ページの人(短篇小説)
Chapter01
頭から紙が生えるというと、言葉遊びのようでややこしいので、ページが生えると表現することにする。
羽千鳥(はちとり)もとりの頭皮は、生まれてずいぶん長い間なにも生えてこず、つるつるとしたままだった。
しかし5歳2か月のときに、白く小さな突起物ができ、それがみるみる成長して文庫本くらいの大きさのページになった。また、このページには文字らしいものが書かれており、どこの言語なのか読むことができなかった。
以来、次々に紙が発生し、世の一般の頭髪とはかけ離れたものではあるが、頭を覆(おお)うものが出現したのである。
Chapter02
一般的な髪の毛が自然に抜け落ちるのと同じように、羽千鳥もとりのページも朝目覚めたときなどに抜け落ちていたりする。
ページが生え始めた当初、両親はそれを保管していた。ところが年々置く場所に困るようになり、彼人(かれ)にも相談して処分することにした。以降、ページの束は燃えるゴミの日に出された。
Chapter03
前紙(まえがみ)は目にかかって邪魔なので、はさみで切るようにしている。
Chapter04
問題は頭を洗えないことだった。
たえかねて、14歳のときには生えてくるページをすべてむしり取り、スキンヘッドにしていた時期があった。しかし次々とページの芽が出てきて、ちくちくし、鏡に向かうと自分がみすぼらしい気がして、再びほうっておくことにした。
Chapter05
学校でページをひっぱられたり、ヘアースタイルをからかわれたりした日々もあった。そして内向的な性格になった。ひとりでいる時間が増え、宿命的に本を読むようになる。
Chapter06
幼い頃から、面会に来る人はあとを絶たなかった。医者やジャーナリスト、宗教家、多種多様な肩書きを持った学者などだった。
他にもいたかもしれないが、彼人も両親もあまり興味を示さなかった。この先、黒や赤や金や白といった、糸のような毛髪が生えることなど期待できそうになかったからである。
Chapter07
ある日曜日の午後、未だ読解できないページの文字を求めて、言語学者が訪れた。このときその人は、羽千鳥もとりの頭部を見て、メデゥーサに例えた。
両親は顔をしかめたが、本人にはおもしろく感じられた。伝説上の生きもののように自分は特別なのだと思いたかったのかもしれない。
しかし、へびの髪を持った女との最大の違いは、他人に影響をおよぼすかどうかであることに彼人は気づいていた。メデゥーサは相手を石化し人を襲うが、頭のページは危害をくわえる力など備えていなかったのである。
Chapter08
転機と言っていい出来事が起こる。
21歳になった頃、またページを譲(ゆず)って欲しいという研究者が現れた。これまでにもそうしてきたように、渡すのはまったく構わなかったのだが(なにしろゴミとして捨てていたのだから)、このとき、たまたまインヴェンションを聴くためのオーディオセットが欲しかったので、金銭を要求してみることにした。
そして、その人はとくに難色を示したりはせず、それを了承した。
羽千鳥もとりは、こんなにあっさりとお金をもらってしまっていいのかと、後ろめたいような奇妙な気持ちになった。しかし相手の望む物を渡しただけで、欺いてだまし取ったり奸計をめぐらせた訳ではないのだから、問題はないはずだと自分を納得させた。
Chapter09
羽千鳥もとりは、頭のページをインターネットで販売することを思いつき、実行した。
そしてそれは、一定以上の金額で少なからず売れた。
詐欺だとか楽をして稼いでいるだとか揶揄(やゆ)されたが、彼人はあまりそういった評判を気にしなかった。それよりも労働から解放されて自由な時間ができたのを喜んだ。自分が他人の権利や生活をおびやかすことだけを恐れた。
Chapter10
ページを販売し、ひとりで書物を読んで過ごす暮らしが続いた。それは彼人にとって幸福な日々だった。
Chapter11
羽千鳥もとりは動画配信の準備を進め、本の感想を伝えたり、おすすめを紹介することを始めた。強い関心を持って愛好している趣味だったのと、長年継続していたので、しゃべる内容はいくらでもあった。
それから、ブックアドバイザーやブックソムリエと言われる人たちのように、個人の求めに応じて本をピックアップすることにも挑戦した。
さらには、身辺雑事を報告するだけの動画も作った。また書籍以外の質問や相談にも答えた。
Chapter12
チャンネル「もとりの図書室」は、少しずつ登録者数を増やしていった。
彼人の本に関する知見や視座は必ずしも卓抜(たくばつ)としたものではなかったし、人を惹(ひ)きつける話術があったわけでもない。しかしひたすら読んでいる人物であると評判だったのと、くわえて頭にページがくっついているサムネイル画像にはちょっとしたインパクトがあったので、興味を持つ視聴者がいたのである。
Chapter13
人間の生活において、永続的に同じ日が繰り返されることはなく、羽千鳥もとりの頭のページにも変化が起き始める。
37歳のときに、虫が食ったみたいに文字が欠けるようになった。そういった箇所は、以後、年をとるごとに増加した。
70歳のときには、点々としか文字が存在しなくなった。
78歳のときには、もうなにも書かれなくなり、白紙になる。厚さも薄くなり、量も少なくなる。
Chapter14
その課程でページが売れなくなっていった。羽千鳥もとりは、配信の中でそれを半ば自嘲的に語った。彼人は老いを寂しく感じたが、似たような変化は一般的な頭髪をしたどの人にも起こるだろうと考えた。
ただ、若いときから図書費以外は極力きりつめ質素な暮らしをしていたので貯蓄はあったし、動画配信の広告収入も少なからず入ってきており、著しく困窮したり切羽詰まるといった事態にはならなかった。
Chapter15
68歳のときに、編集者から依頼があった。後日、その人はライターとふたりで羽千鳥もとりの部屋を訪れた。彼人はインタビューを受け、自分の半生を語った。
そして7か月後に、頻繁に本を買っていた大手の出版社から、エッセイの本が刊行された。
タイトルは『ページの人』だった。
Chapter16
70歳のときに、半年間ほど配信を休んでいた時期があった。久しぶりの動画で彼人が話したのは以下のような内容である。
「買いものの帰りに、酔漢に絡まれて頭の紙を無理矢理むしり取られました。とても驚き怖くて心を病んでしまいました。でも、なんとか今は大丈夫です。また本の感想やおすすめをお伝えします」
Chapter17
羽千鳥もとりは、79歳のときに老人ホームに居を移した。ずっとひとりで暮らしていた彼人には、急に増えた人間関係は疎ましく、共同生活には慣れなかった。はじめのうちはストレスも多く抱えていたし、ふさぎ込む日ばかりだった。しかし、じき受け入れて、つつがなく暮らすようにつとめた。
また入居してからも、自分の部屋で動画配信を続けた。
Chapter18
抜け落ちた頭のページは、まとめて処分してもらうようにヘルパーに頼んだ。
ところが、その人は無闇に物を捨てるのが嫌いな性格で、子どもの画用紙の代わりにしたらどうかと提案した。
後日、彼人は子どもたちがページに描いた絵や字を見せてもらい、嬉しがった。以降、頭のページは身寄りのない児童の施設に届けられた。
Chapter19
87歳で息を引き取る少し前まで、羽千鳥もとりの読書と動画配信は続いた。
Chapter20
死に際しての周辺事項について、ここでは語るまい。
ただ、『ページの人』のあとがきで、ライターが、「大量のページを生み出してきたのだから、羽千鳥もとりさんという人物は、ある種の本なのだろうと」書いていたことだけを記しておく。
<了>
付記
一か月ぶりくらいの新作です。こちらの他に少し長いものも書いていたのですが、作画の都合で先に脱稿しました。
書籍代にします。