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みじかい小説#198『ふたり』

 空はうすい青。
 一時間前まで輝いていた白い月は、探さなければ見つからないくらい、その存在感を消している。
 足元から朝日がたちのぼる。
 東の空から差し込む陽の光が、一晩躍りあかした雑居ビルのあらや恥じらいを、容赦なく浮かび上がらせる。
 路地裏にはひからびた下呂と煙草の吸殻、その上を慣れたふうのゴミ収集員の靴が、無遠慮に通過してゆく。

「あのさあ、いい加減あきらめたら」
 指に挟んた煙草を上下させながら、アキが言う。
 毛先をピンクに染めた金髪は、おそらく二日は洗われていない。
 ニコチンで黄ばんだ前歯をぎらつかせながら、アキは続ける。
「あたしだってこんなことは言いたくないけどさ、でもさ、あんたのために言ってんの。あいつはやめたほうがいいって。これまじで」
 乱暴に言い放つようなアキの言いぐさは、昔からだ。
 手すりにもたれたまま遠くを眺め煙草を吸っていたユウカは、アキに振り返ると短くこう言った。
「いいの、あたしの勝手でしょ」
 その言葉はどこか遠慮がちで、語気がない。

 ユウカがレンと知り合ったのは、ユウカが勤めるカラオケ店でのことだった。
 いつものようにユウカが受付に立っていると、友達数名と肩を抱き合いながらレンが現れた。みな適度に酔っており、その場の勢いで、何人かがノリでユウカをナンパした。
 職業柄ナンパに慣れていたユウカは軽くいなしてその場をやりすごしたが、レンだけはその後も足しげくカラオケ店に通い、そのたびにユウカを口説いた。
 一か月後、二人はなし崩し的にセックスし、そのままつきあうことになった。

 レンの職業はホストだった。
 実家は北海道の片田舎で、高校卒業とともにこの地にやってきたという。
「ホスト、この先も続けんの」
 いつだったか、セックスが終わったあと、二人で煙草をふかしながら、ユウカはレンに聞いたことがある。
「知らね」
 レンは短くそう答えた。

 それから一年が経った。
 この頃、レンはホストとして名をあげていた。
 仕事だと分かってはいたものの、毎晩のように客と出かけてゆくレンを、ユウカはもはや黙って見送ることは出来なくなっていた。
 カラオケ店で稼ぐ金は、全部自分とレンの為に消えていった。
 カラオケ店で地味に稼ぐユウカとは違って、レンは毎晩のように大金を動かす。
 その差がつらかった。

「あたし、キャバ嬢になるから」
 ある日ユウカはレンに言った。
「ふうん」
 レンは短くそう言った。
 同じくカラオケ店でバイトをしていた友人のアキは、ユウカの選択に反対したが、ユウカは聞く耳を持たなかった。

 キャバ嬢は思った以上に簡単だった。
 女に飢えた客を、ただ席に座ってあしらえばよかった。
 割り切ってしまえば簡単だった。
 あたし、才能があるかも。
 ユウカは思った。
 レンのためになら、頑張れる。
 ユウカは精力的に働いた。

 さらに一年が経つころ、ユウカはレンの客として、ホストに通うようになっていた。
 キャバ嬢として働いたあと、ユウカは毎晩のようにレンの店に出向き、レンを指名し、高級ワインを二人で飲んだ。
 他にもレンを指名する女はいた。
 ユウカは彼女たちと毎晩のように競った。
 店内ではあちらこちらで歓声があがり、毎晩のように激しい火花が散った。
 マンションに帰ると、二人は毎晩のように激しいセックスをした。
 そんな二人を、朝の光は断罪するかのように容赦なく照らしたが、二人は知らぬふりをして部屋に厚めのブラインドをとりつけ、それを遮り快楽におぼれた。
 二人はいまや、無敵であった。

 三年が経ったある日のこと、ユウカは下半身に違和感を覚える。
 生理が、こない――。
 きちんとピルを飲んでいたのに、まさか。
 ユウカは焦り、産婦人科の門をくぐった。
「おめでとうございます、妊娠されてますね」
 医者はユウカの気持ちなど知る由もなく、こともなげにそう言い放った。
 それを聞いた瞬間、ユウカの心に怒りの火がともった。
 は?
 妊娠?
 ユウカは頭の中が真っ白になった。
 ダメじゃん。
 子供なんていらないんですけど。
 妊娠とかダサいんですけど。
 だいいち、レンとセックスできないじゃん。
 ユウカは思った。
 やば。
 とりあえず、病院を出てすぐ、落ち着くために路地裏に入って煙草を一本吸った。
 レンには言えねー。
 思わず声に出していた。
 しゃーなし。
 おろそ。
 お金ないけど。
 この日、雑居ビルの合間のこの狭い路地裏でくだされたユウカの小さな決心が、一週間後、ひとつの命を絶つことになる。

 ある日、ユウカはアキをファミレスに呼び出した。
「ぜったい誰にも言わないって約束して」
 そう前置きして、ユウカは中絶したことを親友のアキに告白した。
「え、まじ、まじで言ってんの、やばくね」
 ユウカの話を聞いている間、アキはなんどもそう言った。
「まじで。やばいっしょ」
 ユウカはそう言うと、「まじかんべん」と言い、煙草に火をつけた。
 その前を、店の店員がトレイにナポリタンをのせて通り過ぎていった。

 それから一年後、ユウカはレンと別れた。
「ちょっと聞いてよレンと別れたんだけど笑う話きいて」
 ユウカはアキを再びあの日と同じファミレスに呼び出した。
 それから一時間、ユウカはアキにことの顛末を話して聞かせた。
 レンが常連客複数名とセックスしていたこと、そのうちの一人からクスリをもらっていたこと、それが店にばれてクビになったこと、ユウカに泣きついてきたこと、ユウカがレンのために借金をしたこと、キャバ嬢をしながら借金を返済したこと、それを期にレンときれいさっぱり別れたこと。
 ユウカが話すあいだ、アキは「え、まじで」を繰り返す。
 二人が座るテーブルの上には、いつの間にか、煙草の吸殻の山ができていた。


 


  


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