死ぬまで彼を愛してる♡

 先日、今年入社した後輩と昼食をとる機会があった。彼女は、所謂「陽の人」であった。有名大学のインカレに所属し、週に2回ほど飲み会に参加し、持ち物のほとんどは贈物。好きな芸能人は、バックナンバー。大学で無駄に単位を取りまくり、空き時間に深夜バイトと同人誌作成に取り組み、自分たちの誕生日は祝わないのに存在しない推しの誕生日や記念日は盛大に祝う環境で生きてきた「陰の人」である私とは住む世界が違っていた。
 どういう経緯だったか忘れたが、埋葬の話題になった。十中八九、話すことが上手ではない私のせいだとは思うけど。
 彼女は、「棺桶に入れられたあと、火葬される前に目が覚めてしまったらどうしようと思ってしまうから、脱出スイッチを入れておいてほしい」と、少しずれたかわいらしいことを云った。「アメリカへ行けば土葬ができるよ」と教えてあげたら、「どうして、そんなに詳しいのですか?」と驚かれた。
 どうして? 自然とだよ、と思ったが、よくよく自分の行為を振り返ったら、なんとなくルーツがわかった。
「私、小説や漫画が好きじゃない。それで好きなキャラクターに関しては年をとって死んだあと周りがどうなるかというところまで考えてしまうから自然と詳しくなったのかも」
 後輩の彼女は絶句したのちに、「死なない好きな人を殺すんですか?」とびっくりした顔で笑った。私は、彼女のリアクションを見て悟った。なるほど、これは彼女たちの「普通」とはあまりにもかけ離れた行為だったのかも、と。そして、たしかに彼女の言う通り、存在しないから死ぬこともないキャラクターの死ぬところを想像するなんて狂人のそれであるのかもしれない、とはじめて思った。

 でも、たぶん私に限らずオタクってそういうところがある。だから、「死ネタ」というネタがこれほどまで溢れているのだろう。お涙頂戴でも、感動するストーリーが作れるからでもなく、純粋に好きになった人が、死んでしまうその時までをただ見守りたいのだ。その生きざまを見届けたのちに、「やっぱり好き」とその人生を肯定したい。そういう生き物なのかもしれない。
 なんて業が深い生き物なのだろうか。私のその欲望のせいで、シュレーディンガーの猫である推しの未来にことごとく仏花を添えてきてしまった。歴代の推したち全員分の人生を夢想してきたので、私は二十人近く殺している殺人鬼だ。きっと、死んだら地獄に落とされるのだろう。
 そんなことを思いつつ、私は今日も推しの人生のままならなさにケチをつけ、「好きだ」と叫んだ。

 

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