雑記

※以下の内容は一個人の意見に他ならず、関係各所を誹謗する旨がは一切ないです。また、内容に気分を害した方は即座にブラウザバックしていただけると幸いです。そこまでして読む内容のものではありません。以上を承知できた方のみ、先を読み進めてください。













本記事は最後に更新した『嫌いになりたくないから書いている』の続きの記事になります。まだの方は先にそちらをお読みください。


英語と日本語の文章構成で一番違うのは、結論を最初に言うか最後に言うか。そして、今回私が書く内容は結論を後に回すと間違いなく凄く悪いイメージで誤解されるので、先に言ってしまいます。


私はこの二か月で、星街すいせいという存在が嫌いになり、同時に堪らなく愛おしく、そして好きになっていました。今回はその経緯と理由について、後の自分が見返せるように書いていきます。

七月下旬、件の記事を投稿してから改めて星街すいせいという存在と向き合っていました。

確かに好きだが、現状は好きではない。でも、嫌いかと言われれば違う。そんなふんわりとした状況下にいました。一度気持ちが離れてからは配信内容に関わらずソロ枠を見てるわけでもない。ただ、物書きとして星街すいせいを使い続けているから。その理由だけで彼女のことを考えていました。きっと物書きでなければ、とっくの前に彼女を見限っていたと思います。

以前、何処かの神様が「推しを自分の好みに変えるのではなく、自分がその推しを好きになるように変わるべき」みたいなことを言っていて、一理ありますが同時に「人生は有限なのだから、一つの存在に固執して自分が変わって許容しに行くくらいなら、現状の自分で新しい推しを探した方が建設的」と思ってしまうような私です。

その価値観から照らし合わせると、七月下旬の段階でもう星街を切っていました。無益だし、時間をかけてわざわざ辛い思いをするのが圧倒的に無駄。しかも、その段階でもう新たに推したい……厳密に言えば“推し戻りたい”相手も見つけていたので、固執する必要はありませんでした。物書きだったから、その理由だけで今の状態に行き着いたと思います。

しかし、考え続けて少し。記事を投稿してから早一週間くらいだったか、私の中で混乱に混乱を極め、「星街すいせいって”何”だ……?」と思うようになっていました。

ここで言う“何”は文字通り、“全て”。本当に何も分からなくなりました。ストリーマーなのか、アイドルなのか。可愛いのか、可愛くないのか。歌が上手いのか、上手くないのか。私はそれが好きなのか、嫌いなのか。全てに疑いが掛かっては、全てが分からない。そんな状態に陥りました。

改めて、考えてみれば当然。配信を殆ど見ないようになって、新規の情報を殆ど絶たれた状態で。入る情報はあくまで伝え聞いた程度。そんな状況で私の中の星街は数か月前で止まっているのだから、対象への情報は不鮮明にもなるし、分からなくなる。

これは私の物書きとしての特性上、致命的と言えるまでの弱体化でしかなくて。書く対象への理解度が低下すると何を表現していいか分からない。わざわざその子を使う必要性が分からなくなる。二次創作である以上は絶対に本物になれないと分かっていても、理解度の低下は著しく本物からかけ離れ、質の悪いものを生み出すことになってしまう。

そう思えば、以前pixivに投稿したマリすい(正式には宝星らしい)の『空に星が煌めくまで』は裏テーマに「一次創作的思考で“星街すいせい”という概念を生み出す」というのを設定していたのは、無意識の内に私の中の星街すいせいというイメージを確固たるものにしておきたかったからなのだと否が応でも分からされました。

だから、マリフレだったりリゼアンだったりノエフレ、あくシオを書いたりしてたんですけど、そうも言っていられない状況になりました。それが私が某お方の企画に参加表明してしまったこと。

まだ企画用のSSは投稿はしてない(今月の27日を予定してます)のですが、これが無かったら間違いなく今の状況には至れてなくて。何があったと言いますと……改めて対面したんですよ、自分の推しCPである赤星と。

ついでにリクエストもあって、10月11月の投稿分が両方赤星で嫌でも向き合う必要が出てきていました。最初は「書く予定があるから書くだけ。好きだけどこのCPは結論として弱いのに変わりはない」と思いながら惰性で書いてました。

いや、だって、本当に弱いんだもの。他に勝てない勝てない。Tier1のCPなんて以ての外、星街が絡んでる条件のCPの中でさえも“強み”と言えるのはただ一つで、それ以外はマジでクソザコもいいところ。私の推しCPという色眼鏡を除けば、どう考えても有象無象側のCPなんですよこれ。そんな唯一の強みを頑張って書いた新作は10月27日にあがるので是非(圧倒的ダイマ

そんな感じで「何してんだろ私……マジで訳わからん」と気付けば病んでる思考になっていた時にふと、こういった時の対処法は幼少期から身体が覚えていて、考えるよりも早くに私は原点に立ち返っていました。……と言っても、星街すいせいも赤井はあとも良い言い方をすれば、過去を立ち返らずに今を生きる人間なので、全部切り抜きでしたが。(何時ぞやの騒動でアーカイブが全部非公開にされてから何も帰ってきてない。


マジで感動したよね。俺の求めていたものは此処に在ったと、心の底から思わされました。


いや、別に何が面白いとかは全くないんだよ。配信として面白かったわけではないし。ただ、そこにあるだけで“良かった”。そう思えるだけの言語化出来ない良さがそこには在った。そして、同時に色々と吹っ切れたんですよ。

100の体力の殆どを執筆段階で一週間前に控えているライブの準備や配信外の仕事に回してるから配信が二週間空いた事実も、テトリス以外のゲームは配信映えするほど上手いわけでもなければ下手なわけでもないことも。話も上手くないし、実況も面白いとは思えないし、歌が上手いって評判がある以上は生半可な歌だと満足できないし。今まで積もり積もってた不満という不満がどうでもよくなった。

別に解消されたわけじゃないです。今仮に配信を見たとしても、上記の不満は絶対に出る。何なら画面の外で文句言いながら見てる自分の姿が容易に想像出来る。でも、それすらもどうでもよくて、寧ろ、それくらいに不満がある方が愛せてしまった

気付いてしまったんだよね。多分私ってそれくらいに自分勝手で、我儘で、糞みたいに不満が出るような存在の方が好きになれるんですよ。ただ、ここ数年で好きになったものの殆どがそれ本体よりも周りを取り巻くものの方に五億倍の不満をぶちまけてたから気付かなかっただけで。

だから、今の私は星街すいせいという存在が堪らなく嫌いで、そして気が狂うほどに好きで仕方ないんですよ。我ながら本気で歪んでる。

自覚してからも冷静に分析しました。これが非常に危ういバランスの上で成り立っている感情だということ。そして、何かが原因で傾いた瞬間に取り返しがつかないくらいに本当に終わること。

故に19日のライブ楽しみなんですよ。これだけ期待値をぶち上げてるんだから、そりゃ凄い景色を見せてくれるんだって。その見せてくれた景色を経て、私の中で芽吹いてしまった歪んだ狂愛がどうなるかが気になって仕方ない。枯れるのか、成長するのか。その結果は神のみぞ知る。









余談

赤星関係のアーカイブは殆ど復活してないんですけど、私の推しユニットであるkarASHi(赤井はあと×不知火フレア×星街すいせい)のアーカイブは公式チャンネルとフレアのチャンネルでやったやつは残ってて救われました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?