生きる

 誰に呼ばれるでもなく、男女のセックスで泣きながらこの世界に引きずり出されてしまう私たちがこの世界に求めるものは何だろう。それは幸せじゃないだろうか。私たちは結局幸せというものをこの身で感じてみたくて生きている。幸か不幸か持ってしまった肉体でしか感じられないことがある。それが精神的なことだとしても、精神は脳の伝達物質で成り立っていると、精神病と薬の関係が知らせている。
 私たちは幸せになるために生きている。それを忘れてはいけない。わざわざこうやって書いておくのは、もちろん私たちが忘れる生き物だからだ。
 私たちは幸せがどんなものかも忘れてすぐに分からなくなり、人生に意味を求めたり、人の不幸と比べて幸せを感じようとしたり、ついには幸せを受け取る可能性を閉じようとすることすらある。誰かの思惑によって作られた時代に翻弄されるし、自然の身震い一つで肉体は奪われるし、悪によって大切なものが失われる。多くの人が幸せについて語っているのに、なぜかそれが自分の答えにはならない。
 それでも幸せになりたいはずだ。幸せになりたいと言ってほしい。それ以外の目的で命を燃やすなんて悲しすぎる。誰一人として同じじゃない道のりは幸せに続くものであってほしい。
 どうして太陽は燃えているんだろう。抱えて歩きたいのに自分が燃えてしまう。投げ出して逃げたくなる。照らされている部分は発光するほど光り、反対側は真っ暗になる。
 その全てを見ていてほしい。燃えるところを、冷え冷えとした影が溶けていくところを。私たちはその全てを見せつけるために生きている。逃げてもそこへ帰ってくること。「私」以外の全てのものに幸せが何か見せつけるために。
 私を見ていてほしい。少なくとも今私は、幸せを目指している。その道のりも、どこへ行くのかも分からない。それでも目指している。ただ幸せになるためだけでなく目指している。
 今まで視点は一つだった。でも今私は体を抜けて飛び上がり、はるか頭上から見下ろして自分が向かう方とは反対側の影までが見えている。光を目指す私の背中に張り付いた暗闇と照らされている私の顔。私はこれからどんな表情で世界を見て、どこへ行き、どこから光が差し、影がどんなに揺れるのか。自分を抜け出して苦しみから逃れるためだった方法を、今度はもっと世界を、今をよく見るために使う。私が幸せになるために、私が幸せになるところ見せつけるために使う。
 全てのものが幸せになるわけではない。それは当たり前のことではないと、「いつか」全てのものが幸せになる時が来るのだと、それこそが当たり前なのだと証明するために生きている。そのために私たちは幸せになるために生きるのだと証明する。自分のためだけでなく幸せになりたい、という気持ちを証明するために幸せを目指す。幸せになりたい。幸せになりたいと言ってくれ。誰もが幸せになりたいと高らかに謳えばそれは大きな声になり、やがて大きな願いになり、しかしその中に確かに、自分の声は溶けているのだと分かる。自分が喉を震わせているのが分かる。体が震えているのが分かる。その力を証明するために、それが自分を幸せにする力であることを証明するために、生きる。

ーKing Gnu 「boy」を聴きながら

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