みじかい小説 #129 紫スーツの老女
知恵はバス停でバスを待っていた。
その日はくもりで、バス停で開いた本の文字が読みにくかったのを覚えている。
知恵がバス停で本を読んでいると、こちらへすたすたと歩いてくる影があった。
あまり車の通らない、田んぼの中の、田舎の幹線道路である。
そこへやってくるのは、一目でオーダーメイドと分かる全身むらさきいろのストライプのスーツでかためて、そのうえにピンクの丸帽子をかぶった女性だった。
知恵は驚いた。
さらにその女性が知恵に向かってしゃべるのだ。
「バスを待っているのですか」
と。
その声が、いかにも酒やたばこでつぶした喉から出ているようで、知恵は一瞬、身構えた。
袖からは金の腕時計がギラリとのぞいている。
知恵は、
「はい、ここ、どうぞ」
と、隣の席を勧めた。
女性は隣に座りそのままたばこでも吸い出しそうな雰囲気を醸し出していたが、実際にバッグから取り出されたのは、赤い女性用の手袋だった。
知恵が重ねて驚いたことには、女性は七十か八十ほどの年齢に見えたことだった。
目元に皺をよせ、女性はたずねる。
「病院帰りですか」
と。
知恵は、はいそうですと答え笑顔を作った。
すると女性は、
「私もなんです、タクシーで来たんですけど、帰りは節約してバスにしようと思って」
と、笑った。
それからバスを待つあいだ、二人して互いの病状についてあれこれと言い合った。
バスに乗ってからも席を隣同士にし、小声で、けれど合間に無言をはさみながら遠慮がちに、話をした。
駅前でバスを降りるとその女性は、
「デパートはどこだったかしら」
と知恵にたずねた。
知恵は、
「あれです」
と、目の前にそびえたつビルを指さしそう言った。
「そう、じゃあ、体には気をつけてね」
と言い、その女性は去って行った。
正直、バスの中でまで隣同士で話すなんて、なんだか嫌だなと思っていた知恵だったが、最後の体をいたわる文句でその感情は吹っ飛んだ。
さすが、年の功なのだろうか、去り際をわきまえているといか、知恵みたいな二周りも三周りも年下の小娘に向かって、「体に気をつけてね」なんて。
自分なら言えるだろうか。
知恵はそんなことを考えながら、くるりと背を向け歩き出していた。
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