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みじかい小説#129『とんぼ』

「それではこれからテストを返します」
 担任の生田いくた先生は、そう声を張り上げると、出席番号の一番から、順に名前を呼んで行く。
 名前を呼ばれた生徒は教卓の前まで進み出て、両手で採点済みの答案用紙を受け取ってゆく。

浅野浩二あさのこうじ
 コウジも他の生徒と同様に、答案用紙を受け取りに、教卓の前へ進み出る。
「浅野さん、今回は頑張ったね」
 生田先生はそう言うと、コウジに両手で答案用紙を手渡した。

 席に戻って、二つ折りにしてある答案用紙をそうっと開いてみると、なんと点数は96点だった。
 科目は国語。
 コウジ、過去最高得点である。

「へえ、浅野君、やるじゃん」
 隣の席の高橋かなえが言う。
「勝手に見ないでもらえる。そういう高橋さんは何点だったの」
 コウジは照れ笑いをしつつ、高橋さんの答案用紙を見せてもらう。

 そこには、100の文字があった。

「え、100点ってすごいじゃん」
 コウジは思わず高橋さんの目をまじまじと見た。
 彼女は満面の笑みをこちらに向けている。
「まあね、国語、得意だし」
「へえ…」
「浅野君も惜しかったじゃん。どこ間違えたの?」
 言われてコウジは自分の答案用紙を広げてみせる。
「ここ。漢字の完璧の「璧」の字、ミスった」
「あーなるほどね、イージーミスだね」
「そう、イージーミス」
 コウジは高橋さんと、二人してにやりと笑う。

「浅野」
 休憩時間に高橋さんと弁当を食べようと机を移動していると、隣のクラスの大沢あきらがやってきた。
 いつもこの3人で弁当を食べるのだ。
「浅野、期末、どうだった」
 弁当を広げながら、大沢がさっそく口を開く。
「国語で96、数学は81、他はまだ」
「私は国語で100、数学で78」
「へえ、二人ともやるじゃん、進路同じだっけ」
「そう、ヨココク」
「いいなあ二人とも頭よくて」
 大沢はウインナーをほおばりながら口をとがらせる。
「大沢は地元残るんだっけ」
「そ。うちビンボーだから大学行けないって。しゃーなしやね」
「ふうん」
 しばしの沈黙が、その場を支配する。

「で、どうすんの」
 コウジが思わず口を開く。
「バイトしながら夜間に通って資格でも取ろうかなって」
「ふうん」
 コウジも高橋さんも、黙って弁当を口に入れる。
 3人が3人とも、なんだかふわふわした気分を味わっていた。

「なあ、今日、うちに来て宿題一緒にしない」
 コウジの提案に、二人は二つ返事でオーケーを出した。

 夕方、夕日が照らす土手の上に、3人分の長い影が伸びていた。
 何をしゃべったのか、今ではもう覚えていないが、たしか高橋さんが「あ、とんぼ」と言ったのが印象に残っている。
 その声に導かれるようにすぐそばの上空に目をやると、なるほど、一匹のとんぼが小刻みに揺れながら羽ばたいていた。

 今、コウジは関東のある地方で、小学校の先生をしている。
 高橋さんとは大学までつきあっていたが円満に別れ、その後、彼女は結婚し地方で生活していると聞いている。
 大沢は地元で介護の仕事をしているという。

「それでは、これからテストを返します」
 途端に、教室全体からブーイングがおこる。
「しずかに。はい、じゃあ出席番号一番、――」

 季節は初夏。
 ふと見ると、窓の外に、一匹のとんぼが泳いでいる。

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