見出し画像

みじかい小説#127『けやき』

 間道を抜けると、そこは広小路であった。

 道の両側にはけやきの木が等間隔に植えられ、その枝は空高く扇形に広がり、路面に涼やかな陰影を落としている。

 欅の木は、もともと「けやけき木」といったらしい。
 「けやけき」というのは、古語である「けやけし」という形容詞の連体形で、その意味は第一に「風変わりなさま」、第二に「特別なさま」、第三に「すばらしいさま」、第四に「不快であるさま」と辞書にはある。

 この「けやけし」という語は、非常に面白い語である。
 第一の「風変りなさま」にあるように、さいしょは単に変わったものを示す語だったらしい。辞書にのっている出典は、なんとかの有名な『源氏物語』である。『源氏物語』といえば、1000年前に書かれた紫式部による長編小説である。そこに、「けやけし」が使用されているのである。
 第二の「特別なさま」という意味で用いられるようになった理由は、容易に想像がつくだろう。はじめは単に変わったものとして人の目にとまっていたモノが、徐々に誰かの「特別なモノ」になってゆく。こちらの出典は『大鏡』とある。『大鏡』は、源氏物語とほぼ同時代に書かれた歴史物語である。今も昔も、人の心というものは変わりがないのだ。
 第三の「すばらしいさま」の出典も、『大鏡』である。誰かの「特別なモノ」になったモノが、そのまま「すばらしいモノ」でもあったのだろう。今でいう、「推し」というやつである。人の心は、今も昔も変わらない。
 面白いのは第四の「不快であるさま」の記述である。こちらの出典は、『源氏物語』に影響を受けて書かれたと言われている『夜の寝覚め』という悲恋物語である。さて、なぜそれまで「すばらしいさま」とまで絶賛されていた「けやけし」という語が、ここへきて「不快であるさま」といった意味を持つように至ったのであろうか。
 これは私の勝手な憶測だけれども、その理由は二通り考えられる。
 一つには、非常に好きなものは「好きすぎる」という感情が縛りとなり自らを苦しめるため、好きであると同時に非常に不快なものでもありうるという気持ちがそうさせたのではないか。
 二つ目には、誰かが何かを「推し」ているとき、それを見た誰かが異様に思ったり、場合によっては「キモ」と感じたりすることが、当時もあったのではないか。
 この二つが私の考える勝手な解釈なのだけれど、果たして真相はどうであるのか、興味を持たれた方は、ぜひご自身でお調べいただきたい。丸投げ。

 今回は、川端康成の『雪国』の冒頭、「トンネルを抜けると、雪国であった」という一文が頭に浮かび、思わず似たような「間道を抜けると、そこは広小路であった」という一文ではじまりましたが、筆のおもむくままに「欅」に焦点を当て、そこから「けやけし」という語を紐解き、果ては勝手な想像までしてみましたが、図らずも現代の「推し」とその周辺の人間感情にまで思いを馳せることになりました。

 個人的には「推し」は推せるときに推しとけよ!とは思います。
 なにせ奇跡的に「推し」を推せる環境に生きているわけですから。
 願はくは、そういう人を見て「キモ」という感情を抱いてしまう人の上に何らかの「推し」が降臨し、一人のこらずずぶずぶと沼に沈んでいきますように。

 推せる何かがあるってことは、とても幸せなことだと思います。
 その感情が、とうとみ。



 
 

よろしければサポートをお願いいたします!励みになります!!( *´艸`)