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精神安定の手段として

自分でツイートして気付きを得たので忘備録としてメモしておこう。
私自身、今までそんな能力も高いわけでもないのに周りから「協調性がある」「責任感がある」と勝手に評価されて、任されてきたものが多かったり、自分自身が人の力になりたいと引き受けることも多かった。

それでだんだんキャパが少なくなってくると
「もう!なんで次から次へと試練が来るんだよ」って勝手にイライラし始める。
そして文句を言いながらもタスクをこなしていく。そして、一つ解決したら、じゃあ次はこれをやりましょうと次から次へとタスクが増えて、自分自身が疲れてしまう。

そもそも、なんで「きちんとすること」「きちんと任されたことを全てやらなきゃ気がすまない」のか。

「出来ませんでした」「やったけど無理でした」って言うことを自分自身が一番許せなくて、そういう事態になった際、自己嫌悪になり、希死念慮が出て、最終的に自殺未遂までしてしまったことが過去にある。

自分自身が「できて当たり前」「自分が失敗したり、自分ができなかった」というのを認めたくないってプライドの高さから来ているのかもしれない。以前、プロおごに指摘をされた「自分に自信があるから羽生結弦くんと比較されて真面目に落ち込むんじゃない?」って言葉をずっと納得できなかった。しかし、私は自信がないわけではなく、努力して最後まで逃げずに結果も出したし成果も上げてきたという「自信」があったんだとようやく気付いた。
ずっと自分は自信がない人間だと思っていたけど。

あと私の現実世界の友人が結構「妹気質」なところもあるからか、「私がしっかりしなきゃ」「私がちゃんとしてないと、友人に迷惑をかけてしまう」という強迫観念も勝手に出ていたのかもしれない。(草は頑張り過ぎだよ、もっと肩の力を抜いて〜なんて無邪気に言ってくれるのに)

以上の理由から
自分の精神安定の手段として
「きちんとやってる自分でありたい」
手抜きをしたり、自分でサボったりすると
「自分はちゃんと出来ていない」と自己嫌悪から希死念慮が出てきてしまうから。

ようやくプロおごから指摘された理由がなんとなく自分で見えてきた。
私自身は「大変な中、きちんと逃げずに成果を出してきた」ことに自信を持っていたんだと。
だから今でもそういう生き方や選択肢をしてしまいがちなんだと。

ただ、このままの思考回路でいくと
我ながら人生の後半が確実に生きづらくなっていくなという自覚があって。
現在は30半ばではあるが、40代、50代と突入すると体力も衰えてきて、どうしても若い時代の自分と比較して成果を上げられない頻度が増えていくのは目に見えている。

この精神安定の手段をそろそろ別の方法にシフトしないと、私は父親と同じ道を辿ってしまいそうなので、それは避けたい。

またこの手段の変更は別の課題として、また気付きを得た時に書いておこう。