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スポーツを通して学ぶこととは

皆さん
こんにちは。
今回のテーマは「スポーツを通して学ぶこと」について私なりの競技経験を元に、指導のゴールについてを考えました。
今回のテーマについては結論から提示し、何故そのような考えになったかを生い立ち、競技の性質、まとめの順に進めようと思います。
では、いきましょう。

私なりのスポーツ指導のゴール

私の考えるスポーツ指導のゴールは「自分で考え判断できる力」を身につけさせることです。
正直、大雑把で具体的ではありません。
しかし、何故そういった考えになったかをまとめていきたいと思います。
理由がわかれば私の考えが伝わると思いますし、それぞれの解釈で考えてもらって構わないと思います。
また、現時点では私はこう考えていますが、きっと今後変わる可能性もあると思います。
とにかく、まとめていきましょう。

何故こう考えるようになったか(生い立ち編)

まず、私の競技生活時代の経験と体験を元に話を進めていきたいと思います。
私は3歳から5歳まで幼児向けの体操クラブに通っていました。正確には通わされていました。
小学校に上がる頃には、近所の友人と共にサッカーをはじめ、気付くと水泳も行っていましたが、小学3年生の頃から再び体操の世界に足を踏み入れました。
それから大学4年生まで体操を続けてきました。
体操競技の面白い面、楽しい面も経験しましたし、苦しい面や難しい面も経験してきました。
特に、苦しい面や難しい面からは、ある意味多くの気付きを与えられたと思います。

何故こう考えるようになったか(競技性質編)

体操競技は団体戦、個人戦、種目別戦と様々ですが、団体戦でも個人の点数を団体の点数に反映させる性質上、個人戦と捉えても間違いないでしょう。
そのことから己と向き合う時間が重要になりました。
ここが難しい面です。
練習で手を抜こうと思ったら手を抜けてしまいます。
また、自分と他の人とでは技の感覚にズレがあることもあり、アドバイスを個人の解釈に落とし込み、自分の感覚に変えていく必要があります。

何故こう考えるようになったか(まとめ)

スポーツに熱中する人は、それに多くの時間を費やすことになりやすいです。
特に学生時代は勉強の時間よりもスポーツをしている時間が長くなる傾向があると考えます。
監督やコーチの指示に従い、言われたことを熟す日々を送ります。
そんな人が引退し最も困ること、それは「何をすればいいかわからない」です。
言われたことだけをできない子を良い子と思い指導を続けていけば、いずれ選手は選手でなくなった時に「今までの時間は、今まで培った努力はなんだったんだ」と思うはずです。
そこで必要なことは、私の考える指導のゴールとして提示した「自分で考え判断できる力」を身につけることになるわけです。
スポーツの世界から離れて社会に飛び出したとき、自分の考えを的確な判断で行動に移せることは、一瞬一秒単位で戦ってきた経験が役に立つと私は考えるのです。

まとめ

私は今後も体操の指導を行う上での基礎にこのゴールを掲げるでしょう。
よっぽどのことがない限りは、この根底は変わることはありません。
もちろん、いつ子どもたちがこの事に気付くかはわかりませんし、もしかしたら気付かないこともあるかもしれません。
しかし、そのスポーツの技術や結果だけを追い求めて自分本位に指導する事は、子どもたちの未来を奪う事になりかねません。
技術や結果以外の面で、スポーツの魅力や考えることの楽しさ、面白さを子どもたちに伝えることができる人間になりたいと思います。

以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
では、また。

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