「我慢しない」を追い求めると、間違いなく幸せになれる

「我慢しない」のは、いいこと?悪いこと?


私は常々、「我慢したくない!」「やりたいことをやるんだ!」という想いで生きています。
でも、こういうことを言うと「まぁ、そう思うのはわかるけど……」「そんなこと言ってたらねぇ……」といった感じで、あまり好意的には思われません。

きっと、「我慢しないと周りから良く思われない」「我慢しないと、欲しいものが手に入らない」などのように思っているのかもしれません。

ただ、一つ言えるのはみなさんの考えは間違いではない、ということです。ただ、正しくもないとも言えます。

今日は、そのあたりをお伝えできたらと思います。

「自分勝手な人」と「諦めてしまっている人」

さて。
まず、私が「我慢しないと周りから良く思われない」「我慢しないと、欲しいものが手に入らない」を間違いじゃないといったことについて説明したいのですが、例えば「欲しいものはなんでも買いたい!」という人がいたとします。

きっとこの人はお給料が出たら「あのバッグが欲しい!」「この自転車も」となるかもしれません。
そうやってお給料を全て使い切ったとしたら、もちろん生活に困ります。そして親や友人を頼って「お金貸して」などと言おうものなら、周りからは煙たがられるわけですね。「お金貸して」と言わなくとも、大人としてお金の管理ができないというのは悪い印象を持たれてしまうものです。

さらに、お給料じゃ足りないものが欲しいとき、もしかしたらこの人は買うことを我慢するかもしれません。「来月のお給料がでるまで我慢しないと〇〇が買えない!」といった形で我慢して、辛抱して、なんとか欲しいものを手に入れる。

どうですか? これがきっと皆さんが思う「我慢しない」だったり「欲しいもののために我慢する」ことだと思います。私は、前者の人を「自分勝手な人」、後者の人を「諦めてしまっている人」と呼んでいます。

こういう方はいますし、私自身も同じようなことをしてしまっていました。そしてこの考え方はもちろん間違いじゃないわけです。でも、これって本当に自分が生きたいように生きてるって言えますか?

本当の「我慢しない」とは?

私が言う「我慢しない」とは、「自分勝手」とは違います。
「我慢しない」とは「心の底から欲しい未来を手に入れる」ということです。

例えばさっきの「欲しいものはなんでも買いたい!」という人をAさんとしましょう。Aさんの「心の底から欲しい未来」ってなんだろう?と考えてみます。
おそらく、Aさんが欲しいものをとにかく買う、という生活を続けていったとしても幸せにはなれないんですね。もちろん、その場その場で欲しいものを買っていくことで得られる満足感や所有欲はあります。けど、想像してみてください。
仮に、欲しいもの全てを手に入れられたとしましょう。しかし、お金の無心をした結果家族が離れていき友人が離れていき一人きり。手元には自由になるお金もなく、家がもので溢れかえっている……。10年、20年後にこのような状況だったら、客観的にみても幸せそうではないわけです。

ただ、Aさんの行動が間違っているかというとそうじゃないんですね。Aさんは「何かを求めて」欲しいものを買っていたのだと思うんです。その求めているものが明らかになれば、このような事態になるまえに行動を変えて本当に求めるものに向かって行動できるはずです。

じゃあAさんは本当な何を求めていたんだろう?それを考えると、少しずつ何をしたほうがいいのか見えてきます。

例えば、Aさんが「幼少期、家が裕福ではなく、友達のゲームや可愛い文房具がうらやましくて仕方なかった。周りの話題に混ざれず孤独だった。話題になっているものが買えたら、話の中心になれるのではないか。それを目的に、欲しいものを買っていた」という想いがあるとしましょう。
だからすぐ買い物をしてしまう。これは、買い物がしたかったわけではなく、仲のよい友達が欲しかったり、人から注目されたかったり、信頼できる関係性が欲しい、といった目的につながっていきます。

「友達もできて、注目もされて、信頼できる人がいる」こんな状況が手に入ったときに、Aさんは買い物をやめることになります。なぜなら、買い物をする理由がなくなるからです。

「我慢しない」が「自分勝手」とは違うというのは、このことを言います。Aさんが本当に欲しいものを見つけて、そしてその欲しいもののために行動をしていくことが「我慢しない生き方」なわけです。きっと、この未来では、Aさんは周りの人ともうまくやっているはずだし、心が満たされているし、もちろん幸せな未来を想像していますから、身体的にも物質的にも満たされているはずです。この未来を全力でつかみにいこう!と思うのは、決して自分勝手とは言えないはずです。

でも、やっぱり我慢することも必要でしょ?

ここまでで「我慢しない」=「自分勝手」ではないことが分かったかと思います。でも、まだ「欲しいもののためには我慢すべし」という考え方は持っている人がいらっしゃるかと思いますが、じつは、さっきのAさんのように本当に求めていることが明らかになればなるほど、「我慢すべし」も違うということがわかってくるはずです。
ちょっと考えていきましょう。

さっきのAさんの例だと「欲しいもののために我慢して節約をする」ということをしていました。確かに短期的にみると「我慢しないと欲しいものは手に入らない」のは当たり前ですね。
でも、Aさんが求めていたのはどんな未来なのでしょうか?もう一度考えてみます。

Aさんは「友達もできて、注目もされて、信頼できる人がいる」という未来が欲しくて買い物をしていましたが、実は人ってこれだけじゃ生きていけない。
生きていくためにはお金が必要だし、お金を手に入れるためには仕事をしなければならない。その仕事にやりがいや楽しさを感じたいし、遊びや娯楽も必要です。生活環境も綺麗で快適なほうがいいですし、日々自分の学びを深めたり誰かに役に立つことができたら人生は豊かになっていきます。
このように、理想の未来って本当は今よりももっと素敵なはずなんです。

けど、さきほどのAさんは「欲しいものを買うために節約する」と思っていましたし、それは裏を返すと「節約しないと欲しいものが買えないくらいしかお金を持っていない」ということなんですね。
じゃあ、本当に欲しい未来って何か?
それは、「節約しなくても欲しいものが買えるくらいお金を稼ぐこと」じゃないですか?もちろん、節約するのも楽しめたり、節約するからこそ欲しいものが手に入ったときに嬉しいと思う人もいます。けど、そういう人はきっと「我慢する」ではなく「節約が楽しい」「節約した後に欲しいものが手に入る快感」のために節約しているんですね。
もしあなたが「節約が楽しい」だったら行動を変える必要はありません。その生き方があなたの生き方なので存分に楽しんでください!でも、「節約しなくて欲しいものが手に入る方が嬉しい」という人は、ぜひその未来を掴むために行動してほしいと思っています。

つまり、「欲しいもののために我慢する」じゃなく「我慢しなくてもいいような自分になるために行動する」=「我慢しない生き方」なわけです。
これから一生我慢し続けるのか、我慢しなくてもいい自分になるために行動していくのか。この選択だけで、未来は大きく変わっていきます。

「欲しいもの」も「節約しない」も、どちらも叶えて欲しいと思っていますし、どちらも叶う、と私は心から信じています。

最後に

「我慢しない生き方」は、「欲しいもの全てを諦めない生き方」ですし「自分も周りも幸せになる生き方」ですし「今の生き方を変えて手に入れる生き方」でもあると思います。

ぜひ、私たちが本当に欲しい未来のために、一緒に前に進んでいきましょう!
ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?