特異点、果たして“点”なのか

シンギュラリティ。



 昨今話題のAI絵。日々人間ではありえない速度で進化し続けるAIという存在。結論から言えば『シンギュラリティはすでに起きている』と私は思う。

 シンギュラリティの説明をするならばAIが出力した情報をAIが再学習し、更に高度な結果を残す事。

 そしてその土台は完成しきっていて後は『実行を誰がするか』という段階まで進んでいると思う。
 そしてその『実行』はすでに進んでいる。

 AIという物は貨幣や活版印刷、複利など、人類最大の発明と呼べるものの中でも異質で上級な発明品。そして様態を変化させながら進化し続ける彼らは既に特異点を踏んでいる。
 AIの成長、進化は文化や学問と同等に日進月歩変わり続けるもので、ある日を境に全てが変わる事はない。2045年の1月1日に人類が突然打ち負かされる。なんてことはない。


 彼らの成長もいわゆる進化であり、進化の過程において『点』は存在しない。


 AI絵のカウンターカードとして 透かし、ノイズ、Nightshade。様々なメタが生み出され『毒』と評される。
 その対AI毒を前にして行える事は『対AI毒の少ない今、全てを収集してシンギュラリティを起こす』という事。そしてそれは世界の何処かで企む誰かによって遂行されている。
 75億人のうちの超一握りなクリエイター達が、数十年かけて積み上げたデジタル絵の数々は特異点を超える程の学習指導要領だ。

 そしてその“アリエナイ”程の学習要素はAIがAIで学習できるまでであるだろう。誰に教わるでもなく学者が未知を発見するように、誰に教わるでもなくAIが未知を発見する。

 誰でもシンギュラリティは起こせる。後は収集。メタが世を蔓延る前に行動できるなら。

 ゲームにおけるメタ、それがクリエイトの世界に発現する。現環境最強の“人間が描いた絵”を“完全にメタったAI”が跋扈する世が来る。人の感性に針のように突き刺す何かが。
 AI絵は既に特異『点』を越えている。見えるだろう。全ての進化においての異質な点は存在しない。グラデーションの様に少しずつ変わりゆく色彩が。

 ある日を境に人間は打ち負ける。
 そんな幻想は存在しない。

 コロナが流行った時に分かっただろう?5月8日に分類が5類へ変わった。しかしマスクを外す人間が少しずつ減るだけで全国民がマスクを外す瞬間はなかった。
 AIにもそれが言える。ある日を境に『AIのタッチが変わり、全人類が魅力的に感じる絵を量産する』事はない。


 では人間が完全に打ち負けた後に出来る事は何か。

 ない。

 と言ってしまうのは野暮。

 先例をあげるなら写真の登場。人物画を描いていた人間は有り得ない程に強い向かい風を受けた。しかし、有名どころで言うならばピカソは写真を越えるために形を崩した。正気を疑うほどに崩した。子供の落書きを目指して崩した。そして成功を掴んだ。

 まぁ生物の進化ってのは正当な進化じゃなくて『抜け道を見つけた結果の進化』って感じです。私達クリエイターに残される道はアウトバーンみたいな、デカくて広くて、どこまでも青が広がるブルーオーシャンではなく、そこの脇道のこぢんまりした近道を探す事になります。
 ナビ頼りの私には……まぁ無理な道です。大きな四車線道路を走り続ける私はAIに適う日は来ません。


 これが予言になる事を片隅で祈りつつ、こんな予言は当たらないで欲しいと願う日々。

 シンギュラリティ、特異点、神々に長の地位明け渡す時。そんなイカれた世界を楽しもうじゃないですか。4000年間座り続けた玉座を降りる日を。嘘と真に踊らされる日を踊り明かそう。

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