みじかい小説 #130 『桜と世界史』
春の陽気に誘われて、洋平は世界史の勉強を中断して散歩に出かけた。
ある晴れた日の、午後のことである。
家の近くの小川を北に500mほどさかのぼり一級河川に沿う土手に出ると、洋平は大きく腕をぐるりとまわし歩をゆるめた。
風があたたかい。
見ると土手の斜面には、ふりかけをこぼしたように菜の花がぽろぽろと咲いている。
見上げると等間隔に植えられた桜の花が洋平をおおっている。
どの木も競い合うように満開である。
首をぐるりとまわし、洋平はあたたかな春のなかにまぎれこんだように自分の体を泳がせた。
世界史の勉強は進んでいない。
まだ中世ヨーロッパである。
中世ヨーロッパには、桜の木はあったのだろうか。
洋平はそんなことを考えた。
桜はバラ科だ。バラはあったろうから、たぶん似たような木があったに違いない。
でも日本のように季節を代表する樹木にまでならなかったのはなぜかしら。
洋平はそんなことを考えながら、土手をぽてぽてと歩く。
あたたかな風とやわらかな午後のひかりが、洋平をつつむ。
世界史といえば、いつだってどんぱち戦争をしているけれど、歴史の勉強が戦の歴史になるのはなぜかしら。
洋平は考える。
人は争うものだから。
そう言ってしまえれば簡単でいいのだけれど。
何かもっと言葉が欲しくて、洋平は視線を遠くにしてみる。
人は争いもするけれど、疲れるし、学ぶものだから。
だから戦争ばかりじゃない歴史がある。
世界史といえばどうしたって、どこの国がどこの国を滅ぼしたという話になるけれど、そうじゃない。
文化は混ざり合い、芸術は高め合い、人々はさかんに交流し、貨幣は動き、文字が残される。
動きの少ない島国の日本のなかにあっても、日本人同士であっても、それは同じだったはずだ。
戦ばかりじゃあないんだ、決して。
昔の人も、こうして花の中に身を躍らせたりして散歩を楽しんだことがあったのかしら。
洋平はぶらぶらと十分ほど歩いてまわると、帰りに本屋に寄った。
そうして並べられている本の中から「ケミストリー世界史」という文庫本を選ぶと、発行された年月日が近年であることを確認してレジへ持って行った。
こんな視点もいいじゃない。
洋平はそうひとりごち、残りの帰り道を、本の入った本屋のビニール袋をぶらぶらさせながら歩いて帰った。
その肩にひとひらの桜の花びらをのせて。
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