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よみびとしらず #03 聖子 終章 聖子

 犬千代が姿を消した。

 聖子が気づいた時には、走っている足音が一つになっていたのだった。
「そんな」
 聖子には信じられなかった。
「なぜ」
 聖子は腹が立ってきた。
 目からとめどなく涙を流しながら、腹の底が煮えくり返っていた。
 なぜこうなるのだ。
 半月前は違った。
 みな希望にあふれ、前途を楽観し、互いに肩を叩き合っていたではないか。
 どこで調子がくるってしまったのだろう。
 聖子の頭の中で、どろりとした鈍い液体のようなものと一緒に同じ言葉が延々とぐるぐるまわっていた。
 それでも聖子は走った。
 願良寺へ、伝えねば。
 私が、伝えねば。
 聖子は走った。


「それへ行くは聖子か」
 そんな聖子を呼び止めた声があった。
「誰じゃ」
 聖子は歩をゆるめ、周囲を警戒する。
「私だよ、奏」
「なんと。奏様。なぜこんな所へ」
 聖子は妙蓮寺から願良寺へと走っていた。
 妙蓮寺は都の南西、願良寺は都の東に位置している。
 聖子はいま、都のちょうど南を、東へ向かい走っているところであった。
 聖子の問いに、奏が宙から姿を現した。
 もう首元まで消えかかっている。
 聖子は知らないが、奏は百鬼夜行にくっついて人界まで来たのであった。
「聖子こそ、なぜこんな所を走っているの」
「妙蓮寺が敵の手に落ちましてございます。それを願良寺にいる夏宮様へ伝えに行くところでございますれば」
「なるほどね。私はもうこの有様で力が出せないから、みなの邪魔にならないよう離れているんだよ」
「そうでございましたか」
 思わぬところで思わぬ顔と出会った聖子は、つい先ほどまでぐるぐると悩んでいたのが嘘のように、明るい笑顔を見せた。
 事実、奏との会話で聖子の胸には健やかな風が通ったようであった。
 ふと、そんな聖子の脳裏にある考えが浮かんだ。

 このまま奏様とどこか遠くへ逃げてしまえたら。
 それこそ、姿を消した犬千代のように。

 聖子は自分の思惑に驚いた。
 そんなことを考えてしまうほど今の己は弱っているのかと恥ずかしくなった。
 しかし、よいではないかという心持も、一方ではあるのであった。
 
 聖子の足が、完全に止まった。

 急に足を止めた聖子を不思議に思い、奏は振り返った。
「どうしたの、聖子」
 聖子は、自分がどんな顔をしているのか知らなかった。
「いえ、別に」
 奏には、聖子が涙しながら賢明に笑顔を作っているふうに見えた。
「どうしたの、聖子」
 奏は、こんどは優しい調子で尋ねた。
 聖子は言葉に詰まった。
 奏様にすべてを打ち明けてしまえたら。
 聖子の口が少し開いた。
 その時である。
 聖子の胸元から、声がした。
「あちらはどうなっておる」
 『聞耳』による八郎の声であった。
 
 逃げよう。
 聖子は奏の手をとり、人気のない方向へと歩を進めた。
 そうだ、逃げてしまおう。
 このまま。
 遠くへ。
 聖子は南へと、より都から遠く離れる方角へと、向きを変えた。
 奏様と遠くへ――。
 聖子は奏と手をつなぎ、振り向きもせずひたすら歩を進める。
「聖子は逃げるの」
 うしろをついてくる奏が頓着なく尋ねる。
「いっしょに、行こうか」
 聖子は振り向きもせず、ただ泣きながら力なく笑った。

 都の南の辻に地蔵があった。
 ちょうどその前を通りがかった時であった。
 聖子の胸元から、今度は大きな悲鳴が聞こえた。
 聖子と奏は思わず歩を止めた。
 ふたりとも耳を澄ませる。
 幸い通りには人っ子ひとりいない
 しばらく耳をそばだてていると、再び胸元から大声で悲鳴が聞こえた。
 今度ははっきりと聞こえた。
「八郎」
 二人は叫んだ。
 聖子は急いで胸元から形代を取り出した。
 もう悲鳴は聞こえない。

 私は、何を――。

 聖子は思った。
 私は何を考えていたのだろう。
 
 聖子はきびすを返した。
 奏とつないでいた手が離された。
「聖子は、行くの」
「はい。参ります」
 聖子は走りだした。
 奏はどんどん小さくなっていったが、聖子は振り向きもせず、走った。


 聖子は願良寺の門前に到着した。
 脇目もふらず長い石段をひといきに駆け上がる。
 境内に飛び出ると、赤い彼岸花が目に入った。
 それから小坊主等の遺体も目に入った。
 聖子は霊力のたちのぼる講堂を見つけ、一目散に目指した。
 講堂が近づくにつれ、坊主が立っているのが目に入って来る。
 おそらくは敵。
 聖子はそう判じ、講堂の床下に潜り込んだ。
 そうして夜が完全にふけるのを四半時ほど待ち、講堂の中へ忍び入った。
 講堂の中は坊主等であふれていた。
 しまった、と聖子は思った。
 こちらも、もう敵の手に落ちていたのか――。
 そう思い反転した時である。
「聖子、聖子ではないか」
 坊主等がざわめくなか、そう呼ぶ声があった。
 聖子は耳をすませる。
「聖子、こちらじゃ」
 講堂の中は松明があかあかと燃えており、ときおり松の木のはじる音が響く。
 聖子は声のする方へ、身を低くして進んだ。
 すると、坊主等が囲む角に、ひとつの結界が張られているのが目に飛び込んできた。
 結界の中には、夏宮がいた。
 夏宮が仰向けになって、手を胸の前で組み、何やら呪を唱えている。
 聖子は坊主等の目を盗んで、その中に滑り込んだ。
「や、聖子か」
 夏宮が呪を中断し呼ぶ。
「夏宮様」
 聖子が駆け寄る。
「聖子」
 今度は八郎の声が聞こえた。
「八郎」
 奥をのぞくと八郎もまた仰向けに寝て印を組んでいた。
 夏宮と八郎は、最後の力を振り絞り、坊主等に押されるなか結界をとどめているのであった。
「聖子」
 夏宮が言った。
「奴は、化物だ」
 聖子はこくりと頷いた。
 聖子には見えなかったが、頼明は百鬼夜行を蹴散らしていたのだった。
 聖子は、ここで死ぬのかと思った。
「みなと一緒なら怖くないかもしれぬな」
 聖子は力なく笑った。
 そんな聖子の耳に、八郎の声が聞こえた。
「馬鹿を言うな。最後の一押しじゃ。頼明めを再び妖界へ押しやって見せようぞ」
 聖子は笑った。
「そうじゃな、最後の一押し、あいわかった、物の怪どもを集めよう」
 聖子は己の龍笛を取り出した。
 そうして一言、こう唱えた。
「『百鬼夜行』」

 秋の空に、聖子の龍笛の音が響き渡った。
 聖子に呼ばれ、妖界、そして人界に散らばった物の怪が一同に集まり塊をなして渦巻いてゆく。
 講堂の屋根が無残にもはがれ飛んでいった。
 笛の音に呼応するように、あたりに物の怪達の雄たけびが響き渡った。


 屋根の飛んだ講堂の空に、頼明の姿があった。

 頼明と、聖子の視線がかち合う。

「頼明、覚悟」
 聖子は、より一層の霊力を龍笛にこめた。
 百鬼夜行が大きくうねりながら頼明に向かってゆく。

「『おおん』」
 百鬼夜行に呑まれる直前、頼明が唱えた。
 すると頼明の周囲に分厚い結界が張られた。
 百鬼夜行が結界にぶつかり、先頭から雲散霧消してゆく。
 空には満月がぽっかりと浮かんでいる。

 龍笛を奏でる聖子の足元で、夏宮が動いた。
「『おおん』」
 夏宮がそう叫び唱えると、散り散りになっていた百鬼夜行が再び塊を成していった。
 夏宮が唱えた術は、術者の術を支援するものであった。
 最後の力を絞り出し、夏宮はその場に倒れた。
 隣に仰向けになり結界を展開していた八郎が、すぐさま起き上がり夏宮をうかがう。
「夏宮様」
 八郎の呼び声むなしく、夏宮は既にこと切れていた。

 聖子は背中で夏宮の最期の叫びを聞いた。
 宙では頼明が結界を張り、聖子の繰り出した百鬼夜行と互角にやりあっている。
 あと一押しが、足りない――。
 聖子は今一度と念じ、己の龍笛に霊力を吹き込んだ。
 
 その時である。
 聖子の奏でる龍笛に、新たな音が重なった。

 空耳ではない。
 確かに誰かが聖子とともに龍笛を吹いている。

 誰じゃ――。
 聖子は龍笛を鳴らしながらあたりを見回した。
 音は四方から聖子を包むように聞こえる。
 と、すぐ目の前の中空に、奏の姿を見つけた。
 奏は聖子に向かい片目を閉じてみせた。
 奏様。
 聖子も同じように片目を閉じて合図を送る。

 聖子は知らないが、かつての対戦で、奏はその龍笛で大活躍した経歴を持つ。
 奏の威力は絶大であった。
 拮抗していた頼明と百鬼夜行であったが、奏の後押しを受けて、百鬼夜行が徐々に結界をやぶっていったのである。
 奏はかなでつづけた。
 最後の力を振り絞って。
 首元まで透けていた奏であったが、龍笛を奏でている間にもその範囲は顔にまで及んでいた。
 私が消えるのが早いか、頼明を妖界へ押し込むのが早いか。
 奏の覚悟は、聖子にも伝わっていた。

 奏様、もうおやめください。
 聖子は、そう念じ奏に目をやった。
 しかし奏は龍笛から口を離すことはなかった。

 百鬼夜行のうねりに押され、見る間に頼明は裏手の『入り口』に追いやられていく。
 あと、ひといき――。

 聖子は渾身のひといきに霊力をのせ龍笛にこめた。

「ちいっ」
 最後に聞こえた頼明の声は、存外あっけないものであった。
 その言葉を最後に、頼明は百鬼夜行と共に妖界へと消えた。
 妖界では物の怪の力は無尽蔵である。
 妖界へ追いやられた頼明の行末は、推して知るべしであった。

「やった」
 聖子は汗だくの顔のまま振り向き、奏に目をやった。
 しかしそこに奏の姿はなく、奏の着ていた衣服が風に舞って飛ばされていくのが目に入っただけであった。
「八郎」
 続いて八郎を振り返った聖子であったが、八郎の返事はなかった。
 八郎は夏宮の隣で、静かに息絶えていた。

 聖子の周囲には、行き場をなくした坊主等がただ残されているのみであった。

 聖子は龍笛をおろすと、ひとり目をつむり呼吸を整えた。
 それから空に浮かぶまん丸を見上げて、ほっとするようにつぶやいた。
「終わった――」


 その満月の夜以来、都に流布していた「都が転覆する夢を見る」という噂は聞こえなくなった。
 残された坊主達は散り散りになり、あるものは山へこもり、またあるものは都を跋扈ばっこした。百年後に様々な新興宗教がおこってくるのは、彼等のはたらきによるものである。

 聖子は間をおかずに身ごもっていることが明らかとなり、ひとり都を出ることに決めた。
 一月後の満月の日、聖子は旅装し屋敷をあとにした。
 都を南へくだると、地蔵の並ぶ辻に出た。
 そこで聖子は一度、都の方を振り返り、丁寧に手を合わせた。
 その後の彼女の行方を知る者はいない。

 数か月後、「大和の古都に、鬼を生んだ女子がいる」という噂が京をにぎわせることになるが、真相を知る者は誰一人いなかった。

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