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みじかい小説#142『本音』

 一年に一度くらい、本音を打ち明ける日があってもいいだろう。

 そういうわけで、今日は私の本音を話す。

 
 思えば、私は、幼いころから世界で活躍する日を夢見ていた。
 いつか世界的に有名になるはずであると、疑いもせず決めてかかっていた。

 私の家の壁には大きな世界地図が貼られており、私はこの世界を自分の庭のように感じていた。田舎ながらも、父は私に英才教育を施してくれ、私もそれに懸命にこたえた。おかげで勉強に困ることはなかったが、中学生にもなると、いつか世界で活躍するのだという根拠の無い自信から、将来出て行くであろう地元を心の底から嫌悪するようになっていた。地元は未成年の時期にしかたなく一時的に住んでいるに過ぎない土地であり、私はいずれ世界で活躍するためこの土地を出て行くさだめにあるのだとしていた。そのため、「現地の子供たち」である同級生とつるむことはせず、一人で過ごすことを好んだ。

 漫画やアニメ、読書ばかりしていたため勉強がおろそかになり、私は大学受験で一郎する。しかし根拠の無い自信から、まあなんとかはなるだろうと思い落ち込むことも無く、翌年無事に関西の私立大学に入学する。

 そんな私は、大学へ入りすぐに授業に出なくなる。都会での一人暮らしによる開放感でいっぱいになり、ここで金を使う喜びをはじめて知ることとなる。私はバイトに明け暮れ、稼げるだけ稼ぎ、使いたいだけ使った。そんな私は5年目で大学を中退する。まあそうなるわな、といった具合だった。

 若い頃に関東で暮らしておきたいという願望から、何の展望も無いまま、私はひとり深夜バスで関東へ向かった。当時は珍しかったシェアハウスに転がり込み、そこで数年間バイトをしながら暮らすことになる。ここでは、金を使わない遊びをたくさん知ることになる。私は必要最低限のバイトをしながら、毎日、気の合う友人らと中身の無い会話で盛り上がった。色んな言語が飛び交う場でもあったため、日本にいながらにして、様々な価値観に触れることもできた。

 金を貯めた私は、一人暮らしをするようになる。部屋選びから家具のひとつひとつに至るまで、完全に自分好みの空間の中で、私は感じたことのない幸福感に包まれることになった。それは、それまでのどんな体験よりも私を満足させた。こんな喜びがこの世にあるのかというほど驚いたことを覚えている。私には幼い頃から軽度のアトピーがあるが、一人暮らしをはじめてからは不思議なことにそのアトピーの症状がまったく出なくなったのだった。毎日掃除をしていたため、アトピーの原因となるハウスダストが極端に少ない環境だったのかもしれないし、一人暮らしによる満足感からストレスが軽減されたのかもしれなかった。ともあれ、私はこの時期に人生の黄金期を迎える。

 しかし、順風満帆な私の人生にも逆風が吹き始める。
 30代になる頃に、大病を患ったのだ。私は仕方なく、両親の世話になることを決めた。両親には泣いて謝るはめになったが、自分の命には代えられないので、さげられる頭ならいくらでもさげてやるしかなかった。

 幸い病は順調に回復し、今では家事を担当しながら家業の手伝いをし金を稼ぐまでに至っている。
 去年からはネットで小説を公開しはじめ、それも軌道にのっている。
 最近では近所のジムにも通い始め、心身ともに以前よりたくましくなっているのは確かである。
 余談だがネット経由で恋人もできた。

 そこで、最近思うことがある。
 私の原風景は、相変わらず地元ではなく、世界地図である。
 しかしUターンして帰ってきた地元は、大して愛着も無く育った私にとっては、かえって今、「新鮮な田舎」に見えている。
 まるで訪れたこともない異国に降り立ち、現地の図書館に通い、現地のジムへ通い、現地の人々とふれあい、その中で両親とともに暮らしている自分がいる、といった感覚で毎日を過ごしている。
 これは悪くはない感覚である。

 そもそも考えてみれば、世界のどこにいようが、その人にとっては、その人のいる場所が世界の中心である。
 それさえ理解していれば、世界中どこにいようが、かまわないはずであるが、しかし私は、将来的には、やはり関東に「戻りたい」といった意識が強い。
 やはり関東は、日本にあって世界を身近に感じられる特別な場所だからだ。世界中のグルメを味わうことができ、最新の情報に触れることができ、多くの刺激に満ち溢れていて、便利で安全、そして進化の止まらない都――。若かりし頃にどっぷりとその味を味わってしまった私にとっては、関東は捨てきれない愛すべき魂の故郷なのだ。

 最近、地方をクローズアップするメディアが増えている。確かに、少子化待ったなしの今、地方を盛り上げないでいったい何を盛り上げるのかといった段階になっているのは理解できる。今、国をあげて盛り上げるべきは地方なのだろう。しかし、そんなメディアを横目で見つつ、いつか必ず関東に舞い戻ってやるからなと、片田舎で野心を燃やしている私がいるのも事実なのである。

 それまでは、地方でのんびりのびのびつつがなく暮らしていたいと思っている。正直、田舎暮らしも悪くはない。私が住んでいるのはとある県の県庁所在地だが、必要最低限な施設にはすべて徒歩で行けるので、非常にコンパクトで住みやすい。都会と比べると娯楽には乏しいが、今の時代、ネットにつながりさえすれば最新の情報や娯楽にはすぐにアクセスできる。だから、余計なことをしなくてすむというのが田舎暮らしの最大のメリットかもしれない。自分にとって必要なものしか周りにないという環境の中で、非常にシンプルな暮らしを実現することができるのだ。だから、そういう環境を求める人にとってはこれ以上ない環境だと思う。だかといって田舎万歳にならないのは、成長期を田舎で過ごして不自由をした経験があるからである。都会暮らしのメリットを知ってしまったからである。
 私はクリエイティブな仕事をしているが、できれば常に刺激に触れていたい欲が強いタイプのクリエイターである。クリエイターの中には、極力何にも触れずに自分の中に没入していくことで何かを生み出すタイプの人もいるが、私は日頃から刺激を浴びるようにしていないとアイデアが浮かばないタイプのクリエイターだ。田舎は刺激に乏しい。都会は刺激的だ。私は、必要最低限な暮らしに満足を見出すタイプではなく、選択肢のあふれる社会で自由に選択しながら生きていきたいタイプの人間なのだ。白米だけではなく、パンもスパゲティも食べたい人間なのである。
 だから私にとって田舎とは、たまに訪れるくらいの場所で十分なのである。だから私は今、毎日「田舎を訪れている」感覚で毎日を生きているのである。

 私はまだまだ世界を見たい。その意味するところは、日々ネットで情報に触れることでもあるし、近所の図書館で本を借りてきて読むことでもあるし、散歩に出て自然を楽しむことでもあるし、旅行をすることでもある。世界のどこにいようが、とにかく五感で何らかの刺激に触れていること、それが、世界を見るということなのだろう。

 とかなんとか言いながら、田舎暮らしでシンプルを極めたような生活とネット三昧の果てに、世界に通用する技術を身に着けて、田舎から直接世界に躍り出るというのも、ありだよなあと思ったりするのでした。

 何がどうなるかは分かりませんが、とりあえず今は、地道に作品を作りとスキルアップに精を出していきたいなと思っています。大いなる野望を胸に秘めて。

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