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師走でごわす🍃今更出産レポ

今年はコロナコロナコロナだったけど、なんかすごいことになる前ギリギリ立ち会い出産もできて(退院前日にはもう旦那しかお見舞い禁止だったけど)無事息子に会えて今のところ元気に育ってくれてて私にとってはすごくいい年でした。


出産のエピソードってどこにもまとめていないので、ここに記させていただきます。

私は予定日2日前に破水。

この破水も、もう後半って尿漏れが趣味みたいなところがあるので、たらたら流れているけどこれはどうなのか?止めようと思って止まらないのは破水というがそうなのか?全く分からず1人であわあわしてました。ラッキーなことにその日は夜勤だった旦那を起こして、破水したかもっていうと、タオルを持ってきてくれて、止まらなかったら破水だよ。下にタオル敷いて!と、指示出してきて、前日まじなんにも調べてないな!って怒っただけある。やるやんってなりました(自分から調べてくれたらなお惚れた)私の母親にも連絡して「まじー!仕事休むわ、すぐ行く」と、会社に着いたばかりの時間だったけど、わたしの母親もリターン。義両親には、破水しましたとだけ報告。

そして、破水だねとなり、その日から入院になりました。破水したものの陣痛もこないので、散歩してねって病院の4階まで上がったり下がったりしてました。でも、もう少しコロナの気配を感じていたので、アルコールとマスクはお願いしますと言われました。


そして、その日は生まれなさそうということで一度母は帰宅。旦那家族も来てくれたけどいやまだ産まれる気配ないので、挨拶と少しお話をして帰宅(隣の県からわざわざすみません)わたしの母、妹、旦那が泊まってくれました。1時間ごとに助産師さん来てくれるけど、陣痛が強くなったり弱くなったり、旦那の髪の毛を結ぶ余裕もあって(髪の毛伸ばしたらさくらんぼヘアーしてさくらんぼちゃんとか言ってふざける余裕があった。今ならわかる。そんな痛みじゃ生まれん)感覚も6分まで縮まるけど、また間が空いたり、お腹すいたので痛みの間に母が作ったおにぎりを食べ、寝る痛いを繰り返したけど結局朝方落ち着いてしまったので、妹は学校へ。

(後日談で、妹は出産が気になりわ学校早退したらしく分娩室の外で聞いていたらしい。なので、私は無痛にする、無理と言ってました。それで正解。)


でも、もう朝は促進剤を使いますと言われていたので促進剤を投与してもらいました。そして、たまたま看護学校から実習生が来ていたので、付き添っていいですか?と言われ、(実際見てしっかり勉強しい!)という気持ちで「全然いいですよ」と伝えて男の子と女の子が着いてくれました。そこから本当にすぐ痛みMAXできた。その時点で、テレビはスッキリが始まりました。


痛い→気を失う→痛い を繰り返して気づけばスッキリが終わってヒルナンデスに入るところでした。このときお腹に赤ちゃんの心音測るやつ?を当ててくれてた男子生徒にお腹に当てながら、スッキリ見てて(おいてめー、勉強しにきたんじゃないんか!テレビ見とるな!休憩時間じゃねえぞー!!!)と思いましたが、所詮は他人なので心の中で思うだけにして、まだまだかかるよと言われて嘘だろ、ふざけんなという気持ちが止まらなかったけど、もう何も考えたくなかったので心を無に。全集中。無の呼吸状態でした。呼吸を整えようと習ったことを生かそうと女子生徒は、息吐いてください!ってはーはーふーーーーってやってくれるんだけど、まじそれ私の呼吸にあってないのよ!しんどいのよ、むり。ってなってるので、精一杯気を使って「分かったからちょっと黙ってもらっていいですか」と伝えてベテラン先生に代わってもらったりして過ごしてました。ベテラン先生はやはり上手。呼吸のタイミング合わせてくれる、安心感ハンパない。しっかり学べ、学生よ。

わたしは本当に痛みに弱いので、この時点で二度と嘔吐しました。お酒を飲んだ時吐くのが癖になっていた時期があったり、もうつわりで吐くのは慣れていたので、余裕で吐きました✌️


そして、ヒルナンデスも後半。先生が来て後1時間だねと…後1時間!?もう本当に無理。思い出している今も気持ち悪くなってきたレベル。


そして、ここにきて、トイレ(大)に行きたくなる(笑)もうパッドしてるし、漏らさせてくれと思ったけど、トイレ行ってきて下さーい!と言われ陣痛の落ち着く間にトイレ移動、痛いから止まるを繰り返してなんとかトイレへ。でも、結局出ずでまた痛い思いをして分娩台へ。そして、あ、開いてきたよーと言われて、いきみ許可も出て本格的いきみ。こんなに力入れたことないもう絶対無理と思う。ふと、旦那を見ると泣いていた!でも、わたしは花粉症の薬切れたのか?と思っていたけど、本人に聞いたら「わたしが痛がっていてつらいから、早く出てきてあげてよ!」っていう涙だったらしいです。なんやねん。

そして頭が出てきたくらいらへんで、母が「おねぇちゃん!(私のこと)髪の毛あるよ!!」っっっどーーーでもいい!まじで!(笑)それどころじゃない、あなた3人産んだんだから分かるでしょ、それどころじゃねぇのよ!!!!!でも、このあと二、三回言われた。私が赤ちゃんの時なかなか髪の毛生えてこなかったからだと思うけど、本当にどうでもよかった。その間も母に、はい!頑張って頑張ってー!とか言われたけど、もうずっと頑張ってるしうるさい!頑張ってる!と叫びまくり余計な体力使う。

他を知らないけど、私の出産した病院は、生まれる時まで私の股側までいけるし、へその緒を切れるのでもう母は先生たち側へ。


頭出てきてるよー!!!って言われて、そこで助産師さんが先生に何か話して、もう切るね〜って言われて切ってもらいました。友達から切られるときはもう痛み分からんよって言われてたんですけど、わたしはバリバリ分かりました。切った瞬間も。母曰く切った瞬間初めて血が出たらしいです。そして、そこからまた陣痛に合わせていきんでいきんでいきんで…どぅるん!ってかんじで息子が産まれました。でもなかなか出てくるのに時間がかかったのと、へその緒が少し絡まっていたみたいで息子は呼吸器つけてもらい、私も呼吸器はめて酸素送ってもらいました。(ここは酸素送られたんかよく分からないけど、飛行機のときに降りてくる呼吸器みたいなやつはめました)羊水を少し飲んだみたいだったので、吐かせておぎゃあーと声を聞かしてくれました。

本当にやっと会えた。やっと会えたねが初めて息子に言った言葉です。産まれた瞬間本当に1ヶ月分の便秘が解消された感じだった。言い方。

そんなこんなで、息子誕生。15時06分。促進剤を打ってから8時間の出産でした。ミヤネ屋が後半くらい。テレビつけながらだと時間の感覚が自然と分かるので、オススメ。

そのあと胎盤出したり(本当に特大のレバーのようだった)トイレできるかやるんだけど、本当に筋肉痛で力が入らなくて、おしっこですら力の入れ方が分からない…って感じだったので、私は尿道に管を入れて出されました。これも本当に不思議な感覚。もう助産師さん達には恥じらいはない。そのあと排便できるかもやるんだけど、なかなか力が入らなくて、なんかもうまたお腹から出てくるんじゃないかっていう感覚で。怖くて怖くて。三日目にようやく出せました。今日出なかったら、下剤出すねと言われていた。

産んでから言われたけど、息子は上を向いていたみたいで、本来なら下を向いてないといけないんだけど、上を向いてるから鼻がひっかかっていて、助産師さん達もあれ、これはやばい!ってなって股を切ることになったらしいです。本当息子、、、痛み増やすな(笑)

あと、血もずっと出てくるし、痛み止めでずっとロキソニンも飲んでいた。今思えばこれが後陣痛??ってやつか。私の病院の助産師さんに、薬はなんでも飲んでいいよ。と言われていたし、痛み止めがロキソニンだったので、ずーっとロキソニン飲んでました。

5日の入院でマスクは必ずしてください、で始まったのですが三日目から誰が面会に来るのか、その人の体温測ったり、四日目からは旦那と家族しか面会に来れない。退院時はもう旦那だけという状態になっていました。コロナが本当に近づいてきた時でした。

そんな感じで、これが私の出産レポです。12月頭から書いていたのに、年越ししてしまった。あけましておめでとうございます。




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