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「草の葉ライブラリー」は、クラウドファンディングのサイト「キャンプファイヤー」に第三弾を…
大日本帝国が瓦解すると石は即時に釈放され、再び新城中学校の教壇に立った。しかし郷里の人々…
1「私は子育てに失敗しました、母親失格なんです」 森尾裕子…
その遠く隔てた距離のために、卒業してからたしか二年目か三年目に一度東京で会ったきりだっ…
私はここ数年、自殺した子供たちの遺書を集めていました。いったい子供たちはどんな言葉をそ…
瀧沢君は遺書を残して死にました。その遣書にでてくるHFlASとは、もうみなさんにはよく…
平島から瀬戸島、千石島、笠戸島と回った南海丸が、樫山の住む姫島を間近にとらえたのは、鹿児島を出港してから二日目の朝十時ごろだった。五月の陽光をうけて白い砂浜がきらきらと輝いていた。緑につつまれた丘陵がゆるい起伏を描いている。おだやかで柔和なたたずまいをした島だった。とうとうきた、これでようやく地獄の苦しみから解放されると思った。しかしそれにしてもなんという遠さなのだろう。まるで地の果てにきたように思えるほどだった。 ポンポンと小気昧よい音をけたてて、一条の白い帯びを引き
樫山英雄の卒業論文は「僻地教育論」だった。僻地社会では学校は攻撃的な役割を演じなければな…