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良寛さん

了寛さんは、優しく何でも受け止めるような印象がありますが、その求道にたいする純粋な思いは、激しいものだったようです。

僧伽(そうぎゃ) 現代語訳


頭髪を剃って僧侶となったからには、衆生に喜捨を乞うて修行するわけだ。それを自分ですでに承知していながら、どうして反省しないでおれよう。私の見るところでは、世の僧侶たちは昼も夜もわけもなく読経と説教に声をはりあげているだけである。ただ生活の資を得るために、一生、心を外部にばかり馳せているのだ。在家の衆で仏道に志さないならまだ許せようが、出家した者がそのこころざしを持たないとは何たる心の汚れようか。三界への執着を断つために髪を剃り、現世の事象の本来無であることを悟って墨染め衣をまとったのである。恩愛のきずなを捨てて禅門に入り、是にも非にもかかわらない境涯になったのである。世間どこを歩いてみても、男も女もそれぞれ何かして働いている。機を織っては着る衣をつくり、田を耕しては食う米を作っている。それなのに、今日僧侶と称する者どもは、行もつまなければ悟りももっていない。いたずらに檀家からのお布施を費して、仏戒の三業も顧みようとはしない。大ぜいあつまって大法螺をたたき、旧弊のままに朝な夕なをすごしている。外面はもっともらしい顔をし、よその婆さんたちを迷わせている。それを世渡り上手だと自惚れている。ああ、いつになったら目がさめるのだろう。たとえ子もちの虎の中へ踏み入っても、名誉や利得の路に迷いこんではならない。すこしでも、名利の欲心が起これば、大海の水を注いでも洗いつくすことはできない。親爺がお前を出家させてから、朝な夕な何をしているのか。焼香して神仏を請い、いつまでもお前の道心の堅固であるよう祈願しているのに、そんなことでは初志とは矛盾しているではないか。三界は宿舎のような仮のやど。人命は朝露に似てはかなく消えるものだ。修行の上の好時期は失いやすく、仏法の正門もめったには遇えないものだ。さアさア、見ばえのある良い色彩を打ち出すべきだ。手をかえて他からよぽれ注意されるのを待つまでもない。私が切にくどくど言うのも、決していい仕業ではない。明日といわず、すぐに今から、よくよく考えなおして、お前の態度をあらためるがよい。後世にうまれた者は、自ら勉励して、内心に不安や危惧をのこすことがあってはならぬぞ。

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