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『○○は〜ない』系のタイトルに思うこと。

ラノベやアニメ、最近はドラマなどでも上遠野浩平著『ブギーポップは笑わない』の表題をオシャレだと思ってパクっている作品がある。タイトルだけでもかっこいいものにしたいという姿勢自体に対して思うことはないのだが、表題が内容を表していない作品が多いように思う。

『ブギーポップは笑わない』において、ブギーポップは合理的に表出する機能であると描かれ、合理的であること=笑わないという意味を表題に隠している。

20世紀フランスの哲学者ベルクソンの『笑い』では、人間特有の笑うという行為はおかしみ(=合理的でない)の構造によるものであり、著作内においてその構造の分析を行っている。笑いとは合理的でないから起こるのであり、ブギーポップは笑わないとは、ブギーポップは合理的であるとの意味であり、あるいは、合理的であるが故に生じる物語上の展開や軋轢を示唆させる効果があると言えるだろう。

表題は作品の内容を表しているから表題なのであって、オシャレな雰囲気であればそれでいいとするパクリのあり方は、かえってその作品が中身を伴わない伽藍堂であることを自ら暴くことになってしまう。

パクリやオマージュだからこそ、その意味を考えることがより一層求められるのである。


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