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みじかい小説#199『健太と真名、そして由奈』

 背中の子がぐずつくので、健太けんたはその場でぽんぽんと飛び上がった。
 突然の揺れに、おぶわれている真名まなは、目をぱちくりさせる。

 しばしの沈黙がおりる――。

 健太はしまった、と思った。

 次の瞬間、割れんばかりの鳴き声が、健太の背中から四方にあふれた。
「おお、真名、兄ちゃんが悪かった。堪忍なあ」
 そう言って健太は、両の手をうしろにまわし、真名を下から抱きかかえるようにして揺する。

「こらあ、健太、うるさいぞ」
 奥の座敷から親父の声がする。
「ごめんよう」
 健太は大声でそれに返す。
 朝はやくに畑に出て仕事を終えた親父は、昼餉ひるげをとったあとすぐに座敷にあがってしまい、以来ずっと布団に横になっている。
 外は雨、水無月に入り梅雨が本格的にはじまり、近隣の農家はみな家に引きこもっている。

 健太はさきほどから、狭い土間を行ったり来たりしながら、妹の真名をあやしていた。
 健太は今年数えで10、妹の真名は今年の春に生まれたばかりである。
「おなかがすいてるんでねえのか」
 土間をすぐあがったところにある板の間で手仕事をしていた母がやってくる。
「どれ」
 と言うと、母はおもむろに上着を肩から脱ぎ、乳を出して真名の口に持っていく。
 健太は真名の口元と母の乳首をじっと見つめて様子を見る。

「なんだ、飲まねえなあ」
 健太はがっかりしたように言う。
「じゃあ、おしめか」
 母は乳をしまい、今度は真名の股をまさぐる。
「それはさっき俺が確認したよ」
 健太はそう母に訴える。
「ほんとだなあ、全然濡れてないわ」
 母はからからと笑う。
「な、言ったろ」
 健太は自慢げである。
 真名はまだ泣き止まない。

 健太は土間に腰かけ、そうやってしばらく母と二人で幼い真名をあやしていた。
 そこへ声をかけてきた者がいた。
「けーんたくん、あーそーぼ」
 目をやると、井上さんとこのコーちゃんが入り口から顔をのぞかせている。
「おお、コーちゃん、ええよ、真名も一緒だけど」
 健太は母に視線を向け、遊びに行っていいかなと無言でたずねる。
「いっといで、真名のこと、よろしくな」
「はーい」
 健太は真名をおぶったまま、コーちゃんと勢いよく駆け出してゆく。


「いやだあ、そんな昔のこと」
 70になった真名は、顔をしわくちゃにしながら手を振り振りする。
「おまえは昔から理由もないのによく泣く子やった、どんだけ苦労したか」
 80の健太は母ゆずりのからからとした笑いで場をなごませる。
「へえ、おばあちゃんにも子供の頃があったんだ」
 今年10になる孫娘の由奈ゆなが、興味深げに二人を見つめる。
「そりゃああったよ。由奈のお母さんにも、そんな頃があったんだよ」
 話を振られた由奈の母が、「やだあ、お母さんたら」と言っている。
「へーえ」

 年に盆と正月の2回設けられる、親族集まっての旅行の一幕である。



 


 

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