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さよならはまた会うためのおまじない

秋分の日に長島☆自演乙☆雄一郎(以下乙)のエキシビションマッチが大阪で行われた。

この日は丁度、横浜でRISEの大会が行われたりDEEPの試合が行われたりと、格闘技日和でもあった。

如何に緊急事態宣言中であっても、コロナ専用病床が逼迫する中でも、日常を取り戻そうと彼らは奮起する。

とっくに引退した左右田泰臣(乙の右の人物)と較べて乙の両膝には膝当てがしてあった。

最早格闘技が出来ない体なのだろうと推測される。

よくここまで耐えて来たと思うし、自分が気付かぬ振りをしていたのは罪深い。

乙に関するnoteは以下の二つに認めているのでこちらも参照されたし。

いつ頃そうなっていたのかははっきり言って不明である。

K-1が休止してしまった後に負けが込むのが目立つようになったからその辺りなのだろうと思う。

闘い方も変わって来てしまったと思う。

乙が大晦日の奇蹟から総合行こうと言ってたのも恐らくキックをする上で思い通りに行かなくなっていたのではと感じる。

キックよりもMMAの方が選手生命が長くなるように感じるが、乙の考え通りにはいかないのは世の常だとも感じる。

武尊でさえも自分の思い通りにはならないのは前回のnoteにも書いたが、これは我が儘とかそう言うのではなく興行主の都合によって振り回されるというものである。

K-1がなくなってしまったから興行主の都合ではないのだが、乙自身が格闘技の炎を絶やさぬために心血を注いだことは忘れてはならない。

たらればでしかないが、もしも乙が大晦日地上波放送を漕ぎ着ける努力をしなければどうなっていただろうか?

利己的で、自分のことしか考えてない選手であったら日本を見限ってとっくに外国でMMA、UFCを目指していただろう。

その時、日本のキックボクシングやMMAや引いてはプロレス、格闘技全般はどうなっていただろう?

今よりももっと更に荒野どころか砂地になっていたことだろう。

乙がプロレスをし始めたのはプロレスを救うためだった。

ブシロードレスリングから始まって、暫くZERO1で試合をしたことでスポンサーのブシロードが本格的に新日本プロレスに資本投入する切欠を作らせたのである。

その時にDREAMで活躍していた桜庭和志や柴田勝頼の二人を呼んで消えかけていたプロレスの火を点けさせることに成功したのである。

同じような手法で乙はKNOCK OUT旗揚げにも呼ばれるが結局KNOCK OUTはスターを作れずにブシロードが撤退することになってしまった。

とは言っても那須川天心が大きく世に出たのはKNOCK OUTが切欠なのでスターを出さないというのは正しい評価ではないが、個人頼みで限界が早くに来てしまったようである。

個人頼みによる悪弊を誤魔化し続けるやり方は今のK-1がやっているようなことでもあるので、結局K-1も問題の先送りをしているだけである。

武尊も30歳になってしまったのでキックボクサーとしては既にピーク。

怪我も多いしビッグマッチもラストチャンスであろう。

大晦日のビッグマッチをいつも狙おうとするが大体民放第2~3位程度に落ち着いてしまう。

裏番組が怪物だらけで到底太刀打ちできなくて今年の格闘技の地上波生放送もそんなに多くはなかった。

大晦日のガキ使は民放第1位(NHKの紅白が化け物)をぶっちぎりだった筈だがこれはどうもコストが高過ぎて演者達の体力や労力に限界を来すものだろうと推測される。

高齢の役者達を集めて番組を作るのはかなりのリスクと判断されるのだろう。

社会が健全であれば凡ゆることは可能だが、こうした状況だと全てが止まる。

丸で風の谷のナウシカや映画バイオハザードだ。

このような状況であればこそ、動ける若人こそ千載一遇の機会だとも言えるが、後三箇月の間に注目を浴びせる事の出来る人材が集まらないと捲土重来は難しいのだろう。

結局天心にしても武尊にしても今年が最初で最後のチャンスしかないのである。

ただ、ここで終わる訳にはいかない。

命は、魂は引き継いでこそ輝く。

トップ画像は国立新美術館ではあるが、10月に庵野秀明展が開催される。

シン・エヴァンゲリオンを上映してエヴァンゲリオンが終わったがこれが全ての終わりではなくて始まりであることは皆が分かっていること。

ヒカリがアヤナミに言った言葉がある。

『さよならはまた会うためのおまじない』

乙はまた戻って来るだろう。

みんなを救うために。

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