照)。そのためかどうか、今日、この論争に関しては、大岡昇平の批判が正しく、その批判に屈した井上靖は、その後の歴史小説の書き方を大岡昇平の批判を受け入れる方向に変えて、よりすぐれた作品を書いたというのがほぼ通説になっている。しかし、これまで見てきたように、この通説は根本的に改められる必要がある。

 三十年以上にわたってこのような不公平な評価が行われてきたのは、論争後、大岡昇平が何度も論争に触れ、自説を擁護してきたからだけではない。その背景には、戦後のジャーナリズムの拡大と変容のなかで、新聞や週刊誌に連載される大衆的な小説が旧来の文芸雑誌中心のいわゆる純文学を脅かし、すでに戦前から文壇の問題になっていた純文学に対する危機意識をますます深刻化させていたという当時の文学状況があった。そのことは、『蒼き狼』批判から切り出した大岡昇平の「常識的文学論」全体を見ても、同じ昭和三十六年の秋からいわゆる「純文学論争」が起こっている事実を見ても明らかである。『蒼き狼』論争は「純文学論争」のいわば前哨戦であり、その仕掛人になった大岡昇平は「純文学論争」の張本人だったのだ。『蒼き狼』は不幸にもその犠牲に供された作品だったのである。

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特集 歴史小説論争
『蒼き狼』は歴史小説か  大岡昇平
『蒼き狼』は叙事詩か   大岡昇平
自作「蒼き狼」について  井上靖
成吉思汗の秘密        大岡昇平
歴史小説と史実      井上靖
『蒼き狼』の同時代評   曽根博義
『蒼き狼』論争一     曽根博義
『蒼き狼』論争二     曽根博義
花過ぎ 井上靖覚え書   白神喜美子 

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