見出し画像

『「役にたたない科学」が役に立つ』

役に立たない科学が役にたつ。
ただひたすらにコレを主張したいための本だった。

こういう主張って結構あちこちで目にします。
直近では、たとえばこれ。

発明から実用に至る実際の過程について、ダイアモンド先生は圧倒的に『必要は発明の母』の逆パターンが多いのだっておっしゃられてました。
発明が先。実用は後からついてくる。

ほぼすべての発見には、長く、不確かな歴史がある。こちらで誰かが少し発見し、あちらで別の誰かが少し発見する。つづいて第三の発見がなされる、という具合に進んでいくうちに、やがて一人の天才がばらばらだったピースを一つにまとめ上げ、決定的な発見をする。
(中略)
百年、二百年という単位で見れば、専門教育機関がそれぞれの分野に対して行う貢献は、明日の実務的な技術者や弁護士や医師を育てることではなく、むしろ、厳密に実務的な目的を追求するなかにあっても、膨大な量の一見役に立ちそうにない活動をつづけていくところにあるのだ。

本文より

すぐすぐバーンと結果が出て、実用化&大儲け!ってならんでもええやないか、と。
研究者さんたちには思う存分好きな研究してもらおうや。たとえそれがパッと見何の役にも立たなそーなイミわからん研究であっても、と。

著者の一人に名を連ねるエイブラハム・フレクスナー先生は、研究者さんたちのための支援活動に力を入れてこられたスゴイかたのようです。

同時代のどのアメリカ人よりも、彼はこの国と人類全体の繁栄に貢献した。

ニューヨークタイムズ第一面に掲載された
フレクスナー先生追悼記事の結び。
1959年(S34年)92歳没。

48/200 2024.2.26.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?