見出し画像

小説『天使が下した来世』

人間はいつか死ぬ。生まれるときは沢山の人に見守られるのに、死ぬときはいつも一人だ。せめて、来世だけでも自分の手で選びたい。そう、死んだ直後の人間たちは考えた。
その願いは天に届き、天国と地獄の間の場所で沢山の天使たちが死後の人間に話を聞き、そして天使が来世を最終決定するというルールを定めた。
今日も天使のもとにやって来る。半透明の人間たちが。

第1話 少女は夢を見る

僕は天使である。それ以上でも、それ以下でもない、天使である。
残念ながら、地上にいる人間が思い浮かべるような、羽が生えていて髪の毛がもしゃもしゃしていて頭に輪っかがあるような姿ではないが。それでもれっきとした天使である。先にこう言っておかなければ、いつも天使だと思われない。一体どんな解釈が広まっているんだ、まったく。
今日も死んだ直後の人間、つまり幽霊がやって来る。僕が担当しているのは日本という国だ。日本で死んだ人間しか僕のもとにはやってこない。

「今日来る幽霊は、10代女性、交通事故死、か」

いつも、幽霊がやって来る前にその幽霊の簡単な情報が教えられる。年齢、性別、死因くらいだ。知っていたところでなんともならないからほとんど教えてくれないのだろう。
僕の仕事はたった一つ、幽霊から来世になりたいものを聞き、希望した来世に本人が見合うのか審査する。そのためには、どのような人生を送ってきたのか、何が一番心に残っているか、など話を聞かなければならない。また、死後の人間はここまでしか生きていた頃の記憶を持てない。本当に最期の会話を交わすのだ。今はもう慣れたが、この仕事を始めたときは強い責任感に押しつぶされそうになったことをふと思い出した。

「日本担当の天使、幽霊が参りました。」

脳内に声が流れる。真っ白のポンチョを羽織り、幽霊との面会場所へと歩き出す。
生あたたかい空気を切り裂き、早足で目的地へむかう。
今日は、僕の担当の幽霊以外面会場所に誰もいなかった。小柄な少女が一人、佇んでいる。珍しいこともあるものだと思いながら少女のもと近づいていく。
僕がある程度近づくと、少女はつややかな長い髪を揺らして振り向いた。セーラー服、というのだろうか。恐らく学校の制服を着た少女は、屈託のない笑顔でこちらに微笑みかける。これほどまで、まるで自分が生きているかのように振る舞う幽霊は久々だった。

「こんにちは!こんばんは?わかんないけど、はじめまして!」

明るく、はつらつとした声が僕の耳を突いた。

「なんか、起きたらここにいて、誰かにここで待っていれば天使が来るって言われたんですけど、あなたも、そう言われたんですか?」

いつもの勘違いをされた。もう慣れたものだ。すぐに訂正しなければ。

「僕が天使です。突然ですが、来世は何になりたいですか?好きなものをお選び頂いた後、理由や生きていた頃の思い出などを教えてくださ・・・」
「ちょッ・・ちょっと待って!説明がほしい!どういうこと?来世?何の話?ここは・・・どこなの?」

ああ、そうかと思った。生きている人間のように振る舞っているのではなく、死んだことを自覚していないだけだ。
少女の顔から笑顔が消え、かわりに焦りと不安が覆い尽くしている。

「ここは、天国と地獄の間です。」

少女が息を呑んだ音が聞こえた。

「そして、あなたはここで来世なにになるかを決めていただきます。転生はすぐ起こるものではないのでご安心を。」
「・・・質問してもいい?」

少女の顔が下を向いている。微かに体を震わしているようにも見えた。

「どうぞ。」
「私は、死んだの?」
「・・・はい」

僕の声を聞いた途端、少女が膝から崩れ落ちた。両腕で体を抱え、うずくまる。

「だって、だって、私まだ、16歳だよ?たしかに、この前、家に帰るとき信号無視してきた車がいた・・でも!でも、こんなに、あっけなく死ぬなんて聞いてない!!!!もっと、色んなことしたかったのに、やり残したこと、たくさんあるのに・・なんで・・・・?」

涙を流しながら、少女は僕を見た。僕を強く睨みつけている。怒り。彼女はとても憤っていた。
しばらくそのままお互い動かなかった。息が苦しくなるような沈黙が僕たちを包み込み、少女の一言で溶けだした。

「・・・あなたに怒ってもしょうがないよね、もう、終わっちゃったことなんだもん。来世、か。そんなのほんとに考えないといけないことになるなんて思ってもみなかったな・・・」

少し諦めたような、悲しい顔をして弱々しい笑顔を浮かべた。

「少し、考えてもいい?重大な選択だし」
「それは構いません。では、少し説明をさせてください」

僕は息を吸い、もう何百回も言ってきたセリフを脳内に駆け巡らせる。

「先程も言ったとおり、ここは天国と地獄の間で、ここで来世を決めていただきます。そして、僕があなたがその来世にふさわしいかを審判します。審判の材料に必要なものは、生きていた頃の思い出と、なぜその来世になりたいのかの理由です。そして来世が正式に決まると、あなたはここよりももっと上空の遥か彼方へ行くことになります。また、人間の記憶を保っていられるのはここが最期です。」

ゆっくりと少女の顔を見る。さっきよりかは随分と冷静さを取り戻せたようだった。

「説明ありがとうね。何となくわかったよ。ほんとに死んじゃったんだっていうことも段々理解してきちゃったし。受け入れたくないけど、受け入れないと進めないよね。」

少女は、はあっと深い溜息をつき、僕の隣まで歩いてきて僕の真横に座った。座って、というように床をトントンと叩く。叩かれた場所に僕も座る。
目線が近くなり、少女と見つめ合う。なんなんだ、この空間は。
少女が口を抑えてふふっと笑い、目をそらす。

「生きてた頃の思い出か〜。なんだろ、あっ!1個、すごく大好きな思い出があるんだ。話してもいい?」
「どうぞ」
「ありがとっ!」

少し時間をおいて少女は再び口を開いた。

「私の家は旅行とかまったくしない家だったんだ。だから、産まれてからずっと記憶にある限りは東京にいて、狭い地域で生きてきたんだよね。でも、中3の修学旅行で初めて京都に行って、日本だけでもこんなに広いんだって知ったんだ。新幹線に乗ってる時、ずっと窓の外見てて感動しちゃった。富士山ってこんなに大きいんだ、とかさ。京都着いてもずっと驚いてばっかりだったな〜。教科書でしか見たことがなかった場所をいま、私は見てるんだって考えると、すごく幸せな気持ちになれた。なんでだろうね。・・・これが、私の一番の思い出だな〜。友達と過ごした時間も、景色も、全部、全部、宝物!!」
はにかむように笑い、一瞬だけ暗い顔をした。しかし、すぐに明るい顔に戻り、僕の方を見てなにか気がついたような顔をした。

「どうかしましたか?」
「うーん・・・やっぱり、天使くんさ、私と同い年くらいだよね!私よりちょい下?」

年下扱いされたことに少しムッとしたが、顔には出さないように無表情で応える。

「年齢はわかりません。もう数えてすらいませんし、数えることもできなくなりました。」
「えっ・・・なんで?」
「時間の流れがわからないんです。こうやって天使の仕事をしていると、たまに既視感のある人に出会います。複雑なことは思い出せませんが、何故か見たことがあるな、みたいに。でも、それ以外は、こんな何もない場所に意味など持ってはいけません。毎日、変わらない日々を過ごすしかないんですよ。そうすると、段々感覚が麻痺していく感じがして、気がついたら何も分からなくなってしまいます。自分の名前も、年齢も、生きていた頃の記憶も忘れていって、残ったのはこの仕事だけです。」

ずっと奥まで続いていそうな乳白色の風景を一瞥する。一体何年、ここにいるのだろう。下手したら、何十年もいるのかもしれない。気が遠くなりそうな時間の流れに、若干のめまいを感じながら少女の方を見る。
少女は手を口に当て、うーんと考え込んでいた。

「・・・なんか、それってすごく悲しい。ほんとに何もわかんなくなっちゃうの?」
「はい」
「うーん・・・でも、自覚してるんだね。自覚してるから辛いのかもしれないけど、自覚できてるだけ、まだ『人間』で居られてるんじゃない?えっと、だからね、その・・・」

少女はほんの少しの間黙り込み、空中を見つめ、僕の方へ向き直った。

「羨ましい!んだと思う・・・。本当は羨ましいなんて言っちゃダメだって分かってる。天使くんも、すごく辛いはずなのに。でも、私はもう、そんなことは感じられないし、死んじゃったし、この気持ちも、忘れちゃうんだって思うと、天使くんがすごく羨ましいんだ・・・っ」

儚い笑顔を向けられた僕は、どんな顔をしていたのだろう。内心、とても驚いていた。そんなことを言われるとは思っていなかった。新しい気づきを貰った。
僕も、なにか少女にお返しをしたいと思った。ほとんど何も考えずに、衝動的に言葉を口にしそうになった。だが、それはやってはいけない。天使は、いつでも冷静に振る舞わなくてはならない。透明な息を小さく吐き、心を落ち着かせた。

「ありがとうございます。ところで、来世は何になりたいか、決まりましたか?」

ハッとしたように少女は顔を伏せる。

「ごめんなさい、まだ・・・やっぱり人間に戻りたいのかなって思ったけど、人間になったところで、また同じ人生を歩むのかなって考えたら怖くなっちゃった。次は、後悔したくないんだ。」

泣き出しそうな声で少女は顔を話す。目にはうるうると涙が浮かんでいた。もしかすると、少女は悔しいのかもしれない。若くしてやりたかったことを、沢山やり残して死んでいった自分に対して。きっと、このやるせない思いをぶつける場所がどこにも見つからず、見つけられないのだろう。彼女の死を告げた時の表情が脳裏にこびりついて離れなかった。
こういうとき、何を言えばいいのか僕にはまだわからない。だが、僕を知っている。どこから来たのかもわからない小さな、小さな記憶の糸を辿って少女の背中に手を置いた。そのまま1回、2回、3回とおいた手を上下に動かす。すると少女は膝を立てて、顔を伏せた。

「大丈夫、大丈夫、あなたはとても強い人です。その決断がどうであれ、きっとあなたはその人生を楽しむことができる。なぜなら僕に、新しいことを気づかせてくれたから。だから大丈夫です。あなたはもう、自由なんですよ。」

そう言った途端、少女は声を出して泣いた。今まで堰き止めていたものが溢れ出したように、わあわあと泣いた。僕は彼女の背中をさすり続けた。少女はそれを嫌がるなどはせず、泣いていた。まるで、小さい子どものように。

さっきまで震えていた少女の細い体がだんだん震えなくなっていく。もう涙は出尽くしたようだった。
どれくらいそうしていただろうか。時間の流れはわからない。あるときふと、少女が体を起こし、真っ赤な鼻と目を見せて言った。

「わたし、どこか遠いところに行きたい。どこまでも自由に旅をして、もっと広い世界を見てみたい。どこまでも、どこまでも広がる世界を!わたし、決めたよ!」

突然立ち上がり、透き通った黒い目が僕を見つめる。

「わたしは、鳥になりたい!どこまでも飛んでいって、最期は素敵な場所で死を迎える。生きるのは大変だってわかってるつもりだけど、私はそれも楽しみ!だってもう、自由なんだもんね!」

ニコリと笑った笑顔は、今までで一番輝いていた。
僕は少女の情報が書いてある紙に「鳥」と書き込み、少女に向かって微笑みかける。

「わかりました。来世もきっと素晴らしい人生を送れるでしょう」

少女は歩き出す。乳白色の空間の奥へ奥へ。僕は立ち上がる。乳白色の空間で佇んで。

「あ」

聞き忘れていたことがあった。別に聞かなくてもいい事なのが、僕はいつも別れ際に聞くことにしている。

「なにか、残しておきたい言葉はありますか?いつか僕が伝えます。」

少女は振り向き、天女のような笑顔で応えた。

「いつか、わたしを知っている人が現れたら、わたしは幸せだよって、伝えてほしいかな。それと、ありがとうって。楽しかったよって。」

フッと前を向く。と、すぐに振り返る。

「わたし!ユズって言うんだ!なまえ!またいつか会おうね!天使くん!」

前を向き、大きく手を振りながら走っていくそのうしろ姿を、僕は直視できなかった。少女は、いや、ユズは、もう後ろを振り向かない。それでも僕は小さく彼女に手を振り続けた。

乳白色の空間にユズの背中が溶けていったのを確認すると、天使たちの控室へ向けて、ユズが歩いていった反対方向へ歩く。
次はどんな幽霊が来るだろう。乳白色の空間が、僕を永遠に包み込むように鬱陶しく絡みついてくるように感じた。
                           

                end….


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?