みじかい小説#124『傑人』
彼は稀にみる傑人であった。
後世の人々は言う。
「彼ほど人に慕われた人はいない――」と。
彼の名は、誰も覚えていないほど、凡庸なものであった。
そのため、後世の人々も、ついに彼の名を口にすることがない。
ただ、口々に言うのだ。
「彼ほど人に慕われた人はいない――」と。
彼が生前、何を成したかは、もはや天のみが知るところとなった。
それだけ、長い年月が経ってしまったのだ。
彼については様々に言い伝えられているが、もはやその形は原型をとどめていない。
それでも皆、口々に言うのだ。
「彼ほど人に慕われた人はいない――」と。
さて、実際に彼が何をしたかをここに記しておこう。
彼は、名を、「名無しの権兵衛」といった。
生まれ落ちてすぐ、父親がふざけて名づけたのだった。
母はそれでも、名無しの権兵衛をかわいがり育てた。
おかげで名無しの権兵衛は、すくすくと育った。
幼い頃から勤勉で、剣の道にも明るく、心根はつよく、そして優しかった。
長じて名無しの権兵衛は、村の若衆の長に任ぜられた。
権兵衛は、その役目を立派にこなしていた。
そんなある夏の日のこと、隣村が無法者に襲われたという一報が届く。
権兵衛は、仲間をつれて隣村まで飛んで行った。
到着してみると、隣村は全滅で、あたりは死屍累々であった。
刺すような日差しがそこここにふりしきり、蝉の声が村を包む中、権兵衛はしばし、その景色の中に立ちつくす。
権兵衛は、一番近くの死体にまで、足を伸ばした。
手を伸ばし、できたばかりの血だまりに、手のひらを浸す。
夏の日差しのせいか、それともまだ体温をとどめていたのか、浸した手のひらにはほのかなあたたかみが感じられる。
また同時に、少しの粘り気と、鉄のにおい――。
夏の日差しは、死体の上に、残酷な黒い影を落とす。
このとき、権兵衛の中で何が起こっていたのかは、権兵衛と天のみが知るところである。
ただ、権兵衛は、その後、村人ひとりひとりの死体の傷に手をあててまわったのだった。
権兵衛の顔は、笑うでも泣くでもなく、ただ口を真一文字に引き締め、眉間に小さな皺をよせ、目は大きく見開いていたという。
権兵衛とその仲間たちは、村人の死体をひとつ残らず、手厚く弔った。
自分たちの村から坊主を呼び、墓地で供養もした。
荒れた村は仕方なくそのままにし、使える食糧はもらって帰った。
それから一年が過ぎた。
権兵衛の村に、無法者たちがやってきた。
その一報を受けたときの権兵衛の気持ちは、やはり権兵衛と天のみが知るところである。
権兵衛は、すわ一大事と、いそぎ剣をとり表へ出た。
見ると既に幾人かの村人がおそわれ、田畑に突っ伏している。
権兵衛は怒った。
そして一番近い無法者に近づいてゆくと、有無を言わさぬ一撃を喰らわせた。
無法者は一言をも発することなく、その場に崩れ落ちた。
二人目、三人目、と、権兵衛は次々と制覇してゆく。
ある口伝によると、そのときの権兵衛の顔には、満面の笑みが浮かんでいたらしい。
しかしまた、ある口伝によると、その顔を見た者は、ひとりたりとも生き残ってはいないらしい。
以上が、後世の人々が口々に「彼ほど人に慕われた人はいない――」という傑人の、天の知るところである。
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