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みじかい小説#132『孔雀』

 日本における孔雀の歴史は古い。

 なんでも、6世紀に新羅の王から献上されたのだとか。

 蛇を食べることから、ヒンドゥー教では女性神とされ、仏教ではそれが取り入れられ「孔雀明王」となり、またキリスト教のイコンなどにも描かれ、イスラム教の美術にも用いられているらしい。

 そう聞くと、がぜん興味がわいてきて、さっそくネットで調べてみたところ、なるほど見るも鮮やかな鳥が、長い飾り羽を優雅に広げているのを目にすることができる。首から頭にかけては抜けるような鮮やかな青、胴体の上にかぶさる羽は薄茶と黒のまだら模様で、首元のくびれから背後には1mを超える飾り羽が堂々としだれている。飾り羽をよく見ると、白い細長い筋のようなもから鮮やかな緑色の房が伸びており、その上に白字に青を中央に置いた、目玉のような飾りが等間隔に並んでいる。頭部に目を転じてみると、頭頂からは、こちらも白い筋が数本伸び、その先に青い房をたたえている。これは小さなモヒカンのようにも、冠のようにも見える。目の周りには首から伸びる青地の上に白と黒のアイラインがばっちり引かれ、目元をきりりと浮かび上がらせている。

 求愛に際し、オスの孔雀はその飾り羽を、後方に大きく広げる。みずからの体をすっぽりと背後から覆うような飾り羽は、さながら後光のようである。

 一方、メスの方はというと、こちらはめっぽう、地味である。首元にわずかに緑色の発色は見られるが、全体としては茶色い羽に覆われている。

 そんな孔雀のオスとメスの求愛を動画で観察していると、なんとも言えない気分になってくる。孔雀は一夫多妻制なのだそうだが、オスは複数のメスに囲まれながら、必死に各メスにアピールをする。じりじりとメスとの距離を縮めながら、後方に自分とメスを覆わんばかりの飾り羽を広げ、それを小刻みに震わせる。カシャカシャという子気味よい音が、あたりに響く。果たしてその音はメスに届いているのだろうか。動画の中では、あえなくメスに退散されていたが。

 話題を日本に戻すと、江戸時代の日本には、「孔雀茶屋くじゃくちゃや」なるものがあったらしい。なんでも、檻の中に孔雀を入れて鑑賞用とし、雨天でも楽しめる茶屋として人気を博したらしい。江戸時代末期まで続いたが、明治時代に入り「動物園」にその地位を取って変わられている。江戸の庶民が孔雀を見ながらお茶をすすっていたとは、孔雀が意外にも身近な鳥であったことに驚く。

 実際に孔雀を見るのはいつのことになるのかは分からないが、今度出会った時には、今回のことを思い出しながらじっくりと観察してみようと思う。

 どうでもいいが、孔雀が食べるという、ほとんどの宗教で悪として描かれる蛇という存在は、まったく気の毒なことだと思う。日本には蛇を神として崇める信仰があるが、それも手伝ってか、はたまたまったく関係ないかもしれないが、単純に、蛇も孔雀も動物として同等に好きな自分がいる。

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