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とある講談の聖地巡礼。都内から箱根まで2日半17万歩、そして静岡県は由比へ。

平成最後の夜、自分がどう過ごしていたか覚えている人はどれくらいいるのだろう?

時代のひと区切りを仲間と共に祝った人たちは、それが思い出の1ページになっていたりするのだろうか。何事もなくいつも通り夕食を終えて眠りについた人たちは、そんな夜のことなど遠い記憶の彼方に追いやってしまっているに違いない。

私はといえば、何をしていたかはっきりと鮮明に覚えている。その夜は町田の宿泊施設「セミナープラス南町田」(今はもう閉業してしまったらしい)でひとり、カレーヌードルに納豆を乗せたもので栄養を摂っていた。


1日目 旅の始まり(泊:東京都町田市南町田)

朝6時に池袋の自宅を出てから67,920歩。ウォークマンから流れるFM放送をカーラジオのように流しながら、Googleマップを頼りにひたすらその日の目的地・セミナープラス南町田だけを目指して歩き続けた。

町田方面にはそれまで訪れたことがなかったものの、途中で気がつくと溝の口(神奈川県川崎市)に入っていて、「あれ、間違えたかな……?」と不安に思いながらしばらくしてまた道路標示が都内に戻った時には、「町田は神奈川」としばしばネタにされる意味を実感を伴って理解した。宿に到着したのが18時50分頃だったので、半日以上歩いていたことになる。

ゴールデンウィークの真っ只中、なぜそんなことをしていたのか。きっかけは、年始に池袋の芸術文化施設「あうるすぽっと」にて5日間にわたり通し公演された、当時の神田松之丞(現・神田伯山)による講談「慶安太平記」に感銘を受けたことだった。

2019年1月14日 慶安太平記通し公演B日程@あうるすぽっと
(撮影タイムにて)

この作品の中には「宇都谷峠・箱根の惨劇」というエピソードがある。かなりざっくり説明すると、浅草寺から知恩院(@京都)まで10日間で行って帰ってこいという無謀なノルマを課された人物がなんとかそれを達成する、という内容だ。そこでは主人公である正雪はほとんど登場しないのだが、この二幕のみに関して言えば、別の会場でも何度か拝聴したことがあり、既に耳馴染みがあった。なんならCDも持っている。それでも、しっかりと正雪が動いている前後のエピソードとの流れで聴いてみると、点と点が繋がって線になるような、そんな新鮮な感覚を覚えた。

慶安の変 (「慶安太平記」のモデル)
慶安4年(1651年)、江戸幕府第3代将軍徳川家光の死を契機として、幕府政策への批判と浪人の救済を掲げ、宝蔵院流槍術丸橋忠弥金井半兵衛熊谷直義など各地で浪人を集めて挙兵し、幕府転覆を計画した。しかし、決起の寸前になって計画の存在を密告され、正雪は駿府の宿において町奉行の捕り方に囲まれ自刃した。享年47。遺体は幕府によって磔にされ、正雪の近親も縁座され皆殺しとなった。首塚は静岡市葵区沓谷の菩提樹院に存在する。
大名取り潰しによる浪人の増加が社会不安に結びついていることが事件の背景にあるとして、4代将軍徳川家綱以降の政治が武断政策から文治政策へ転換するきっかけの一つとなった。

Wikipedia 由比正雪>生涯>慶安の変

5日目・楽日の公演を終え、新しく買ったCDにサインを貰った私は、完全に感極まっていた。すごいものを見てしまった。感情の昂りが思考力のキャパシティを超えて、行き場をなくした。そして、思考を放棄したオタクは非常にありきたりなことを思いつく。

「そうだ、聖地巡礼をしよう」

その年のゴールデンウィークは10連休。予定もないし、何泊かして出かけるならそこしかないと考えた。

やはり「宇都谷峠・箱根の惨劇」はなぞってみたいな。とはいえ、大型連休だとしても浅草から京都まで歩くのはあまりに非現実的すぎる。スケジュール的にも体力的にも。うーん、どうにかできないものか。そうして絞り出した妥協案。

「京都は無理でも箱根の関所までなら歩いて行けるのでは?」

箱根関所を通る場面は作中にも存在する。となれば、箱根関所までだとしても、部分的に見れば立派な踏襲である。できることなら再現度を高めるために浅草寺からスタートとしたかったが、所要時間的な問題で仕方なく自宅を起点とする。箱根までの道中にあたる町田と鴨宮(神奈川県小田原市)に予め宿を取っておき、関所に着いたあとについては、正雪の生家があるという静岡県静岡市清水区由比まで交通機関を使って向かうことにした。

と、説明がだいぶ長くなってしまったが、そんないきさつでこの旅が始まり、私は平成最後の晩餐を箱根への道中にあったシングルルームの小さな机で味わったのだった。ちなみに、カレーヌードルに納豆を乗せるという発想は、決して疲労のせいで頭がおかしくなったというわけではなく、その何日か前にTwitterで見かけた誰かのアイデアによるものである。

納豆onカレーヌードル
(3分間待機中)

ふたつの時代を跨ぐ4日間の聖地巡礼ごっこの初日は、こうして無事穏やかに終えることができた。

2日目(泊:神奈川県小田原市鴨宮)

翌朝、つまり令和初日の朝は、5時半に起床した。前日より長い距離の、43kmを歩くことになっているため、早めに出る必要があったのだ。

ペース配分のために、Googleマップのルートを参考にチェックポイントを設けて、だいたいの通過予定時間を見積もっておいた。

・ローソン大和下鶴間二丁目店 35分
・ファミマ大和西鶴間店 1時間
・セブンイレブン大和桜森店 1時間15分
・深谷橋 1時間35分
①長峰自然の森 2時間
・綾瀬市役所前(信号) 20分
・さわ霊園 55分
②寒川神社 2時間10分(4時間10分)
・平塚市役所リサイクルプラザ 40分
・ローソン平塚西八幡店 1時間10分
・矢口家 1時間40分
③花水川橋 2時間10分(6時間20分)
・大磯駅 30分
・城山公園前 1時間
・ローソン 西湘二宮店 1時間40分
④吾妻神社前 2時間(8時間20分)
・Cyclist CAFE Chao 30分
・国府津駅 1時間
⑤ホテルクニミ鴨宮 1時間30分(9時間50分)

計画の時点で10時間ウォーク。我ながら正気の沙汰ではない。これの恐ろしいのが、「順調に進んだ場合」の所要時間にすぎないということだ。マップの現在地が嘘をついたり、曲がるところを間違えたり、道中で足をくじいたりすれば、また半日コースだ。しかし、後には引けないのである。

6時50分頃に出発し、チェックポイント①「長峰自然の森」に着くより前、8時15分頃にはその日の1万歩を達成。前日には厚木街道など自動車優位の舗装された道で常に足裏がアスファルトの硬さに晒されていたということもあり、自然の森公園の土から伝わってくる感触がかすかながら心地よかった。

大和市から綾瀬市を通り、藤沢市方面に歩いていると、概念としての夏休みのような光景が飛び込んでくる。知らない虫も飛んできて顔に当たった。ここで倒れたら多分誰も助けてくれない。

たんぽぽの咲く畦道

川沿いの夏休みロードを抜けるとそこは雪国……ではなく、住宅街、寒川町。チェックポイント②「寒川神社」に着いたのは11時半頃。既に遅れ気味のため、普段であれば旅先の神社に必ず立寄る私も、今回ばかりは参拝せず。

「祝・令和」

祝令和の張り紙をところどころで目にする。令和元日ということで、流れてきたラジオ番組でも特別公録をしているようだ。相模川を越えて、平塚のサイクリングロードを抜けて、東海道に入るかというところで雨が降り始める。

平塚サイクリングロードの近くにいた猫
猫効果でこの記事も伸びてほしい

ここからは東海道を大磯、二宮、国府津とひたすら歩いていく。距離にして15kmほど。40kmから見たらチョロかな。(そんなことはない)

途中で東海道を少し逸れて線路沿いを歩いていると、何度か湘南新宿ラインに追い越された。乗車している時は「遅延せずもっとスムーズに進まないのかしら」なんて思ったりもするけれど、抜かされてみて初めて気づくその速さよ。

大文明、湘南新宿ライン

そして進めども進めども二宮。「MY TOWN NINOMIYA」のマンホールを何枚見たかわからない。硬い道を歩き続けたせいか、足がずっと痛い。雨は本降りになっている。下からも上からも攻撃を受けている……。

サトウのあれがカッパを着せてもらっていた

そして延びゆく予測所要時間…。18時半前にようやく国府津駅周辺まで来て、東海道を外れる。

国府津駅ホームが見える

Googleマップによれば、ここから30分で到着とのこと。本当にこの牛歩でその時間に着けるかな??

辛すぎて少し進むたびにGPSで現在地からあとnメートルを何度も確認して、500m、450m、300mと、ここまで40km以上歩いてきたのに、普段あっという間の50mすらとても長く感じられる。寧ろ永い。

寝床「ホテルクニミ鴨宮」に着いたのは19時半前。東海道入ってからの到着予測時刻から一時間半オーバー。78,256歩。

ファミマで温めてもらったチキン南蛮弁当を食べて、運良く貸切状態だった大浴場でくつろいだ。これで翌朝どれだけ回復しているか……。少し不安に思いながら床に着いた。

3日目(泊:静岡県静岡市清水区由比)

徒歩旅のゴールへ

徒歩旅としてはラスト、遂に箱根へ。しかし。

関所は無理だ……。

関所まで歩くとはつまり、箱根山の上り坂に挑むということ。到底そんなことが可能なコンディションではない。起きた瞬間に判った。悔しいけれど、予定変更して箱根湯本まで頑張ることにする。

となると、時間に少し余裕ができるため、ホテルの朝食バイキングをいただくことに。旅はまだ続くので、栄養は大事。湯本までは約11km、Googleマップでは2時間ちょいの予測だが、足が痛いので3時間は見ておいたほうがいいか。とにもかくにも距離としては(これまでと比べれば)かなり短い。もうひと踏ん張り。

沁みわたる栄養(これにカレーも付けた)

血豆ができるほどやられている足の痛みを少しでも和らげるため、湿布を買いに24時間営業のウェルシア南鴨宮店へ。周辺にあるほとんどのドラッグストアが9時以降の営業開始なのでありがたい。生まれて初めてサロンパスを購入し、持参した絆創膏と併せて気になる箇所に貼りまくって出発。

橋を渡っていると、ランナーやサイクリングの人が結構いる。健康的ですね。私もここ数日は長めのお散歩をしているので、きっと大変健康です(湿布の箇所を気にしながら)。ところで、走っている人はランナー、サイクリングしてる人の呼称はあるんだろうか。さ、サイクラー? なんてことを考えて気を紛らわせる。それでもやはり痛いものは痛いので、剥がれてきたところをまた貼り替えた。完全にサロンパスサイボーグである。あろがとう久光製薬。

10時頃に小田原駅を通ったら、バス乗り場やチケット売り場が箱根に行くであろう人たちで溢れかえっていた。ここからバスに乗ってしまえば簡単に着くんだよな、と思いながら、スルーして進む。小田原城を左手に見て、「三遊亭小田原城」(現・三遊亭丈二)という名前をふと思い出した。新作落語の噺家さんです。ちなみに小田原出身とかではないらしい。

昨日は湘南新宿ラインに追い越されたが、今日は箱根登山鉄道に追い越される

正午過ぎ、ついに。ついに……! 箱根町に!!入った!!!
※疲れすぎてテンションが壊れてきている

心なしか同じ方向の歩行者が増えた気が

もしかして!向こうに見えるのは!!箱根湯本駅!??
うおお!(雄叫び) あと少し!あと少し!!

Googleマップではあと400mとの表示

昨日のホテルまでの400mとは全然感じ方が違う! そして、

ゴール:箱根湯本
(関所から変更したことは気にしない)

うおおおおおおおおおおおおおおおおお目指していた場所!!!!!!!

本日ここまで24,917歩。少ないね!!!

すべての公共交通機関に、ありがとう。

箱根と言えば、ずっと気になってた「えう゛ぁ屋」を覗く。あ、すみません、突然の自己紹介ですが、中高時代にエヴァに沼っていた者です。店内、オタクだらけだ(ブーメラン)。初号機カラーのソフトクリームの食欲そそらなさ。

これはこれで聖地

さて、自宅から3日かけて100km以上移動してきたわけだけれども、ここから遂に、公共交通機関を使う。ありがとう箱根港行きバス! いい移動手段です! 座ってるだけで移動できるって本当にすごい! 女の子って本当に楽しい! CAN●MAKE TOKYO♪ ※ここはHAKONEです

13時半、Googleマップで何度も確認した箱根の山中のうねうね道をどんどん進んでいく。これを歩くのは無謀だな……。湯本ゴールにして正解だった。バスはあっという間に関所へ到着。

なんか強そう
駅伝でお馴染みの芦ノ湖
自分へご褒美アイス

三島行きの東海バスに乗り継ぎ、三島からはJRで、宿のある由比に無事到着。

平仮名だとなんかかわいい
桜えびアーケードのお出迎え

駅から宿まで約1.2km、これまでの距離を思えばそこまで遠く感じない。町並みの雰囲気も良い。おうちの駐車場で素振りしている少年がいて、和ましかった。

宿に到着したのは19時前。一階は食事処、お店の人に部屋のある二階まで案内してもらう。お風呂とトイレは共用。部屋の入口は普通の引き戸なので、内側からしか鍵はかからない。神経質な人には気が気じゃないだろうけど、たまにはこういう民宿もいい。

一階で用意されていた夕食(これにお味噌汁、ごはん、お漬物)
全部おいしかった、ごちそうさまでした

一階食事処で二階に和室数部屋っていうのが、いかにも江戸落語に出てきそうで萌える。東海道線がすぐそばを通っているので定期的にガタゴト、なんかもうそれすら心地良い。平塚から湯本まで歩いた東海道。線路は続いてんだね。

3万歩すら霞む昨日までの歩行距離
翌朝撮った宿の外観
武家屋敷みたいでかっこいい

4日目 聖地へ

新しい朝が来た、希望の朝だ。何がどのように希望なのかと問われれば、自由な朝であるということ。つまり、歩かなくていい朝。いや、厳密には今日もいろいろ移動はするが。

本日の予定としては、由比正雪先生の聖地巡礼ということで、由比で正雪紺屋(今回の本命、正雪先生のご生家!)を見て、由比の地酒・正雪を買い、静岡方面に向かって、古庄にある首塚と安倍川近くにあるお墓を拝む。

静岡からの帰りはこだまで一気に品川までではなく、敢えて16:57小田原発→18:29池袋着の湘南新宿ラインを使うことで、血反吐を吐きながら一日かけて歩いた東海道などを20分で振り返り、改めて文明を感じようと思う。

まずは正雪紺屋、営業日がどこからも調べられなかったので普通に営業していて安心。

由比正雪の生家

中に入ると、藍染のハンカチやコースター、藍染以外にも手拭いなど。赤い桜えびの手拭いが由比らしさもあり可愛くて、でもせっかくの紺屋だからと思って藍染の商品を買いたいなぁなんて思いながら、店のおばちゃんにいろいろ見せてもらう。

プレゼントなんかでも喜ばれますよ、って言われたけど、それなら自分が欲しいのだ。コースターは飾れるし、ハンカチは持ち歩けるし、どっちを買わなくても後悔しそうで、迷った挙げ句に両方買うことを決意。財布は多少痛んでも、生前の正雪先生はもっと辛かったはずだ。

撮影許可をいただいた
内観はこんな感じ

選んでいる最中に何人かお客さんが入ってきて、正雪先生や藍染とは馴染みがなさそうな子連れさんだったので意外だったのだけれど、どうやらスタンプラリーかなんかの立ち寄りポイントになっているらしい。退店後しばらく外から様子を窺っていたけど、スタンプだけ押していく人もそこそこ。みんな、慶安太平記聴こう!

向かいのお堀にいたカメと目が合う
きみはもしかして、正雪先生……!?

さて、次は地酒・正雪を買いに神沢川酒造に。ただ、今朝調べたら日曜祝日休みとかで、空いていない可能性大。途中で目についた正雪もなかの文字。神沢川酒造まで行ったら由比駅に引き返すのではなくそのまま蒲原(由比の隣駅)から電車に乗ろうと思っていたので、寄るなら今しかない!

桜えびサブレ―も気になる

覗いてみると、おばちゃんが「今日はレモンケーキ売り切れなのよ~」。どうやらレモンケーキがかなり人気商品らしい。

「学生さん?」
「もう社会人5年目で26になったんですけど、最近は若く見られるのが嬉しくなってきました」

みたいな会話から、「一人で来たんですよ~」と言うと、一人でもやりたいことはやったほうがいい、なんだかんだ言ったって一番気が合うのは自分だもの、とか、息子さん夫婦が孫に厳しすぎる話とか、ご自身の育った家庭の話とか、甥っ子が40過ぎて最近結婚して子どもが生まれた話とか、結構話し込んだ。そしたらストローで作った桜えびめっちゃくれた(身内、息子さんだか甥だか忘れたけど、が趣味で作ったものらしい、手先が器用ですね)。

一人でもやりたいことはやったほうがいい、なんだかんだ言ったって一番気が合うのは自分だもの

松風堂のおばちゃん

改めて至言じゃん? 私は一緒に箱根まで歩いてから由比に行ってくれるような変態じみた友人がいなかったので一人ぼっちで動いて、非常に疲れたしずっと足が痛いけど、ここまで来られてよかった。

正雪もなかと、せっかくなので屋根看板にも出ていた桜えびサブレーを購入。ショーウインドウには、さくらももこ先生の色紙や地域の小学生たちが作ったと思われるお店の商品紹介が飾ってあって、長く地域から愛されている印象を受けた。

おばちゃんに別れを告げて、お目当ての酒造へ。途中で静岡の地酒の店があったので、酒造が締まっていてもここに来ればいいのかと一安して、結局案の定締まっていたので戻ってきた。当然、正雪も置いてあった。

店のおばちゃんと少し相談してから愛山をチョイス。お会計中、今日は由比でお祭りっていうのを教えてもらう。どこから湧いてきたんだってくらいの人らしい、愛知から来る人もいるそうで。道理で、宿を出たときからなんだか整備員っぽい人を見かけたわけだ。

都内から箱根湯本まで歩いてから来たことを話したら、まだ自販機も少なかった時代に箱根の山を越えてきた男の子二人組のうち一人が脱水症状で倒れて、友達が助けを求めに来たから救急車呼んで間に合わせの食事も用意して大変だったって話を聞かせてもらった。由比の店のおばちゃんたち、いろいろ話してくれてとても良い。

店を出て、予定では蒲原方面に向かうつもりだったけど、せっかく由比でお祭りやってるとのことなので、Uターン。いなば工場の広場は確かにテントも出ていてかなり賑わってる!

どこもかしこも令和元年(それはそう)

よく見たら正雪の蔵元さんもブース出してるじゃん、定休日とはいえ年に一度の地元のお祭りなんだしまぁそりゃそうか。昨日はほとんど誰もいなかった桜えび通りにも結構人がいて、我ながらいいタイミングで来たなという感じ。祭り自体で何か買ったりしたわけではないんだけど、こういう雰囲気はやっぱりいい。

由比漁港
ここで桜エビがたくさん獲れるんですね

一通り見たので早めだけど駅に向かう。さようならゆい~、良い町だった。

振り返ると富士山が!🏔
駅構内に特産品の展示がある

由比から首塚に行くには、草薙経由で古庄。古庄駅から住宅街を通り500mちょい、足はまだ痛いけどこれくらいなら頑張れた。

お寺の入口の横にぬるっと立っていた。こんなもんなのか。

車が結構停まっていたけど、何かお寺であったんだろうか

さて、次はお墓を見るため新静岡へ。ここからしずてつジャストライン(路線バス)で安倍川橋というところまで。しずてつジャストラインのターミナル、なんか近未来的でかっこよかったな。

安倍川橋で降りたのは私だけ。小さい公園みたいなスペースに、スーンと立っていた。何も知らないと存在すらあまり気づかなそう。ところどころ5円玉やら硬貨が挟まってるのはお賽銭的な?(よくわからん)

こっちの表記は由井なんだ

拝んで、静岡駅前に戻るためバス停へ。あとは帰るだけ。首塚とお墓は想像していたよりもかなりさりげなく佇んでいる感じで、ちょっと意外だった。慶安太平記というフィクション上でしか存知ないけど、革命のために結構えげつないことをしいてた人物だから、大々的に称賛できないとか……?

そうして、さらば駿府。正雪が生まれ、命を絶った土地。

1553静岡→1640小田原(こだま)

イヤホン着けてゲームしてるにーちゃんの隣が空いていたので、邪魔しないように軽く一言かけて陣取る。熱海あたりで立ち客もそこそこいた。私は小田原までなので、お一人様なら席空くよ、よかったね。

今回は電車

血反吐を吐きながら歩いた小田原~鴨宮~国府津~二宮~大磯~平塚~藤沢~川崎をあっという間にびゅんびゅん飛ばしていくのを首をひねって窓からずっと見ていたので、子どもならまだしもはたから見たら今時珍しい若者だと思う(隣の人も不思議そうだった)。

湘南新宿ライン長いとか遠いとか遅いとかこれまでいろいろ言ってきたけど、いざ東海道歩いた後に乗ってみると、素晴らしい文明トレインだ。

地酒・正雪、正雪もなか、藍染めハンカチ&コースター

旅を終えて

改めて「宇都谷峠・箱根の惨劇」のCDを聴き、旅のきっかけとなった慶安太平記の感想メモを読み返した。正雪とその周りの人々が生きた土地の空気に触れることができてよかった。

正雪はさんざん他人を脅してゆすって殺してきたその行いからすれば間違いなく大悪党で、最後は奉行所の使者に追い込まれ、自ら腹を切り命を絶つ。しかし、正雪が死してなお、門弟たちは正雪の企てに関して口を割らなかった。息子が水攻めに遇わされようとも折れなかった伝達(※この人物が浅草寺⇔知恩院を10日間で往復した)の正雪に対する義理堅さ。その宗教さながらの信心からも、正雪がいかに人の心を動かすことに長けていたかが窺える。

世界で名を馳せた革命家や犯罪者たちは、純粋な悪党というよりも、今もなおある種のカリスマとして描かれていたりするけれど、慶安の元号が変わり、幕府の政治が変わっていったことを考えれば、無念にも幕府転覆は成せなかったにせよ、一生を懸けてその時代を変えようとした正雪もまた、大犯罪者でありながら、その例に漏れず英雄だったのかもしれない。

慶安の変から350年以上経った時代の変わり目、街中にひっそりと聳え立つ正雪の墓を想起しながら、そんなことを思った。


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