みじかい小説 #136『ピアノ』
はじめてピアノを買ってもらったのは幼稚園の頃だった。
それは勿論おもちゃのピアノで、全長が50cmくらい、高さが20cmくらい、鍵盤なんか10cmくらいの長さで、「弾く」というよりは「叩いて」遊ぶおもちゃだった。
私は毎日、ばんばんとそれを叩いて遊んでいた。
おもちゃのピアノからは始終痛々しい音が鳴り響いていたのを覚えている。
それが小学生のころ、母のすすめでピアノ教室に通い始めたころのこと、家に本物のピアノがやってきたのだった。
それはテレビでよく見る曲線型のピアノではなく、縦長の箱のようなピアノだった。
兄弟三人で使いなさいということで、私たち兄弟は新しいピアノに目を輝かせながら取り合うようにして指を置いた。
こんどは「叩く」のではなく、教室で教えられたように「押す」ようにして。
そうはいっても小学生の力加減はいい加減なもので、まだ微調整もきかないものだから、新しいピアノからは相変わらず腕の反動で「叩く」音が家じゅうに響き渡っていた。
それでも私たち兄弟はピアノを弾き続けた。
毎日交代で、ときどき喧嘩もしながら、椅子の取り合いだってしながらピアノを弾き続けた。
小学生も高学年を過ぎる頃には、私は学校の昼休憩に音楽室のグランドピアノに陣取って、ひとりノクターンを奏でるまでになっていた。
何十年も引き継がれてきて色んな人が指を置き、まともな調律もされていないグランドピアノからは、当然それなりの音しか出なかったけれど、それでも小学生の私を感動させるには十分な音色が出たのだった。
けれども中学生にあがると同時に、私はピアノの教室をやめた。
同時期に兄弟三人ともが教室をやめた。
なんでか理由は覚えていないが、後に母にたずねると「みな続かなかったから」だという。
子供の習い事などそんなものなのかもしれない。
たしか同じころにスイミングスクールもやめたのだっけ。
それから家のピアノには大きな布がかけられたのだけれど、それでも私はときおり譜面を持ち出して、なつかしさを胸に鍵盤に指を置いていた。
もう小学生のころには出せた音が出なくなっていたが、それでもピアノを弾くことは、自分の指の動きに合わせて音が出るという現象が楽しくて、うれしかったのを覚えている。
それは高校生になってからも同じで、私はときたまピアノを弾いた。
大人になり、一人暮らしをはじめ、身の回りの金銭事情が自分の自由になった頃、私はワンルームでも置ける電子ピアノを買った。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、私のピアノ熱は、私の知らないところでぷすぷすとくすぶっていたのだ。
いま、結婚して二人の子供がいる。
そして一人暮らしの時に購入した電子ピアノも、一緒に暮らしている。
休みの日、私はそっとそれに指を置く。
新しくネットで注文した初心者用の譜面を開き、片手ずつ練習した後、両手でそろそろと弾いてみる。
「どう、ちょっとは上達した」
とは、相方の声。
「ねえ、猫ふんじゃった弾いてよ」
とは、子供の声。
「この次にね」
私はそれらの声を無視して、ひとりノクターンを弾きだす。
電子ピアノからは、どうしたって本物にはかなわないけれど、それでもささやかな音色が流れ出す。
その音につられて、昔の懐かしい風景が、目の前にありありと浮かび上がる。
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