遁走の話し (2)
お店に入ると僕以外にお客は居なかった。
テーブルを拭いていた若いアルバイトらしき女性が
「お好きな所にお座りください」
と声を掛けてきたのだが、カウンター席にするべきかテーブル席か1人なので悩んで立ち尽くしてしまった。
「空いてるから広いテーブルで良いよ」
と店の奥からマスターらしい恰幅の良いでも優しそうな男性が声を掛けてくれたので、僕は綺麗に片付けられたテーブル席へと座り込んだ。
とりあえず何を頼もうか…お腹はメチャクチャ空いてはいるけれど何故かビールも飲みたい。
自分の記憶は無い癖にビールが飲みたいとかちょっと可笑しくて1人でクスリと笑った時にアルバイトらしき女性が注文を聞きにきた。
身長は150cmくらい、少し茶色で後ろに縛った髪の毛が照明でキラキラしていた。
胸の名札に「凛子 オススメはザンギ」と書いてあるのが目に入った。
「お客さん何か飲みますか?」
お通しの煮物を置きながら凛子さんは聞いてきた。
明るくて聞きやすい声だった。
僕はとりあえず瓶ビールと凛子さんオススメのザンギを頼む事にした。
「ここのザンギを食べたら他では食べられませんよ」
凛子さんは踊るように注文を取り店の奥へと向かっていった。
さて、まずは自分の所持品を確認してみよう。
食事にあり付けて少し落ち着いた僕はポケットの中を探ってみる。
まずは財布、残金は約4万円と小銭。
ここに来るのにどれだけのお金を使ったかも分からない、手元のお金はこれだけなので少しでも節約しないといけないな…と思った。
右腕にはオメガのスピードマスター。
なぜこんな高価な時計をしているのか…まあいざとなったら売る事もできるし大切にしておかないと。
あとは札幌駅の売店で買った水とガムのレシートと財布の中にあった電話番号だけのメモ用紙が2枚。
やはり大きな駅の記憶は札幌だった。
持ち物はそれだけ。
身分を証明できる物は何ひとつ持っていなかったのはガッカリしたが、メモ用紙の電話番号と札幌から来た事は分かった。
窓の外に駅の出入り口が見える。
もしかしたら僕が出した切符が回収されていて何処から来たのか分かるかも知れない。
そんな事を考えていたら凛子さんが瓶ビールと山盛りのザンギを持ってきた。
「お待たせしました、瓶ビールと名物のザンギです」
もう見た瞬間に僕の胃袋はギューギュー鳴っていた。
瓶ビールから注がれる黄金色の液体と真っ白な泡、凛子さんは注ぐのが上手かった。
そしてザンギの匂いと言ったらもう白飯を頼んでガツガツいっても良いくらいだった。
色々考えるのを止めて今は食事に集中した。
飲んでも食べてもどんどん胃袋に入っていく。
凛子さんに
「慌てないでくださいね」
と笑われつつも口にほうばったまま「ふぁい」なんて変な返事をする僕をまた笑って奥へと消えていった。
一通り食べ終わるとマスターが出てきて
「ラーメンでも食べるか?うちは味噌じゃないけど」
と言ってくれたのでまだ腹八分目だった僕はお願いをしてお店のカウンターにあった観光パンフレットを持ってきて読むことにした。
帯広も近いし明日はそっちで情報収集をしてみようか。
いや今夜の宿を決めるのが先か。
節約したいから安い宿が良いかな…ネカフェは最初に身分証いるだろうしな…なんて考えていたらマスターがラーメンを運んできてくれた。
さっぱりとした透明に近い昆布だしの匂い。
具はシンプルにネギとナルトとメンマ。
美味すぎる、なんだこれ。
食べているとマスターが声を掛けてきた。
きっと薄着でビクビクしている男を怪しく思ったのか心配してくれたのかは分からない。
「どこから来たんだ?薄着だから東京か?」
「あーーそんな感じです」
「なんでこんな街に来たんだよ」
「なんとなくですかね」
記憶が無いのでマスターの質問に答えられずにのらりくらりと返事をしていた。
「今夜泊まる所はあるのか?」
「いやそれがまだ決めていなくて…安い旅館とか民宿とかないですかね、身分証を落としてしまって自分を証明出来る物は何も無いのですが」
最後の部分だけは正直に答えた。
その時、凛子さんが
「私のお婆ちゃんが駅前で小さな駅前旅館をやっていて素泊まり4500円だったかな、聞いてみようか?マスターが身分明かしてくれたら平気だよ」
凛子さん神すぎる。
マスターは「仕方ねーなー」と言いつつ凛子さんのお婆ちゃんが経営する旅館に電話をしてくれた。
「明日詳しい話しを聞くのが条件だからな」
とりあえず今夜の宿は確保した。
連泊させて貰っても1万円でお釣りはくる。
凛子さんに旅館までの地図を書いてもらいマスターが「少しサービスしてやるよ」と言った1500円を支払って僕はその旅館まで歩くことにした。
捨てる神あれば拾う神ありだ。
旅館へ行く前に僕は駅へと寄ってみた。
もしかしたら回収された切符で何処から来たのか分かるかも知れない…そんな淡い期待を胸に駅員さんに何と聞くべきか、なんて考えながら駅の窓口に声を掛けた。
「実は自分が乗ってきた切符を記念に頂くのを忘れてしまってもし可能ならば頂きたいのですが…」
口から出まかせが上手すぎる、今までどんな生活をしていたんだ僕は。
しかし残念ながら切符は貰えなかった。
しかし駅員さんは僕の事を覚えていて、札幌からの乗車券を持っていたと教えてくれた。
うーーんやはり札幌か…でもこの薄着の感じだと札幌に住んでいたとは考え難いな。
なんて思いながら駅員さんにお礼を言い、僕は凛子さんのお婆ちゃんが経営すると言う駅前旅館に向かった。
そこは昔ながらの駅前旅館と言った佇まいで入り口を見ただけで僕は魅了されてしまった。
でも早く寝たい…身体は鉛のように重かった。
第2回はここまでです。
次回より本格的に遁走が始まりますのでお楽しみに。
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