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かくて、一撃で、元首相は打ち倒された──そこに何があったのか

あんり3


阿部晋三元首相の銃撃事件は、いまだに識者たちの論が新聞や雑誌に掲載されるが、私にはそれらの論がいずれも表層しかとらえていないように思える。すなわちこういった論である。言論を暴力で封殺しようとしたテロリストの蛮行である、個人的な恨みを晴らそうとした短絡的で激情的な暴挙である、世間や社会から脱落した人間の絶望的行為である、他者との友愛を持てない男が走った孤独で寂しいテロリズムである、性愛の自由主義時代から脱落した男が走った悲劇である、政治思想など全くない男が、家庭を破壊した宗教団体に対する復讐の惨劇である等々。

それらの論は一見、多面的であり重層的な論にみえるが、しかしいずれもその銃撃暗殺事件は絶対的悪であり、絶対的犯罪であるとする民主主義という地点にたっての論なのだ。逆の地点、つまり暗殺という地点にたった論は現れてこない。それはこの社会ではタブーなる地点だからなのだろうが、しかしこの銃撃事件をとらえるには、暗殺者の地点にたった論こそ望まれるのではないのだろうか。

選挙とはなんなのか、国会とはいったいどのようなものなのか、皆目無知だった日本に民主主義が上陸してきたのは、明治維新によってだった。日本における民主主義の歴史は二百年にもみたないのである。日本だけではない。この地上にあらわれた民主主義とは数百年の歴史しかもっていない。しかし暗殺は人類が社会を形成したときから生起しているのである。元首相を一撃で射殺した犯行者は、この数千年になんなんとする暗殺の思想を懐胎し、決行していった。

暗殺の思想を懐胎するとはどういうことなのか。今、《草の葉ライブラリー》は、タブーの領域から書かれた三冊の本を相次いで世に送り出す。一冊は高尾五郎著の「最後の授業」のなかに編まれている「日本のテロリスト」である。わずか十七歳の少女が、原発爆発の大災害の悲劇を訴えるために立ち上がった女性候補を一殺して、その身を海に投じる鮮烈なる短編小説である。

二冊目は、一二一九年、三代将軍源実朝が暗殺された、その事件を六百枚の長編小説で掘り込んだ滝沢友矩著「実朝と公暁」である。この事件の謎は深い。滝沢は砂粒ほどの歴史的資料をもとに、実朝を暗殺した公暁という人物に生命を吹き込んで、その暗殺事件の核心に迫っていく。

三冊目は一志開平著「ジュピター」である。村松憲は十七歳の誕生日がくる直前に両親を殺害して自らも果てるという思想を懐胎した若者だった。その若者が監獄のなかで暗殺の思想をさらに熟成させて、この国の総理大臣を狙撃するテロリストとなって監獄の門をでていく物語である。

これまで報道されているところによると、元首相を銃撃した山上徹也の履歴は、《ジュピター》で描かれた暗殺者のように幾重ものねじれた複雑な人生を歩んでいる。父親は彼の幼少のころに自裁している。母は宗教団体に救いもとめその団体に全財産を捧げる。半ば崩壊しているような一家も叔父の経済的援助があって、彼は一流の進学校にはいるが、引きこもりがあり、精神科にも通っている。そこから回復したのか応援団の団員となって仲間を鼓舞し、さらに文芸部にも所属して言葉を創造しようとしている。彼の父親は京都大学を、母親は大阪市立大学を出ているが、彼の履歴には大学はない。海上自衛隊に任官するが、在任中に自殺をはかるが一命をとりとめる。小児がんを発症させ片目を失った兄がいたが、この兄が自殺する。この暗い現実を生きる山上の内部に、おそらく数千年の歴史をもつ暗殺の思想が泉のように湧きたっていったにちがいないのだ。

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