YOASOBIが"令和のゆず"的な存在な話
かつて”平成さわやかフォークデュオ”と名乗ったユニットをご存じでしょうか。
ゆずです。夏の代表曲である夏色、アテネ五輪のテーマソングになった栄光の架け橋など、数々の名曲を世に放っています。
ゆずはもともとストリート出身であり、ライブ活動は生まれの神奈川県伊勢佐木町で弾き語りライブがほとんど。無名時代からその圧倒的歌唱力と親しみやすさ、共感を呼ぶ曲のクオリティーの高さでメキメキ名声を挙げて、いまや紅白歌合戦常連の国民的アーティストとなっています。
今回は"ゆず"と"YOASOBI"の昭和→平成→令和→とつながる音楽シーンの駆け巡り方を比較してみたいと思います。
【昭和→平成】
そもそもゆずが路上を始めたのは昭和から平成に代わったばかりのころ。
日本は昭和歌謡曲、フォークソング、ロックバンドがメジャーな音楽シーンな中、急速にJ-popが発達してきます。
aiko、宇多田ヒカル、椎名林檎、スピッツ、Mr.Childrenなどが出てきたてのころと考えればわかりやすいでしょうか。
そんな中ギター1本で日本各地の路上で歌いまくる路上ブームが巻き起こります。
その先駆けであり、パイオニア的存在が"ゆず"です。ゆずに憧れてギターを持ち出し、路上ライブをするアーティストが増えていきました(後継としてはコブクロ、YUIなどが当たると思います)。
それが俗に"第2次路上ライブブーム"と呼ばれるものです。
ゆずの路上ライブの様子はコチラ↓
ゆずはメジャーデビューを契機に1998年、これまで恒例だった路上ライブの最終回を行いました。
当時日本列島に台風が上陸していた中、路上にも関わらずなんと7000人を超えるお客さんが来たといわれています。
後に伝説の路上ライブと呼ばれるように。
昭和から平成に変わった激動の時代を歩んできたゆず。
さて、平成から令和はどうでしょうか?
【平成→令和】
令和3年現在、いまや誰もがスマートフォンを持ち、ストリーミング全盛の時代。現実とネットが密接に絡み合う時代。世界中の音楽をポケットに入れて持ち歩ける時代。
その同時にスワイプひとつで音楽が飛ばされてしまう時代。
さらには新型コロナウィルスが人類を襲う未曽有の事態。人との接触は必要最低限に制限され、ひとりの時間が圧倒的に増えました。
そんな中、彗星のように現れたのがYOASOBIを筆頭としたネット初のアーティストです。
指先ひとつで音楽が飛ばされる時代にどうしたら多くの人々の心に届くような曲が作れるか。
YOASOBIの作品は音楽、映像、小説の中を行き来します。
初めて作品に触れる人が必ず音楽からでなくてもいい。Youtubeを見れば曲ごとにMVが公開され、歌詞にない感情や機微を見事に表現しています。
また、原作小説が書籍化され、行間に込められた余白をきれいに穴埋めしてくれリスナーに新たな曲解釈をやさしく誘導してくれます。
さらには今までベールに包まれていたYOASOBIのメディア露出。THE FIRST TAKEのikuraちゃんの登場は衝撃的でした。
さらにはCDセールスなしで紅白歌合戦出場の快挙!(しかもテレビ出演初!)
初のワンマンライブ~KEEPOUT THEATER~は配信ライブで行われ、4万人以上の人が視聴したといわれています。
ゆずはメジャーデビューで最後の路上ライブで7000人を集め、
YOASOBIは最初のライブ配信ライブで4万人を集めた。
時代もスケールも違いますが、どこか対照的でいて、似ているような、時代が巡り巡っている感じがしておもしろくないですか?
【令和→】
音楽が生まれては消費され、出てきて消える。
変化が多く、競争が激しい時代だからこそ、クリエイターにとっては刺激となり、音楽を産む原動力になっているのかもしれません。
これからの令和時代。かつての路上ブームのようにDTMブームが巻き起こるのではないのでしょうか。
実際にYOASOBI効果でDTM機材の売り上げが好調のようです。(ヤフーニュースになってました)↓
ネットの記事を見ても「YOASOBIサウンドの作り方」といった記事が多く挙がっています。
誰もがパソコンで音楽を創れる時代が到来している。
誰もがクリエイターになれる。
大丈夫、行こう、あとは楽しむだけだ。
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