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(短編物語)赤い毛をしたきつねの話② 親友の決意

秋ももうかなり深まってきてしまいましたが……もうすぐハロウィーンですね。

 ベルイは、きつねだった。それも、夕日のような、赤い色の毛をしたきつねだった。ベルイのために、ベンチを作りに来た物作り職人のロット・ブラウニーは、ベルイを見て、ストロンチウムの赤だ、といった。ベルイの毛は、焼きつくような、べったりとした紅色だった。
 ベルイは、いつものように、迷彩柄のポンチョを、フードまでしっかりとかぶってはおると、住まいである丸太小屋の表へ出て、扉を閉めた。鼻の穴をふくらませ、思い切り息を吸うと、新鮮な森の空気で肺はいっぱいになった。ベルイは、一日に最低でも一度は、表へ出て散歩をするのがお決まりの日課だった。体を動かせばお腹が空いて、うまい食べ物がさらにおいしくなる。散歩はそれだけでも十分におもしろかったが、ベルイが散歩をするのは、ほとんど食事を楽しむためといってよかった。ベルイは、散歩後に食べるトーストのことを考えて、ぺろりと舌なめずりした。オーブンでかりっと焼いて、こんがり茶色くなったところに、甘いマロンクリームをたっぷり塗って食べよう。想像すると、今から香ばしく甘い香りが、森中の葉の一枚一枚から、流れ、押し寄せてくるようだった。森は、秋の香りに染まり始めていた。
 ベルイが、いつもの散歩道を半分ほど歩いたとき、前方から、よく見知った人影が近づいてきた。それは、上も下も、目の覚めるように真っ赤な作業服を着た、きこりのルースだった。ルースは、ポニーテールにした金色の髪をふりふりとゆらし、くま避けの鈴をじゃりじゃり鳴らしながらやって来ると、楽しげにベルイに笑いかけた。
「ベルイ! 朝ごはんは、何を食べた?」
「ルース、おはよう。今朝はいもを食べたよ。焼きたてのさつまいもをね」
「いも! 最高ね。ほくほくのやつ?」
「うん、ほくほくの」
「わたし、さつまいもってすごく好きよ」
 ルースは、うでを組んで、目を閉じ、ため息をついた。それから目を開けて、
「スイートポテトもいいわよね」
 と、思いついたようにいった。
「秋って最高。どの季節も最高だけど。秋の食べ物って、わたし、全部好きなの。いもでしょ、かぼちゃでしょ、栗でしょ、サンマは脂がのるし、あと、きのこ。ああ、パンプキンタルト食べたいなあ。シナモン香るパンプキンタルト……。食べすぎて太らないように気をつけないと」
「冬が来るんだ。太っておいた方が賢明だよ」
 ベルイはいった。
「まあ、おれは、太らないようにしているけどな。食事を楽しむには、太らない方がいい。余分な脂肪がつくと、食べ物のうまさが一段落ちるような気がするんだ。反対にいえば、食べ物の味が落ちるくらい脂肪がついたら、それは、余分な脂肪ってことだな。おれ、少しでも肉がだぶつくと、もう気になってしかたがない」
「それ、分からないでもないわ。でもわたしは、見た目の方が気になってしかたがなくなっちゃうの。悪いくせだと思う。自分じゃない人が太ってようがやせてようが、どんな体型をしていたって何とも思わないのに、自分が太るのはだめ。話がそれちゃったけど、そうね、あとは、やっぱり食事を楽しむためには、お腹を空かせるのが一番よ。その点、きこりはいいわ。書類仕事をしなきゃいけない日もたくさんあるし、この田舎でしょ。めんどくさい人間関係がないこともないわ。だけど、そういうのって、どうにでも関わらないようにできるし、わたしって、そこら辺は不思議と巻きこまれにくい体質なの。山の中で体を動かすのは最高に気持ちがいいわ。そして、山の中で体を動かしたあとのご飯は、最高においしい。このときのために、わたしって生きてるんだなって思うのよね。別に、食べるために生きてるってほど食事好きってわけじゃないけど、そのときは、そう思う。ベルイは、食べること、ほんとに好きよね。わたしも好きだけど、ベルイはもっと好きって感じ」
「うん、おれは、食べるために生きてる。食べることは、生きることだろ。おれは、生きることそのものを楽しんでるんだ」
 ベルイはそのとき、ルースをまじまじと観察していた。体型を気にする必要などないくらい、いや、気にしているからこそなのか、ルースの、細いけれどがっしりとした体は、非の打ち所がないくらいに、引き締まってみえた。
「ねえ、ベルイは、自分はこのままではいられない、って思うことって、ない?」
 ルースは、ベルイのとなりを、一緒に歩きながらいった。
「ない、と思うけど?」
 ベルイは、体型の話だろうか、と一瞬迷ってから、答えた。
「わたしはね、今、そんな気がしているの。このままきこりで、毎日木のお世話をして……今の生活は、とっても充実しているし、わたしは、満足しているわ。それは、偽りなんかじゃない、ほんとうよ。これ以上の暮らしはないって思ってる。死ぬまでこうしていたいって。でも、わたしの心の中に、もう一つ声がある。ええ、そう、お前はこのままではいられない、って、そうささやく声が。声は、まぼろしなんかじゃないわ。ふっとしたとき、たとえば、独りで森の中で休んでいるときなんかに、聞きまちがえるはずがないくらい、その声が大きく聞こえてくることがあるの。わたし、それで考えたのよ。たぶん、わたしは、もっと広い世界を見てみたいって、思ってるんだって。わたしって、生まれたときから、ずっとこの場所にいるでしょう。だけど、この場所の外にも、世界があるってことを知ってる。わたしは、たぶん、その外の世界を見てみたいって、心のどこかで思ってるんだわ。そう、すべてを見て、すべてを味わいつくすなんて無理だし、外へ出てみるのは怖い。ええ、たしかに、怖いわ。山のこと、森のことはよく知ってるけど、知らないこともたくさんあって、それは、死ぬまでずっとそうだと思うわ。だけど、山も森も、怖くはないし、おかげで、退屈することだってない。それでも、やっぱり、わたしは、外の世界を見てみたいわ。ベルイが見たことのある景色を、わたしも見てみたい。ベルイが見たことのない景色も。ねえ、まだ、すぐにってわけじゃないけど、準備だってしないとならないし、だけど、わたし、外の世界へ出てみて、後悔しないと思う? 今のこの生活を捨てるべきじゃなかったって。一度外へ出たら、もう、戻っては来られないわ。少なくとも、今と同じ場所へは……つまり、今と同じように、この山で、この森で、同じようにきこりをやることは、できなくなるわ。わたし、外でもやっていけるかしら。生きていけるのかしら」
「ルースなら、大丈夫さ」
 ベルイは、平気な顔をしていった。
「一歩踏み出すときは、いつだって怖い。怖がらないやつだって、中にはいるかもしれないけど、怖いってことは、特別なことじゃない」
「ベルイだったら、ベルイがわたしだったら、どうする?」
「おれが、ルースだったら? おれがルースだったら、外の世界へ出てみるね。心の声には素直でいる方がいいと思っているから。心の声には、素直に従う。おれはそうしてる。人間がどうなのかは分からないけど、きつねっていうのは、心の声に逆らうようにはできていないんだ。少なくとも、おれはそうだ。怖い、それも、心の声にはちがいない。けど、それでも、外へは出てみたい。それが、ルースの心の声なんだろ?」
「……うん、たぶんね……ううん、そう。それが、わたしの心の声、本音だと思う」
「そして、後悔するかもしれない、とか、そんなことを心配する暇があったら、うまい食べ物のことを考えるか、次の計画を練る。……まあ、おれは、責任はとらないよ。外へ出るも出ないも、選ぶのはルースで、ルースの自由だ。おれは、選ぶ、なんてめんどうなことはしない、ただ従う、それだけだけどな。今話したことは、あくまで、おれがルースだったら、の話さ。おれだったら、外へ出る、それだけだ。外へ出たって出なくたって、どっちだってまちがいじゃない」
「ええ、そうね。わたし、このままこうしていても、満足して死ねるかもしれないし、外へ出たら、つらいめにあって、後悔するかもしれない。でも……いいえ、後悔はしないわ。わたし、今決めたわ。外へ出てみる。心の声に、素直に従ってみる。ベルイ、ありがとう」
「おれは何も」
「背中を押してくれたわ。とはいえ、みんな、失望するだろうな。わたし、きこりの中では一番若くて、将来を期待されてた。今もされてる。わたしがきこりをやめるなんて、誰も思っちゃいないわ。だけど、今、そんなことを考えたって無駄ね。みんな、前向きに受け止めて、応援してくれるって信じるしかない。ところで、ね、ベルイ。ベルイは、心の声には、素直に従うようにしてるっていっていたけど、あなたの心の声は、今のあなたの生活……ここでの生活を、続けていたいっていっているの? また旅をしてみたいって、気持ちはないの? いいえ、わたしと一緒に来てほしいっていいたいわけじゃないの。ただ、どうなのかなって、気になっただけ」
「うん、ない、よ」
 ベルイの答えは、なぜかとぎれとぎれだった。
「ない。おれ、旅には、あんまりいい思い出がないんだ。したくてしていた旅じゃなかったし、もう一度したいとは思ってないよ。そもそも、この場所をみつけるための旅だった。おれはこの場所を見つけた。この場所の暮らしが、おれの暮らしで、おれは幸せだ。ここは、おれの家なんだ。そうだ、ルース。もし、戻ってきたくなったら、おれのところに来ればいいよ。スイートポテト、用意しておく」
「スイートポテト? やったあ。そうしたら、わたし、外へ出るのも、あんまり怖くないかも」
 ルースは、ベルイをじっと見つめた。ルースの金色の瞳が、湖面のようにゆらゆらとゆれてみえた。
「どうかしたかい?」
「ああ、わたし、何ていったらいいのか、わたしって、ほんとうに、幸せ者だわ。心の底から。ほんとうに、ありがとう、ベルイ。ね、ハグしてもいい?」
「どうぞ?」
 ルースはかがみこんで、ベルイをぎゅっときつく抱きしめた。ルースの作業服の赤い色と、ベルイの赤い毛の色が、見事に溶け合った。ルースはとても温かく、ベルイは、ルースの胸の内に燃える熱い炎に、触れたような気がした。
 ああ、この人は。ベルイは、ルースの背に前脚を回しながら思った。この人は、ただものじゃないな。まるで、奇跡のようだ。それとも、必然なのだろうか。だが、ここに、ルースがいるのは事実だ。誰にもみつからないようなこの片田舎の山奥に、誰にもみつからないで、生まれ、育ち、現れるものなのだ。ベルイは感じていた。
「ああ、ベルイ」
 ルースは、ベルイを離すと、しゃがみこんだまま、ベルイの目をじっと見つめた。
「あなたと、わたしの大切な人たちと、お別れしなきゃならない、それが一番つらいわ」
「だけど、二度と会えなくなるってわけじゃ、ないだろ?」
「ええ、そうね、そのとおりよ。会いにくればいいんだものね、いつだって。戻ってきたくなったときだけじゃなくって、わたし、会いにきてもいい? それで、ええ、今どんな具合なのか、とか、うまくいっているのか、とか、いろいろ、お話するわ。手紙も書く。たくさん。読んでくれる?」
「読むよ。あたりまえだろ? でも、返事はそんなに書けないかもな」
「いいわよ、返事は。それじゃあ、書くわね。迷惑でも、書くわ」
「さあ、おれが迷惑するほどは、書けると思えないけど」
「頑張らないとね、それじゃ。ね、今からきのこ狩りしない?」
 ルースが、さっと立ち上がった。
「そのあとは、きのこスープを作るの。一緒に」
「マロンクリームを塗った、トーストもな」
 ルースとベルイはお互いの拳を合わせ、さっそくきのこ探しに取りかかった。

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