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みじかい小説#120『芽依』

 カランコロン――。

 出入り口のドアのカウベルが、来客を告げる。

「いらっしゃいませ」

 カウンター内で作業していた芽依めいは、手をとめ笑顔で出迎える。
 見ると初老の男性が、入り口のマットの上で棒立ちになっている。
 この時期にしては奇妙な、膝下まである黒のトレンチコートを羽織っている。

「一名様ですか」

 カウンターを出た芽依は、エプロンで手を拭きながら笑顔で尋ねる。

 男性は黙ったまま一度こくりとうなずく。

 なんだ、不愛想な客だな――。
 芽依は内心、毒づく。

「こちらへどうぞ」

 店内の他の客の邪魔にならなさそうな窓際の二人用の席に、彼を案内する。

「アイスコーヒーひとつ、お願いします」
 席に着くなり、男性はそう、芽依に告げた。

 なんだ、「お願いします」なんて、案外礼儀正しい人じゃない。
 芽依の内心で、彼を少し、見直した。

「かしこまりました、少々お待ちください」
 目も合わさない男性の横顔に向けて、芽依は通り一遍の笑顔で告げる。

 芽依が立ち去るのを待って、男性はおもむろに上着のポケットから小型の手帳を取り出し、それを広げた。
 そして手帳に付随している短いペンを手に取ると、なにやら小さな文字でメモをとりはじめた。
 その様子を、芽依は作業をしながらカウンター内で盗み見る。

「お待たせしました、アイスコーヒーでございます」
 芽依の登場に、男性は一旦手元で開いていた手帳を閉じる。
「どうもありがとう」
 芽依は慣れた手つきでテーブルの上にアイスコーヒーとストローと伝票を置いていく。
 砂糖とミルクは据え置きだ。

 芽依が席を離れたのを見て、男性は再び手帳に目を落とす。
 その後、男性は、30分間アイスコーヒーをちびちびとやりながら、手帳に文字を書く作業をやめなかった。

 芽依の住む田舎町では、平日の午後に個人経営の喫茶店に入る男性客は少ない。
 フリーのライター、いや、記者、いやいや刑事という線もある――。
 人の噂が三度の飯より好きな芽依の頭の中には、ゴシップ雑誌さながらに、様々な空想がかけめぐる。

「どうも、ごちそうさま」
 最後にそう横柄に言うと、男性は金を払い、芽依に少しの消化不良を与えたまま、静かにそのまま店を後にした。

 結局、なんだったんだろ。
 芽依は空のグラスの残る男性のいたテーブルに近づく。
 すると、足元にあの手帳が落ちているのを見つけた。
 芽依の目がきらりと光る。
 芽依は誰も見ていないことを確認して、片付けるふりをしてするっと手帳をエプロンのポケットにすべりこませた。
 そうして何食わぬ顔で食器を洗い一通りの作業をすませると、店長に告げていつもより早めの休憩時間に入った。

 ではでは、御開帳――。
 裏口のゴミ箱の横にかがみ、芽依はひとり、男性が残していった手帳を開いた。
 そこには小さな文字でびっしりと、以下のような文言が書かれていた。

 拝啓 山形芽依様
 本日はお日柄もよく、いかがお過ごしでしょうか。
 今日は思い切って僕の気持ちを告白しようと思います。
 あなたに初めて出会ったのはそう、2年まえの冬のことでした。
 今でもはっきり覚えております。
 あなたはまだ大学1年生でしたね。僕はというと、60歳をむかえる年でした。
 あなたは真っ赤なニットを着て、金色のピアスをしていましたね。短く切りそろえられた茶色い髪の毛が子犬のようにかわいらしかった。
 そう、僕はあの日、あなたに一目惚れをしてしまった。
 こんな僕を許してください。
 嫌いにならないでください。
 僕はいつもあなたを見ていた。
 あなたを思わない日はなかった。
 それをどうぞ知ってください。
 毎日、毎日、僕の頭の中はあなたのことでいっぱいです。
 毎日、毎日、あなたのことで頭がいっぱいです。
 どうか、僕にやさしくキスをしてくれませんか。
 どうか、僕を愛してくれませんか。
 もうあなたなしでは、僕の毎日は成り立ちません。
 それをどうか分かってほしくて、今日は勇気を出して、店に来ました。
 ああ、あなたは今日も美しい。
 あなたの笑顔がまぶしすぎて、僕は目もあわせられない。
 どうかこんな僕をゆるしてください。
 そして、どうかこんな僕の想いを、受け取ってください。
 この手帳を読むころ、僕はもう店にはいないでしょう。
 明日もまた、来ます。
 返事をください。
 それでは。
 お体を大切に。

 佐藤大輔


 芽依は読んでいて眩暈がした。
 手帳から目を離し、青空を見上げ、大きく深呼吸をする。
 そして読み終わるころ、軽くパニックになっていた。
 どうしよう、警察に通報したほうがいいだろうか、そんなことをしたら大事になって逆恨みされるかもしれない、それならいっそ明日きちんとお断りの言葉を伝えてまるくおさめるべきだろうか――。
 芽依の頭は混乱しながらも考えられる手段を片っ端からあげていた。

 それにしたって、どうしてこう、日本語の愛の文章ってダサいんだろう。
 これが英語だとおしゃれに見えるだろうに――。
 そんな本筋に関係のない感想まで浮かんでくる。
 なんだか悔しかった。
 突然、自分の身にふって湧いたラブロマンスが、なぜこんな犯罪まがいなのか。
 かねてよりひそかに白馬の王子様を待ち望んでいた芽依は、彼の好意に、裏切られた気持ちになっていた。

 その夜、芽依は自宅にその手帳を持ち帰った。
 芽依は一人暮らしであった。
 帰り道、芽依はわざといつもの帰り道ではなく、コンビニに立ち寄り遠回りをして帰った。
 暗い道を避けて、後ろから近づいてくる足音をすべからく避けて帰った。
 
 風呂からあがり、芽依は再び、手帳に目を通した。
 はあ。
 ため息ばかりが口をついて出る。
 バイト、やめたほうがいっかなあ…。
 なんだか憂鬱になってきた。
 こんな時、素敵な彼氏がいたら、相談できるのに。
 芽依は、追いかけている男性アイドルの写真を見て、その夜ひとり静かにベッドの中で自分を慰めた。

 翌日、芽依の遺体は河原で発見された。
 衣服ははぎとられ、首には絞められた跡がくっきりと、残っていた。
 自首した犯人は、担当の刑事にひとこと、「僕は今、とても幸せです」という言葉を残したという。

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