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2020年4月20日雨。家で仕事をしながらふと「密です」と独り言

山本ムーグ様

 柿の実の味を変えないために柿の木を接ぎ木するとは初めて知りました。接ぎ木の技術って一種の移植手術のようなもの? よく考えたら僕は紙を接ぐことがあります。観音開きや蛇腹折りなど本の中で折りたたんだページを作るとき、手製本だと自分で切った紙にのりで貼って接ぎ足すんです。そうやってページや拡張するみたいに(フィルムを編集するみたいに)植物も人の手でエクステンションできる。でも、新しい葉を茂らせて花を咲かせて次の実を結ぶのは植物だからこそ。

 ムーグさんが植物との関わりを「ともだち」という言葉で表現するの、いいですね。もともと生け花マニア(?)だったみたいだからデザイン的なオブジェクトとして、宇宙や自然を表現するメディウムとして、DJが音盤を扱うようにいじってるんじゃないかと思ってたんですけど、そうか、ともだちなのか。対等で仲良し。互いに必要としている関係。しかもひらがなで書くから、きゅんとさせられますね。

 ここでなぜかふと「歌はともだち」という子どもの歌を思い出して、誰が作詞したんだろうと調べてきたら阪田寛夫。「サッちゃん」や「おなかのへるうた」と同じ作詞家だったんですね。

 歌はともだちだ 歌はよろこびだ 歌はあふれだす ラララわきあがる

 出だしの歌詞を覚えているのは子どもの頃テレビでよく聴いていたからかな。何かの合唱の課題で練習したからかもしれない。歌詞は覚えているのに、いつどこで誰と歌ってたかなんて全然思い出せないんだ。自分が体験したことはすっかり忘れているのに、音楽はもっと抽象的で確かな真理として揺るぎなく心の奥底にまで染みついている。そういえば、幼い頃の友だち、もうずっと会っていないのに当時のアルバムを見るとなぜか名前がフルネームで言えたりして自分でも驚くことがある。就学前のことだから字面ではなく音で覚えている(漢字でどう書くかは知らない)。記憶って不思議。

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C is for cryptic 謎めいたCの字

 運動不足なので縄跳びでもしようと思っていたら今日は朝からずっと雨が止まないので結局何も運動もせず、デスクワークをして家の中を歩いただけ。多くの人が移動せず自宅にひっそり生息しているこの感覚はなんだか植物に近付いたというか、いまは人類史上もっとも植物的な時代?

 自宅のポストには普段なら展覧会の案内が封書やはがきで届くのですが、最近は美術館の封筒で「展覧会中止のお知らせ」と表書きされた郵便物が目立つ。一通開けてみたらあまりにも事務的な文面が一枚出てきただけなので、以後はもう開ける気にはなれず。こういうのはホームページのお知らせで十分で、わざわざ出勤して郵送しなくていいのにね。いろんなことがどうかしています。

楠見清 



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