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みじかい小説#192『心』

 決心をすれば早いもので、彼とつきあいはじめてもう数か月が経つ。

 人間関係は選択の連続だ。

 まず相手を信用するかどうか。
 その判断に、男だとか女だとかいった性別は関係ない。
 これはもう一対一で、時間をかけてコミュニケーションを重ねてゆくしかない。
 時間をかけて互いの行動が信用に足るものだという判断を、ひとつひとつ重ねてゆくしかない。

 信用を得るのはそれはもう大変な作業だ。
 愛だの恋だのといったふわふわした感情論は脇に置いて、目の前の相手が本当に信用できる人物なのかを見極める目が必要となる。
 当然、そういった自分の目も、日々磨いておかなければならない。
 そして一旦信用したからといって、その後の行動のすべてに目をつむるということもせず、変わらずひとつひとつの行動を判断していく必要がある。
 信用とは、そうした互いの日々の疑心暗鬼を、その都度払拭してゆく方法でしか得られない。

 人間としての信用がある程度得られたら、次は男女間の愛情のやりとりが課題となる。
 既に互いにある程度相手を信用しているわけだから、その上でのコミュニケーションが成されるわけだけれど、なまじ男女という性別の別があるだけに、その方法論は多岐にわたる。
 様々な方法で相手を喜ばせ、喜ばせられ、愛情の確認を行う。
 これも一種の信用問題で、適当にすませようとすれば、たちまち相手の不信を得ることになる。
 愛情表現もまた信用の一形態であるからには、互いの継続した努力が必要となる。
 これが途絶えたとき、「人間的には信用しているけれども愛情はわかない」といった関係に陥る。
 そういったカップルは早晩、別れることになる。

 私の場合は子供を産んでいないので、子供については様々な知見を得たなかからしかものをいうことが出来ないが、二人の間に子供が生まれれば、子育てが二人のメインテーマとなり、いかに子育てを通じて互いの信用度を増していくかといった努力が必要となる。
 こうなると好きだのなんだのといった浮ついた気持ちよりも、子育てという現実味を帯びた問題が立ちはだかっているだけに、互いの見る目はいっそう厳しくなる。
 互いの努力の末に見事、子供を育て上げたあかつきには、二人は「戦友」にも似た心境に達するのだろう。

 そんな二人が子育てを終え、あとは残りの人生を過ごすだけだといった段階になると、この段階で一旦別れようかという話が出やすい。
 既に互いに大人であるが故、それはもう「完全に互いを信用した(あるいは信用していない)上での別れ」のため、大人同士、事務的に事は運ぶのだろう。

 そういった危機を乗り越えた先には、おだやかな二人だけの時間が待っている。たぶん。その域まで達すると、もはや二人は一蓮托生と言ってもいいのだろう。 

 果たして、私は今の彼氏とどこまでいくつもりなのだろうか。
 今の段階ではそれも定かではないが、とりあえず今は、明日の自分の信用をつくることに、明日の相手の信用を確認することに専念している。
 自らに慢心を許さず、自他ともに厳しい目をもって都度判断していきたいと思っている。

 先を予想しすぎても人生は分からないものだから、漠然としたプランは抱きながらも、あとは成り行きまかせでいいのだろう。

 今はなんとなくそんな心境でいる。

 


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