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キャンプファイヤーに第四弾を投じる

「草の葉ライブラリー」は、クラウドファンディングのサイト「キャンプファイヤー」に第三弾を投じた。小さな小舟が大海原に乗り出した。


高尾五郎著  最後の授業  A4版  220ページ    


高尾五郎著  山に登りて告げよ A4版  300ページ
高尾五郎著  実朝と公暁 A4版 300ページ  


誰でも本が作れる
誰でも本が発行できる
誰でも出版社が作れる革命

 毎年おびただしい本が刊行される。それらはすべて採算が取れると踏んで刊行されるのであって、少なくとも数千部、さらに数万部の大台にのせ、あわよくば数十万部を目指し、その究極の目標がベストセラーである。本は売れなければならない。売れる本だけが価値をもたらす。売れる本によって彼らの存在が確立されていくからである。これがこの世界を絶対的に支配している思想でありシステムであり、したがって数百部しか売れない本は価値のない本であり、数十部しか売れない本は紙屑のようものであり、たった数部しか売れない本は鼻くそみたいに本ということになる。

 しかし本というものは、食料品でも、商品でも、製品でもなく、まったく別の価値をもって存在するものであり、たった数十部しか売れなかった本が、数十万部を売った本よりもはるかに高い価値をもっていることなどざらにあり、数百万部のベストセラーなるものの大半が賞味期限がきれたらたちまちごみとなって捨てられるが、たった五部しか売れなかった本が、永遠の生命をたたえて世界を変革していくことがある。

 この視点にたって創刊される草の葉ライブラリーは、たった数部しか売れない本に果敢に取り組み、独自の方式で読書社会に放っていく。荒廃していくばかりの読書社会に新たな生命の樹を打ち立てる本である。閉塞の世界を転覆させんとする力動をもった本である。地下水脈となって永遠に読み継がれていく本である。これら数部しか売れない本を読書社会に送り出していくには、数部しか売れない本を発行していくシステムを確立しなければならないが、これは簡単なことだ。その制作のシステムを旧時代に引き戻せばいいのだ。グーテンベルグが開発した活版印刷が登場する以前の時代の本づくりに。

 出版のシステムを旧時代の手作り工法に
 旧時代の本とは手書きだった。手書きで書かれた紙片を綴じて一冊の書物とした。その書物を人がまた書き写し、その紙片を束ね、表紙をつけて綴じるともう一冊の書物になった。こうして一冊一冊がその書物を所望する人に配布されていった。この手法ならば売れない本を発行するシステムが確立できる。作家たちが膨大な時間とエネルギーを投じて仕上げた作品を、コンピューターに打ち込み、スクリーンに現れる電子文字を編集レイアウトして、プリンターでA四紙の裏面に印字する。それを二つ折して中綴じホチキスで止めると一冊の冊子──ブック──が出来上がる。その工程はすべて手作りである。その一冊一冊が工芸品を作り上げていくかのように、その本を注文した購読者に送付されていく。

大量印刷技術によって、採算をとる経済によって、多層なる販売流通によって、売れる本しか刊行しない、売れる本しか刊行できない現代の出版のシステムに反逆する、古代的な手づくり工法によって、真の価値をもった作品が新たな生命力を吹きこまれて一冊の本となって誕生する。そして二十一世紀の初頭、アメリカに誕生したクラウド・ファンディングによって、その本を真に欲している人に手渡していくのである。

生命の木立となって成長していく草の葉ライブラリー
現在の出版のシステムは、その本を読書社会に投じたらそれで完了である。一度出した本を再編集して投じるなどということはめったに行われない。出版社は絶版の山を築いていくばかりである。大地を豊かにする名作がこうして捨てられていく。

ゴッホの絵がなぜいまなお脈々と生命をたたえているのか。それは繰り返し彼の絵が展示されるからである。なぜモーツアルトの音楽がいまなお人々に愛されるのか、それは繰り返し演奏されるからである。生命力をたたえた本は、繰り返し新しい世代に向けて発行していくべきなのだ。新しい編集がなされ、新しい体裁によって繰り返し刊行されていく。新しい時代の生命をその本に注ぎ込むことによって、その本は時代ともに成長していく。



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