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自作の詩みたいなもの

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物語の書き出しが、飛躍しないまま一端の帰着をみたもの。
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めぐる 春に咲く 嘘吐き の 夢

今日こそ自分の過去の話で人の気を惹こうと目論(もくろ)んでいたのに、結局それができずに、ただ過去の自分を私自身が憐れむだけの、桜咲く春の夜です。 短い短い桜の季節の盛りです。 少し前まで、風の強い日が続いていましたが、ようやく、温かな春の夢の時間がはじまりました。 風の音を聴く夜よりも、不思議と心が騒ぐ、静かで温かな夜です。 こんなに優しい夜でも、悲しくなったり、寂しくなったりするものなのだ。驚きながら途方に暮れています。 これは偏(ひとえ)に、私が嘘吐(つ)きである

救いを求めているの。

 私たちは救いを求めているの。たくさんの誰かの物語の中に。そこにある、本当のことに触れると私たちは、高揚して、生きるということを感じられる。もう、別にそれが自分の生かどうかなんて関係ない。自分達がただの物語の受容体でしかなく、インプットをなぞらえてアウトプットするだけの有機的システムだとしても、それの何が問題なんだろう?私たちは電気の代わりに食べ物からエネルギーを得ているだけ。私たちの体の内部だって、刺激を伝えるのは電気信号なのだ。  どうしてだろう?私たちは消費ばかりしてい

いつか生ゴミになる 

 私は気がついた時から”私”であったのだが、思えば随分不可思議なのりものを動かしてこの世界と接しているものだ。この「からだ」と呼ばれるのりもののことだ。のりもの、という概念を知るより前から”私”はこの身体を動かしているので、この身体がのりものだと気づくのに随分時間がかかってしまった。物心ついた時には、どう動かすかについて考えずとも良くなっていたし、乗り換えたことがなかったので、これは”私”であるとすら思っていた。しかしどうも、私はいつかこの身体を乗り捨てる時が来るのである。と

たった一つの大切なこと

 最後の最後まで嘘を突き通すことなんてできないのさ。  最後の最後まで信じようとする人を騙しおおせることはできない。何かが違うと、すぐにばれてしまう。  最後の最後まで信じきってくれる人に嘘をつく必要があるだろうか。  最後の最後までは信じられない人のために使う労力なんて、本当に必要だろうか?  嘘をつくために必要なことを話しているのではないよ。  いつか出会いたかった本当のことに出会う力について話している。  それだけが、何一つ確かなもののないこの世界でそれでも君が生きてい

僕たちは永遠を生きられない。という事実に

僕たちは永遠を生きられない。それなのに、どうしてだか僕たちは、永遠、というものについて考えてしまう。僕たちには到底、感じることのできない長い長い時の流れを、なぜだか物心ついて、永遠というものを知ってから若ければ若い時ほど考えてしまうのさ。僕たちは一生知る由のないものを、愛しているのかもしれない。憧れているのかもしれない。知りたいのかもしれない。本当のところは、よく分からないけど。 それはきっと「永遠」という言葉が存在しているせいでもある。そして「永遠」という言葉のせいで僕たち

生きる

 誰に呼ばれるでもなく、男女のセックスで泣きながらこの世界に引きずり出されてしまう私たちがこの世界に求めるものは何だろう。それは幸せじゃないだろうか。私たちは結局幸せというものをこの身で感じてみたくて生きている。幸か不幸か持ってしまった肉体でしか感じられないことがある。それが精神的なことだとしても、精神は脳の伝達物質で成り立っていると、精神病と薬の関係が知らせている。  私たちは幸せになるために生きている。それを忘れてはいけない。わざわざこうやって書いておくのは、もちろん私た