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よみびとしらず #03 聖子 第十章 頼明

 康親の提言により、康親、玄庵、八郎の三名は『邪見』を展開した。
 『邪見』とは、人界にいる物の怪を見るための術である。
 小坊主たちと明子は、何者かの術により殺されていた。その何者かが人外である可能性もあるということである。
 康親たちは、とりあえず周囲を注意深く凝視してまわった。

 そうして初めに気づいたのは八郎であった。
 八郎は滝の『入り口』の前に立ち、腕をその中に入れて確かめた。
「これは」
 今度は両手を中に入れて確かめる。
 何度か同じ動作を繰り返した後で、八郎は確信をもって康親を呼んだ。
「師匠、『入り口』に結界が張られております。それも、こちら側から張られております」
「なに、それは本当か」
 康親は、それまで探索していた場所を離れ八郎の元へとやって来た。
 それから八郎がやっていたように、『入り口』に両手で触れて確認をした。
「本当だ。誰が。何のために」
 玄庵も、二人のやり取りを聞き、やってきて同じように確かめ口を開いた。
「予定通り、『百鬼夜行』を繰り出した後に狸殿があちら側へ行ったのは確かだろうね。結界はその後に張られたものだ。つまり結界を張った何者かはこちら側にいる」
「『邪見』を展開して正解でしたね」
 八郎は緊張した面持ちで師匠康親に同意を求めた。
 康親はそれを受けて一度こくりとうなずいた。

 三名は周囲に注意を向けながら、『邪見』を展開したまま講堂へと場所を移した。
 講堂はがらんとしており、中はひんやりとしていた。
「良成と聖子、それに犬千代の三名を待とう」
 そう言ったのは康親であった。
「そうですね、待ちましょう」
 玄庵と八郎は同意した。
 三名は警戒のために一つをのぞいて雨戸をすべて締め切り、小さな灯りをともして講堂の中央に輪になって座した。
 それから康親が、懐から形代を取り出して中央に置き、二人に尋ねた。
「二人とも『聞耳』の形代は持っているかな」
 『聞耳』とは、頼明にかけた呪でもあった。遠くの者の周囲の音を形代でもって拾う術である。
 二人は言われて懐をさぐり、形代をそれぞれ一枚ずつ床に置いた。
 先日、皆が集まった際に康親が説明し、配ったものであった。
 一枚は自分の帯にはさみ音を拾い、対になるもう一枚は懐で音を発するという仕組みになっている。
「妖界ではどうなっているかな」
 康親は言いながら、床に並べ置かれた形代に耳を近づけた。
 すると形代は、途切れ途切れながらも音を発し始めた。
 形代の持ち主は狸殿である。
「音からするに、戦っておるようでございますね」
 八郎がぐいと耳を近づける。
「よしよし、頼明を追い詰めておるようだ」
 玄庵は康親に向かい笑顔を向けた。
 康親も笑顔を作り、それに頷いて見せた。

 その時であった。

「油断はいけませぬなあ、ほ、ほ」

 すぐそばで聞いたことのある声がした。
 八郎は思わず形代に対しかがんでいた上体を起こした。
 次に八郎の目に飛び込んできたのは、刀であった。
 師匠康親の身体の中央から、一本の刀が伸びていた。
 いや、一本の刀が、康親の身体を貫いていたのである。
「師匠」
 八郎は悲鳴をあげた。
 八郎の悲鳴を聞いてか、刀はゆっくりと康親の身体から引き抜かれ背後の闇に消えた。
 康親は口からこぷりと血を大量に吐いた。
 気配がなかった――。
 康親は目を大きく開き、抱きかかえる八郎の着物をぐいとつかんで伝えようとする。
 しかし口からは大量に血が出るばかりである。
 玄庵は二人の様子を確認すると、すぐに皆を含める範囲に結界を張った。それから八郎に抱えられた康親の傷口を明らかにし、止血にあたった。
 こんなところで死んではならぬ。
 玄庵は顔を青くしながら必死に止血にあたった。
 周囲は闇。
 一つだけ明けた講堂の口から、やわらかな陽の光が差し込んでいる。

 康親の呼吸が小さくなるにつれ、床に並べられた形代から発せられる音も小さくなっていった。
 術者の術が解かれようとしているのである。
 小さな灯りと、遠くに見える外の光を頼りに、玄庵は周囲の闇を注視した。
 八郎は自分の着物についた康親の血を見て悲鳴を上げた。
「玄庵殿」
 八郎が玄庵にすがる。
「落ち着け、八郎。大丈夫だから」
 気休めであったが、何も言わぬよりはましであった。
 玄庵の背中を、冷たい汗がつと流れていった。

 暗闇に沈んだ講堂の中、あの声が響く。
「康親、いや初春殿。私の勝ちじゃなあ、ほ、ほ」
 康親は薄れゆく意識の中、それを聞いた。
 そうして小さな声でそれに答えた。
「何のことだ……」
 暗闇から声がする。
「ほ、おぬしは知らぬでよいことよ。さっさといねい、ほ、ほ。『おおん』」
 どこからか滝の音がした。
 と、次の瞬間、三名はいきなり水の中に放り出された。
 上も下も分からない。
 ただ濁流の中にあった。
 召還された『水龍』に飲まれたのである。

 玄庵は飲まれた水の中で、なんとか康親を捕まえた。
 そして自身の着物の端をぐいと引き寄せ破ると、それを康親の傷口にあてた。
 しかし水の中、康親の血はどんどん失われていった。
 康親の周囲の水が、血の味に変わった。
 水の中にも、容赦なく武器が仕込まれていた。
 玄庵は必死に、三名を包む結界を張り続けた。
 
 水の中で、八郎は玄庵の結界により守られていた。
 そのため少しではあるが落ち着きを取り戻した。
 上も下も分からぬ中で、出血の止まらない師匠康親と、それをおさえる玄庵の姿が視界に入る。
 ここで死んでなるものか。
 八郎は印を結び、渾身の術を展開した。
「『水龍』」
 巨大な水龍の中で、小さな水龍を展開し、風穴を開けようと試みたのである。
 この試みはうまくいった。
 八郎は小さな水龍の中に入り、巨大な水龍の腹をやぶった。
 八郎はひとり宙に放り出された。
 そこで八郎は続けざまに術を繰り出した。

「『解除』」

 これも渾身の一撃であった。
 『解除』とは、展開している術を解く術である。
 放たれた巨大な龍はその形を瞬く間に崩し、辺りに飛び散った。
「ほ」
 暗闇の中で印を結んでいた指に、かすかに切り傷が走った。
「よい弟子を持ったのう、ほ」
 傷ついた指を口に咥え血を軽く吸うと、指の主は間をおいて、言葉を継いだ。

「もう、聞こえぬか」

 水浸しになりながら肩で息をしその場でうずくまっていた八郎は、暗闇から聞こえるその言葉の意味を理解し康親と玄庵を振り返った。

 康親は、玄庵の腕の中で、静かに息絶えていた。
 妖界の様子を伝えていた『聞耳』の形代は、講堂の隅で完全に沈黙していた。
 
 玄庵は腕の中の康親を丁寧にその場に横たえると、声の主に向かって言った。
「私がお相手しましょう」
 八郎は横たえられた康親に駆け寄り、突っ伏し震えた。


 妖界では狸と頼明の対戦が、いまだ続いていた。
 中空で戦闘を繰り広げる二名の足元には、物見遊山に大勢の物の怪と、わずかな人間とがひしめき合うようにして座っていた。
 戦闘はもう一時は続いていた。
 どちらの体力も精神力も、底なしのように思われた。
 そんな中で、狸は懐にある形代が沈黙したことに懸念を抱いていた。
 先日配られた『聞耳』の形代の術者は、康親である。
 意図して術が解かれたのか、それとも康親が死亡したのか、定かではないが、術は解かれた。
 康親の身に何かが、人界で何かが起こっておる――。
 狸は疑念を抱きながらも、頼明に強烈な一打を喰らわせた。
 頼明は吹っ飛ばされ近くの山の中腹に打ち付けられた。
 すぐさま連打を繰り出す狸に、頼明は結界を張り応戦する。
 狸の連打が止んだのを見計らって、頼明は次の術を繰り出した。
「『浮き体うきてい』」
 その小さな術のささやきを、狸のよく聞こえる耳は聞き逃さなかった。
「『浮き体』じゃと。それは陰陽師ではなく坊主等の術よ。おぬし、頼明ではないな。おのれ、たばかったか。化けの皮、はがしてくれよう」
 そう叫ぶと、狸は『解除』と続け、術を展開した。
 狸の術を受け、その場にうずくまっていた頼明が姿を変える。

「おぬしは」

 頼明の姿はまったく別のものに変わっていた。
 その姿は、坊主であった。

 次の瞬間、遠目に見物していた明水が叫んだ。
宋卓そうたく、宋卓ではないか。おぬし、そこで何をしておる」
 明水の声が聞こえたようで、坊主は声高らかに答えてみせた。
「いつぞやの続きでございますよ、明水殿」
 明水は旋律した。
 頼明と陰陽師と物の怪がやりあったのは五十年前のことである。頼明と共に都を転覆せんと企んだ坊主等三十余名は、玄庵の協力もあり妖界に住処を与えられた。宋卓はそのうちの一人であった。最初のうちは妖界に住まうことに反発もあったが、五十年のうちにその勢いは衰え、皆が協力して生活を送って行っているように思われた。少なくとも彼らを率いる明水には、そのように見えたのである。
 しかし今しがた宋卓が言った『いつぞや』というのは、その五十年前のことであるらしかった。
 明水は耳を疑った。

 一方狸はそれを理解した後、一笑した。
「再び都を転覆せんとするか。愚かな」
 狸の言葉を受けて宋卓は続ける。
「闇に封じられた我等の五十年を、お主等は知るまい」
 宋卓の叫びに明水が応える。
「私には分かるぞ」
「いいえ、表の者に役割を与えられたあなたには決して分かるまい」
「しかしなんと短慮な。今からでも間に合う。引き返せ」
 明水の賢明な説得に宋卓は首を横に振る。
「『聞耳』によると、そうもいきますまい、ねえ狸殿」
 その通りであった。
 明水は何も知らなかった。
「狸殿、どういうことか」
 明水の問に、狸は静かに答えた。
「康親殿に配られた『聞耳』の形代が先ほどから沈黙しておる。おのれ、康親を死なせたか」
 狸は一気に言葉にした。
 言葉は現実味を帯び明水の耳に届いた。
「なんということを」
 明水は宋卓を見定めた。
「さあ、お手合わせ願いましょう。私はおとりですが、囮なりの働きをさせてもらいますよ」
 宋卓はそう言うと顔に笑みを浮かべたまま、山の中腹から狸めがけて飛び掛かった。


 人界では良成、聖子、犬千代の三名が、願良寺の長い階段を昇りきり、息を切らせていた。
 ここでも良成は、見事に咲き誇っている彼岸花の赤に思わず目を奪われた。
 ほう、と一息ついた後、次に目に入って来たのは小坊主たちの変わり果てた姿であった。
 良成は一番近い遺体にかけよると聖子と犬千代を呼びよせ戒めた。
「油断するな。もう始まっている」
 良成はそっと震える手を懐へ入れ、法具をしっかと握った。
 聖子は武器となる龍笛に、犬千代は笙に口をつけあたりをうかがう。
「二人とも、『聞耳』を出しなさい」
 良成は境内に備え付けられた石造りの長椅子に腰かけると、懐から自分用の形代を取り出して見せた。
 先日、皆で集まった際に康親から配られたものである。
 三人が、持ち寄った形代にそれぞれ耳をかたむける。
「おかしいな、何の音もしない」
「不具合でございますか」
「分からないが、これじゃあ使えないな」
 康親がそうするのを見て、聖子と犬千代は出したばかりの形代を再び懐にしまった。
 その時であった。

 講堂の方から何かがぶつかる鈍い音がした。
 三人は顔を見合わせる。
「師匠」
「ああ、奥の方だ。行ってみよう」
 良成に続いて、聖子と犬千代は楽器を携えたまま駆け出した。

 外から見ると、雨戸をすべて締め切った講堂は異様な雰囲気をかもしだしていた。
 しかもその中から、先ほどから何度も鈍い音がするのである。
 近くの茂みに隠れながら、良成、聖子、犬千代の三名は聞耳を立てていた。
「しかし何の音でございましょう」
「床板に何かがぶつかる音のような気がするが……」
「あそこの戸が一枚開いております。中をうかがってみましょう」
 聖子はそう言うと茂みから半身を出し先頭に立った。
 そろりそろりと講堂に近づいてゆく。
 講堂の中にあっては、明るく光りさす一枚の戸口に、それを遮る影が現れた。
「おやおやお仲間だねえ、ほ。ほ」
 その声に、聖子は全身をこわばらせた。
「頼明――」
 明るい外から、講堂の中は暗闇にしか見えない。
「くそ、見えぬ」
 聖子はそう吐くと、講堂の中へと身を投じた。
「聖子、いてはならぬ」
 背後に続く良成の声が、無常にもぽっかりと開いた戸口の暗闇に吸い込まれる。
「ええい」
 良成はいらだちを口にしながら自身も講堂の中へと続いた。
 師匠をとめる間もなく、犬千代も「えいや」と後に続いた。

 講堂になだれ込んだ三名の目は、すぐに慣れた。
 三名とも、先ほどと同じように臨戦態勢をとっている。
 しかし暗闇に慣れた聖子の目に最初に飛び込んできたのは、横たわる康親の姿であった。
「康親様」
 聖子が名を呼び駆け寄る。
 良成と犬千代も続く。
「なんと。康親様。おいたわしや」
 するとすぐそばから別の声が降って来た。
「頼明めにやられました。みなさまお下がりください。次は私が参ります」
 見ると暗闇に玄庵が背を向け立っていた。
 その隣に、同じく背を向けた八郎もいた。
「玄庵様、それに八郎」
 聖子はふっと安堵した。
 しかし康親は戻らない。
「何がどうなっておる。なぜ頼明がこちら側におるのじゃ。狸殿は何をしておる」
 聖子は八郎の背に向け矢継ぎ早にまくしたてる。
 しかしそれに応えたのは隣に立つ玄庵であった。
「詳しい事は分からない。けれど術が解かれる間際の『聞耳』によると、頼明と狸殿はあちら側で戦闘をしていたよ、間違いなく」
「なぜ頼明が二人もおある」
 聖子はそうつぶやくと、頼明が浮いているであろう中空をにらんだ。
「ほ」
 そううそぶいた頼明の顔には、うっすらと悲しい笑みが浮かんでいた。
 薄暗闇の中それを見た聖子の心には、突如怒りの炎がともる。
 しかしかまわず頼明は告げる。
「数が増えたところで、ひとつ、いい事を教えてあげよう。私には仲間がいてねえ、その仲間が今、都を葬らんがために動いておる。さあ居場所を教えるから行っておいで。それとも私とここで続けるかな、ほ、ほ」

「おのれどこまでも不埒な奴」
 玄庵が叫んだ。
「『仲間』とは誰じゃ」
 玄庵の肩に手を置き押しとどめ、良成が叫ぶ。
「それは会ってのおたのしみ。ほ、ほ」
 頼明の声が講堂内に響き渡る。
「御託はいい、早く場所を教えぬか」
 手の震えをおさえつつ八郎が続ける。
「ほ。怖いねえ。それでは教えよう。都を葬るためには物の怪の存在が邪魔でねえ。志を同じくする連中が物の怪対峙に動いておる。要は都に物の怪を入れねばよい。ではそのためにはどこで何をすればよいか。さて、お分かりかな、ほ」

 間をおいて沈黙が訪れた後、玄庵が突如吠えた。
「おのれ、妙蓮寺か」

 講堂内に反響した音が尾を引いている。
「ほ、ご名答、ほ、ほ」
 暗闇の中、手の鳴る音が、むなしく響いている。
 聖子は、頼明と師匠等のやりとりを身を震わせながら聞いていた。
 体内を大蛇がうねりまわって食いちぎらんとするのを全身に力を入れ必死でおさえているような状態である。
 聖子は、思わず涙した。絞り出てくる涙であった。
 無力な己、やりとりについていけない己を呪った。
 聖子のことを気にもとめていないふうの頼明に腹が立った。
 ついでに八郎のたくましさにも腹が立って仕方がなかった。
 聖子は全身で震えていた。
 そんな聖子の心情など知ったことかと事態は進んでゆく。

「頼明をここで見逃すわけにはいかない。一旦別れよう」
 そう言ったのは玄庵である。
「戦力を割くのでございますか」
 良成が制する。
「頼明の言った『仲間』とやらも気にかかる。不安はあるが、ここは仕方がない」
 玄庵は念を押すように周囲に訴えた。
 そうして懐から、新たな形代を数枚取り出した。
「改めて『聞耳』を展開しておく。何かあればこれに向かって叫ぶんだよ」
 言って玄庵は呪を唱え、形代を皆に配る。
「頼明は私があたろう。妙蓮寺は良成殿と生徒たちに頼みたい」
「分かりました」
「玄庵様もご無事で」
 そうして良成、八郎、聖子、犬千代の四人は、玄庵に別れを告げ、講堂をあとにした。

「ほ、もういいのかな」
「お待たせした、では始めよう」
 頼明と玄庵の一騎打ちが、はじまった。


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