創作『冥界ホテル』10

「………はぁ。」

自室のテーブルに左頬をべったり突っ伏して、右手の人差し指でコロコロと長さ3センチほどの白い筒を転がす。

父の形見の円筒印章である。…といっても、おもちゃなのだが。

手前にコロコロ、奥にコロコロ。

「……………はぁ。」

「ちょっとアンタ!グータラこいて、ため息ばっかりつくんじゃないわよ、まったく!」

いつもなら、ここでそんな一喝が入るところだが…。

ナムタルは不在。


太古の昔、隕石による地球滅亡の危機を命を賭して救ってくれたお客様、ドラゴン族のエインガナを見送ったのは昨晩のこと。

エインガナの案内人として、その後数千万年も命を繋ぎ豊かな森の母として生きた大樹の最期を共に看取った。ふたつの魂は未来への約束を果たすために旅立った。

その壮絶な物語を目の当たりにして、なんだか放心状態のまま迎えた朝。

「さてっと。じゃ、あたしはしばらく出掛けるから。留守よろしくねん。」

そう言ったナムタルはいつもとはまるで別人の出立ち。

長いスカートに編み上げのブーツ、左肩から右の腰に向けて巻かれた布は美しいひだを波うたせて、腰元のベルトで留められている。露わになった右腕は普段のスーツ姿からは想像もできないほど筋骨隆々で、思わずゴクリ。

う…美しい。。。

口を開けて見惚れていると、ナムタルは口をへの字にして冷ややかな細目を向ける。

「ちょと、そんないやらしい目で見つめるんじゃないわよ!留守中の子守りはつけるから、お利口にして待ってなさいね。」

わん♪…って、犬じゃないわ!!

とツッコム間もなくナムタルは風のようにかき消えてしまった。

こういう時、今いるこの世界はわたしにとっての現実世界じゃないんだってことを痛感する。

砂漠で流砂にのまれ辿り着いたこの世界のことを、わたしはまだ何にも知らない。

冥界に堕ちた瞬間から借金を抱え、何が起こったのかを理解する間もなくその返済のために働いているのだ。

我ながら自分の順応力の高さに呆れるくらいだが、とにかく今はこの場所でできることをしながら、自分の世界に帰る方法を見つけなくちゃいけないのだ。

とはいえ。ナムタルのいない生活なんて初めてなわけで。

上げ膳据え膳は当たり前。部屋も服もいつも清潔に保たれていて、この上ない生活が続いていた。今ナムタルがいなくなったら、その生活水準はどうなるの?だいたい、しばらくっていつまでよ?飢え死にする前には帰ってくるんでしょうね?

ひとり青ざめてヨタヨタと椅子に座り込み、テーブルに突っ伏してしまった。


どれほど時が経っただろうか?

「おい!おおい!!聞こえないのか、お前っ!」

ん?

どこからか、微かに声が聞こえるような…聞こえないような。

「お前だ、そこのチビ!」

ふとテーブルについた自分の肘のあたりを見下ろすと、いつの間にかそこには手の平サイズの小猿のぬいぐるみが置いてある。

体は白く長い尾を持ち、真っ赤な頭髪は長く、まるで炎のように逆立っている。

「そうだ、お前だ、このチビ!」

鼻息も荒く悪態を吐きながらわたしを睨みつけていた小猿は、でーんとあぐらをかき腕を組んで膨れっ面をする。

「もしかして、わたしを呼んでるの?」

「お前以外、この部屋に誰がいるってんだ!頭も悪いのか、チビ!」

・・・・・ナニコレ?

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