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父への思い

7月に父が亡くなり、先日100日の法要が終わって少し日常に戻りつつある。

父とは表立って仲が悪いわけではない。6年前から同居もし、世間的には仲の良い家族として映っていると思う。
父にはずっと小さなわだかまりを持っている。死んでしまった今もずっと、私の心にとどまっている。
父が酷い人間だったということはなく、それこそ世間的には’いい人’であるし、心根の優しい人であることは間違いない。
でも、私は心の一部でずっと父が嫌いで憎んでいる。

父は5歳の時に父の父、私にとってのおじいちゃんを戦争で亡くした。
長男だった父を含む男の子3人兄弟と母親であるお祖母ちゃんが遺された。

教師であったお祖母ちゃんは女手ひとつで男の子3人を育て上げた。
コンビニとかスーパーのお惣菜とかがない時代、それはきっと大変だったであろうといつも想像する。

長男である父は「自分ががんばらなくては」という思いも強かったのだろう。泣き言とか愚痴を父の口から聞いたことはない。
高度成長期のモーレツサラリーマンで家に居ることが少なかった。毎晩夜中に帰ってきては朝早くに出勤していった。

金銭的なことで家族に苦労をかけたくない、家族に普通の暮らしをさせてやる。
きっとそれが父の思いだったのだろうと思う。

そして父は感情表現が極端に下手な人だった。
私や兄に対する愛情は普通にあったと思うが、それを態度や言葉で受け取った記憶がない。
仕事でいつも疲れていたためか、休みの日は朝から晩まで寝ていることも多かった。
たまに家族で出かけることがあっても子供と一緒になって遊ぶなんてことはなく、遊びに連れてきてやったという満足感?自分の役割を果たした感?からか、早くに帰りたがった。

そして父はものすごく怒りんぼうだった。
「○○しなさい」という命令口調で話しするか、黙っているか、もしくは怒っているか。
私の幼少期の父に対する記憶のほとんどがそれだ。

私に対する関心は本当にあったのだろうか。
愛されていたんだろうとは思うけれど、条件付きの愛情のような気がしている。
ちゃんとしている私、世間一般的に普通の場合の私だけを大事に思っているのではないかとずっと疑っていた。

だからか。
私はいろいろ自傷行為をしてきた。心身ともに。
父を試してみたかったのかもしれない。
ダメな私でも愛してくれるのかどうか。
でも、それなのに、自傷行為をしている自分を隠した。きっと父が悲しむから。それを知ったら父が苦しむ。

思い出した。
ある行為を父に隠すときに、「お父さんを守る」ために隠そうと思ったことがあった。

支離滅裂だ。。
父に対する反感や不満、猜疑心から父が嫌がるであろうことをするのに、それを知られると父が悲しむから隠す。

そして自分の支離滅裂さが嫌いである。
ホントーに大っ嫌いで扱いに困っている。

理論の流れがないことが本来は苦手で、
「○○だから△△になる、△△だから◇◇になる・・・」
のように流れていると気持ちいい。
そう、経済学の授業のような感じの流れ。

だから流れのない?分からない?自分の感情や行動が理解できずにずっと苦しんでいる。・・ように思う。


こう書いてくると、父との関係で気持ちがモヤモヤしてたのではなく、自分の感情を自分で納得できるように整理できていなかったのではないことがモヤモヤの原因だったのではないかと思ってきた。

本当は父に対する不満をもっと具体的に書こうと思ったけど、何を書こうと思ったかが頭から消えてしまった。

父の悪態をWEB上にさらせば少しは気が収まるかと思ったのに。


私の立ち止まってた部分が、少し前に、一歩前に進めそうな感じがしてきた!!

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