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みじかい小説 #131『ターミネーター』

 冴子さえこは、大学から帰宅すると急いでテレビをつけた。
 ちょうどお昼のワイドショー番組をやっている時間帯だ。

 冴子は朝からなんだか不安であった。
 昨晩、11年ぶりに東北で震度6の地震があった。死者が出て、新幹線が脱線したことを、冴子は自分のタイムラインを追って知っている。
 それだけではない、海の向こう、ウクライナでは現在進行形で戦争が行われている。そのことも自分のタイムラインで知っている。
 冴子の大学では期末テスト期間に入ったが、すでに述べたように、冴子の注意力を散漫にさせるニュースが目白押しで、とても勉強をする気になれないのだった。
 言ってしまえば言い訳だけれど、それでも正直なところなのだ。

 世の中がにわかにぶっそうになってきてから、冴子は帰宅するとすぐにテレビをつけるようになった。
 常に何かしらの脅威がせまっているのではないかという不安に襲われて何をするにも身が入らない。
 足が地をつかんでいないような気分にさせられて。
 冴子は大学入学を期に千葉県で一人暮らしをしている。
 そのことも、冴子の不安に拍車をかけた。

 そんな日々が続いていると、嫌でも足取りは重くなる。
 冴子はつとめて授業に集中しようとした。
 冴子のとっている西洋文学史の講義では、くしくもロシア文学をとりあげていた。
 テレビの向こうで、ロシアがウクライナに対して侵略を行っていることを頭で知ってはいても、目の前の大学の講義では、教授が淡々とロシアの文豪たちのことを説明している。
 そのギャップが冴子にはおかしかった。
 どちらも「本物の」ロシアなのだ。
 冴子はロシアという国が好きであった。
 なにせ冴子は本の虫、音楽も好きであったから、ドフトエフスキーやトルストイは勿論、ボリショイバレエもYoutubeで好んでに見るくらいであった。それらが一同に会したソチ五輪の開会式の素晴らしさは今でも忘れることができない。

 しかし。
 そのロシアがいま、ウクライナを侵攻している。
 最初は遠慮がちだったテレビ番組も、最近では大統領のことを呼び捨てにまでして敵意を高揚させようという狙いで作られている。
 まるで世の中がロシアを憎めと言わんばかりに。
 いや、実際にそうなのだろう。
 ロシアの侵略を許してしまえば、他の国が真似をする。
 日本はおそらく真似される側になるのだろう。
 そうなれば他人事ではないのだ。
 それはヨーロッパの国々も同じで。
 気の早いコメンテーターは第三次世界大戦がはじまっているとまで言っている。

 果たして。
 冴子には分からない。
 ただ、どうしてもメディアが盛り上げるようにロシアを感情的に憎むことはできそうにないのだった。
 でも侵攻は許してはいけない。それは理解している。

 冴子はテレビを消してパソコンをたちあげて自分のタイムラインを追った。
 するとアーノルド・シュワルツェネッガー氏が「ロシアの友人へ」と題して今回のウクライナ侵攻をやめるようにと声をあげているのが目に入ってきた。

 ああ、と冴子は思った。
 シュワちゃんは老けてもかっこいい。
 ともあれ、冴子は動画を再生した。
 英語を勉強しているかいもあってか所々単語を拾う事が出来た。
 シュワちゃんの英語はとてもきれいに聞こえた。
 シュワちゃんの動画に対して「シュワちゃんは訴える相手を間違えている。これはロシア国民も望んだ侵略だ」というコメントをよせる人もいた。
 冴子には、それもそうなのかもしれない、と思われた。

 今やどんな情報がどれだけ正しいのか、誰もリアルタイムでは判断できないのではないだろうか。
 少なくとも、タイムラインやテレビ程度の情報源しか持たない自分のような人間にとっては、いちいち情報に振り回されるしかないのだ。
 冴子は暗澹あんたんとした気持ちで、昨晩の残りのカレーに火を入れた。

 さらに今日は「ウクライナ難民、身元保証なしの入国許可」というニュースまで目に飛び込んできた。
 ウクライナ難民をよそおって、どこかの国の悪人が入国したらどうするんだろう。
 冴子はそんなことを思った。

 目を他にうつせば、昨夜の地震の被害や、コロナのことをやっている。
 休む暇がない。

 冴子の頭では、「考える」というよりは「知って不安になる」しかなかった。「知ってその先を考える」まで至らないのは、おそらく勉強不足だ。
 冴子はそう思い、微力ながら近代史の勉強を始めたり、本屋で歴史に関する本をあさったりした。
 それもむなしい気がしたが、何もしないよりはましである。
 これを期にロシア語でも勉強しようかな、とも思ったが、残念ながらNHKのロシア語講座はこの春からなくなるのだそうな。
 それを知って、なんとなく、戦争とはそういうことなのだという気にさせられた。

 冴子は午後、それでも勉強を少し進めると、再びパソコンをたちあげて契約している映画サイトに足を運んだ。
『ターミネーター』
 冴子は再生ボタンをそっと押した。

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