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『みじかい小説』#150 とある病室でのひとこま

 それは例年に比べて台風のよく来る、そんな秋のことだった。

寿美里ことぶきみさとです、どうぞよろしく」

 私がそう自己紹介を受けたのは、入院してから一日目のことだった。夏風邪をこじらせて自宅で長いこと寝込んでいたが、ついに高熱を出すに至り救急車を呼んだのが一昨日のこと。それから丸一日眠っていたらしいので、その計算になる。

「山崎安子です。こちらこそ、どうも」

 私たちは隣り合ったベッドの上で上半身を起こしたまま、軽く会釈をした。寿美里と名乗る彼女は、えりあしで切りそろえた少しくせのある白髪が印象的な、しわくちゃの女性だった。正直、若い頃どんなに美人であろうが、しわくちゃになってしまえば皆同じように見えてしまう。彼女はしわいっぱいの顔を更にしわくちゃにして、くしゃっと笑ってみせた。

 それから一週間が過ぎた。私の体調は順調に回復していた。一方で、寿美里の体調は日に日に悪くなっていくようだった。夜中に咳き込む回数が増しているようだった。日中はそれほどでもないようで、彼女は今日も上半身を起こして、ベッドテーブルの上に開いたノートパソコンを眺めている。

 その様子はあまりに熱心で、しかし微動だにしないので、私の好奇心を誘った。そうして私はついに、彼女がうとうとしている隙に、PCの中身をのぞいてみたのだった。

 そこには、一枚の写真があった。中年の男女が腕を組んでこちらを向いていた。面影はないが、おそらく女の方は寿美里である。では男の方は――。私のジャーナリスト魂がうずく。悪いとは思いつつ、PCをいじり、次の写真へと移動する。するとそこには、満面の笑みでこちらを向く、先ほどの男の姿があった。写真のタイトルは「ジェイソン・ウォール」とあった。

「いい男でしょ。年の差の国際結婚なの。ふふ」

 見ると寿美里が片眼をばっちりと開けてこちらを見てにやけている。男の顔は可もなく不可もなくといった印象を受けたが、そんなことはどちらでもいい、なるほど、彼女は毎日これを眺めていたのか、と腑に落ちた。

「10歳年上でね、もう死んで20年になるわ」

「死後、ひとりで寂しくなかったんですか」私はずばり聞いてみた。

「死んだ直後はそりゃあね」

 10歳も年が上だと、そりゃあ先立たれるだろうから、そうなるだろうなと思った。

「でも、ちゃんと夫を看取ることができてよかったわ。最後まで夫と一緒にいてあげられたし、その後の人生も、彼がくれたたっぷりの愛情で全然寂しくなかったし、もうすぐあの人の元へ行けるってことも嬉しくとらえているの」そう言うと、寿美里はくしゃっと笑った。

 その日の午後に、彼女は逝った。最後はタンが喉にからんで呼吸が苦しそうではあったが、最後の最後には意識が飛んで苦しまずに逝けたようである。享年95歳だとか。大往生である。

 仕事柄、他人の死には普通の人よりも頻繁に触れてきたつもりだが、80を超えて身近に体験する人の死には考えさせられることが多い。

「あーあ。あたしも今から誰かとっつかまえようかしら」

 記事を書いていた手をとめ、ひとり宙にむかってそう小声でつぶやいてみたが、なんだかそれがおかしくって、私はくつくつと笑いながら再び記事に向かうのだった。

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