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『みじかい小説』#146 あみあみ

 今日も私は手を動かす。

 先端に小さな木製の玉のついた二本の長い棒を持って、その間にたった一本のか細い糸を延々と渡していく。二本の棒の間で、糸は二度、三度、不思議の術にからめとられ、ひとたま、またひとたまと、順々に棒に巻き付いていく。

 私が編み物に興味を持ったのは、中学3年のときだった。たまたま人数合わせで入った裁縫部で、さして裁縫に興味もなかった私は万年幽霊部員と化していたが、私がそうこうしている間に、一人の女の子が数か月かけて見事なマフラーを作り上げたのだった。

 私は彼女と彼女の作品を見て、ああ、この子にはたぶん一生かかっても勝てないんだろうなと思ったのを覚えている。

 私は根っからの短距離走者で、興味があればスタートダッシュで手をつけるのは早いのだが、結果がすぐに出ないとすぐに飽きてしまうタチだった。そんな私は裁縫部に入っても裁縫道具に手もつけず、ただ毎日、部に顔を出して誰かととりとめのない会話をして帰っていた。そんな私の目に、黙々と手を動かして飽きない彼女たちの姿は、何かとてつもなく暇な人たちに見えていた。正直、他に何も取柄が無いから、手を動かすだけでもできる単純作業をしているんだろうと、なかば見下していた。中学生が作る作品など、その辺に売っているプロが作った既製品になどはるかに及ばないのにな、と思っていた。

 けれど彼女の作った作品の出来は、その辺に売っていてもおかしくないレベルだったのだ。彼女は中学の時点で、既にそのレベルにまで、美意識とプロ意識が達していたのだった。彼女の持っているそれに、当時の私は反射的に、激しく嫉妬した。

 私は彼女をつかまえて、「すごいね」と一言だけ伝えた。どうしても本心を伝えずにはおれなかったのだ。すると彼女は、「ありがとう。疲れたわ」と、とても優しい笑顔を見せてくれた。

それから私は少し、彼女と会話をするようになった。

 話してみると彼女は、実はとても堅実な人だということが分かった。運動にしても勉強にしても、これという突出した才能はないものの、予習・復習は真面目にしてくるし、時間もきっちり守る、気分のムラを表に出さず、いつもニコニコしていて人当たりがすこぶるいい、あの作品を作り上げた時のように、毎日こつこつ何かに取り組んでいるが、ことさらそれをどうこう言うこともなく、当然のように素晴らしい作品が仕上がった後も、ひとりただ満足気に微笑んでいる。

 当時の私に無いものを、彼女はすべて持っていた。私の嫉妬心など吹き飛ばしてしまうほどに、中学生にして、既に彼女は「出来上がっていた」。彼女の中に、一種の完成された美しさを、私は見出していた。

 大学生になり、私はひとり暮らしをはじめた。いつだったか、ぽっかりと時間ができた時に、私はふと彼女のことを思いだした。そしてなんとなく裁縫道具を揃え、テキストを見ながら編み物を始めたのだった。はじめての作品の仕上がりは悲惨なもので、一目ごとにかける力加減が異なっていたため、出来上がった模様は斜めにひしゃげていた。すべての目を均等な力加減で編んだときに、はじめて美しい模様は完成するのだと、そのときはじめて知った。だから機械で作る網目はとても美しいのだと知った。と同時に、機械に負けないほどに正確無比な技を持つ職人や、逆に機械には出せない人の手による風合いを武器とする職人が作り出す作品も、同じくらい美しいのだと感じ入った。

 そもそも機械は人の手によってつくられる。とするならば、機械は人の手の延長であると言える。そんな機械を使ってどのような作品を作るか、それをデザインするのは人間である。機械で作ったものにも、職人魂というものは注ぎ込まれているのだ。職人が自分の手で作るものなど、言わずもがなである。

 最近、急にムラっ気が出てきて、それまで毎日書いていた短編小説が書けなくなった。そんな私の脳裏に浮かんだのが、今回の話である。いつか小説家という職業にも、機械が進出してくるのかもしれない。けれど日本語は世界でも有数の難しさを誇る言語だともいうし、私が生きている間くらいは大丈夫だろう。それにたとえ機械により見事な小説が出来上がったとしても、私はいち職人として、細々と小説を書き続けるつもりである。そこに必要なのはそう、確かな技と、毎日動かし続ける手である。技については目下修行中だが、もうひとつの方についてはなんとかなるだろう。

 だから私はとりあえず、ひたすら手を動かし続けることにした。

 デザインはおいおいで。

 いつか見た、彼女のマフラーに負けないくらい、見事なものにしたいと思っている。


 

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