添削講座課題文全文公開
今日は、昨日のつづき、いよいよ、文章添削講座の課題文、全文公開です。
あ、その前に、昨日わたしの記事を読んでくださった方、感想をくださった方、本当にありがとうございました。おもいがけず、褒められたりまた読みたい、といっていただけて、凄く嬉しかったです。
毎日続けたいと思います。←単純
では、いよいよ、青山ゆみこ先生の文章添削講座、課題文を公開します。
尚、どんな課題だったか、添削はどんなだったかは非公開というお約束でしたので、そのまま、私が書いた文章をマルっと載せますね。
伝わる文章ってなんだろう?がテーマの文章添削講座、私の文章は読み手に伝わる文章になっているのでしょうか?
題名「ちんころ」
私には最近どはまりしている推しの作家さんがいる。
ヤクザ専門ライター暦20年、その筋界隈では知らない人はいないであろう大ベテラン作家の鈴木智彦氏である。
氏を知るきっかけになったのは、たまたま縁あって流れてきたツィッター。
氏の近著、『ヤクザときどきピアノ』である。
それまで私は氏の名前さえ存じ上げず、本物のヤクザが書いた本なのだと勝手に思い込み、興味本位でその書を手にした。
読み進めてすぐにその誤解は打ち消され、氏のピアノにかける情熱、対峙する姿勢、信念、覚悟に胸を撃ち抜かれた。とりわけ、作中にちょこちょこぶちこまれる『ヤクザ社会』とピアノ教室をシンクロさせてくる世界観に私の笑いのツボが殴りつけられた。
面白すぎるよ、鈴木さん、、、。
鈴木氏のことをもっと知りたい、応援したい、もっともっと多くの人々に鈴木智彦という偉大なる作家の存在を世に知らしめたい!
私の中の『推し』爆誕の瞬間である。
その日を境に私の生活は一変した。
推しのファンとして、とにもかくにも鈴木氏が世に産み出した書物を全て読み込まねば話しになるまい、、、と考え、片っぱしから入手できるだけ入手しまくり、貪るように読んだ。
ちょうど時期的には世間はコロナ禍。自粛推進。ステイホーム。
絶好の機会であった。
氏の著書は基本、どれも表紙が黒く暗い。
内容も、ヤクザ、殺人、暴力、闇、抗争、裏切り、覚醒剤、入れ墨、、、と不穏な空気を纏う文字の羅列のオンパレード。不穏すぎて、ちょっと怖い、、、。
しかし、推しのファンとして、ひるんではいられない。推しの全てを凌駕するのが真のファンなのだ!と自分にいいきかせ、気持ちを奮いたたせて読み進む。
鈴木氏の取材姿勢は一貫してブレない。
そこも魅力の一つである。
ヤクザという、世間一般では、非難、糾弾されうる存在に対して、声高に絶対悪だ!という証拠を集めて、徹底的に叩く為ではなく、かといって正当化するでもない。立ち位置は常に中立。
氏の取材のモチベーションは、ただただ、(面白そう)という好奇心。
氏の守備範囲であるヤクザというものの気配を感じる場所であれば、身体を張った、文字通りの潜入ルポをも敢行する。
それが、ゲイ風俗でも、70歳超えの超熟女風俗でも、密漁でも、世界最悪の爆発事故をおこした原子力発電所であっても、、、。
そこに潜入する氏の姿はまるで小学生の男の子が、夏にカブトムシやクワガタを捕らんとして好奇心と冒険心に目を輝かせて山にわけいろうとする姿を想起させる。
虫取り網と籠のかわりに、ICレコーダーと隠しカメラをしのばせて、、、。
そんな鈴木氏の姿を妄想しては、私の胸は高鳴り、心をわしずかみにされるのだ。
私の推しの可愛みと尊みよ。
そんな推しへの愛は日に日に募り、アマゾンレビューで氏の本に低評価をつける人間をみつければ、呪いの念を送り付け、実店舗の書店めぐりパトロールの際に氏の本は物騒なので取り扱いがないといいのける書店員がいれば、心の中で(クソっが!)と毒づく。
そこそこ余裕で1ファンとしての距離を飛び越えそうな日々である。
鈴木氏の生活圏は、東京の練馬区である。私は千葉県。遠くはない。
推しを一目拝めるならば、と毎日その辺を張り込みたい衝動にかられている。
完全にストーカー行為に発展する勢いである。
覚醒剤のポスターよろしく、『ダメ!絶対』と我に返り、なんとか自制し、ギリ踏みとどまってはいるのだが、、、。
今日も今日とて、私は氏のツィッターを覗き込み、起きがけ1番に(おはよう❤)と呟き、心の中で話しかける。夫より先に。
ヤバーイ!!
いつか私はちんころ(密告)される日がくるやもしれぬ。