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流産した話

まず、この手の話が苦手な人がいたら、
戻って頂いたほうが良いかもです。
ごめんなさい。
私は文字にして自分の気持ちを吐き出すことにより精神が保てる部分が多いので、完全なる自己満足による日記になると思います。
単純に読みたい人だけ読んでもらえたら嬉しいですし、他人の不幸が好きな方もだいぶ暗い内容になるのでオナニーするには最適なオカズだと思いますw




ではここから。
6月3日の日に生理が遅れていたので、妊娠検査薬を使ったところ、陽性つまり妊娠しているとわかった。こんな素敵な日にわかるなんて、本当に嬉しくて、今日は良いことばかりで嬉しいなぁって純粋に思った。同時に他人の幸せな話なんて聞くとイライラするって人もいるだろうし、みんなには言わないでおこうとも思った。

6月4日、夫と私が付き合い始めた日にイオンで葉酸サプリ、ノンカフェインのコーヒーと紅茶、母子手帳ケースも買った。夫にまだ早いといわれたけど、早めに早めに準備をしなくちゃとやたら私は気合が入っていた。ミミッキュやピカチュウの小さいTシャツが売っていてこういうの着せたいねとか二人で話した。ベビーカーは使わないでいいよね、横浜じゃ逆に邪魔って言われたりするしって。

6月5日、普通に仕事をきちんとこなして、女性の係長や、ゆりこさんには話した。二人共すごく喜んでくれて、本当に嬉しかった。仕事のことは気にせずに自分の体を最優先に考えてほしいと言われて、本当にこの職場は温かいと思った。里芋に盗み聞きされて、里芋がなんか嫌な顔をしてべらべら話していたけど、まぁいいやって思ってた。ただ、窓口が物凄く混雑していたのでお昼休みもとれずにお昼ごはんも食べられなかった。

6月6日に病院を受診して、確かに命がいることが確認できた。まだ心拍は確認出来ないが、そこに確かに命があるということは確認ができたんだ。エコー写真も喜んでずっと見ていた。病院帰りの雨の中、迷子の小学生がいたから保護をして学校の担任に引き継ぎをした。私が市職員であったため、その後について学校からの事情を聞いた。大丈夫かな‥と心配しつつ、あの子の未来が明るいものであるように祈るしかなかった。

6月7日に課長と男の係長に報告をしたら、本当に良かったね!と凄く喜んでくれた。産休に入るのは12月20日くらいからだとか具体的な話もした。仕事の調整とかちゃんと頑張らないといけないなって思った。

6月7日の夜に鮮血が出血して夜中に大きな病院に行った。検査をしたけど、週数がまだ短いからわからない。なんとも言えないと言われた。不安で仕方ないけど最悪なケースを想像したら涙が出そうになったが、たまたま救急にいた赤ちゃんとお母さんがいて、お母さんが酷く疲れていたので代わりに赤ちゃんを抱っこした。赤ちゃんは軽くて温かくて私自身も癒やされたので助けられた。親御さんにはめちゃくちゃ感謝されたけど、むしろ私がめちゃくちゃ感謝したい。

6月8日そんな精神状態の中、頑張って仕事にいった。若干お腹が痛かったりしたけど頑張って仕事をした。16時40分にマイナンバーの不祥事のクレーマーをうけた。40分はずっと立ったまんまでずっとクレームを聞かされていた。原因は自治体にないのに国のコールセンターに聞いたら自治体を案内されたそうだ。完全なとばっちりってわつだ。

「お前らが全員◎ねばいい、お前らなんて生きてる価値がないんだ」と怒鳴られ続けた。
お腹の子と私は立ち続けて頑張ったんだ。

「私達は◎ねと言われても、頑張って生きようと立ち続けたんだ。」

もちろん管理職もみんな来てくれて、心強かった。

6月9日の朝に一気に大量の出血があり、私でも「これはもうだめだ」とすぐに分かった。
それでも仕事に行こうとしたけど、体調まで悪くなってきて、仕事を休み病院にいくことにした。
係長に仕事を休む旨の話をして、ゆりこさんにはきちんと状況を報告をした。

先程、正式に「流産」と診断された。
流産する確率は17%の割合。
私の場合は2回も子どもを失ってるので、私は子どもを生む才能がないのかな。
特定疾患の難病の確率も10%。
こういうハズレくじだけは当たる自分がちょっと面白い。

一週間だけでも、第二子の母親になれただけ私は幸せだと思う。本当にありがとう。
妊娠したことを後悔してないし、家族を喜ばせてくれてありがとうって思うし。
そう思ってないとやってられない部分もある。

私に出来ることは、自暴自棄にならずに
毎日を過ごしていこうと思う。

ただ、自分の機嫌を取るために9月までは避妊をしなきゃいけないみたいなので、たまにお酒でも飲んだりしよう。

冷静を装って書いたり、冷静な態度でいることは精神衛生上良いんだと思う。
感情を爆発させると精神が壊れてしまいそうだから。