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親友の頼み

「頼むよ、殺されそうなんだよ」
深夜2時、ひどく参った様子のあいつからそんな声が降って来たのは一週間前の金曜だった。
あまりの悲痛さにこうしてノコノコとあいつに着いて来た俺が馬鹿だった。俺は何て人が良いんだ。いや、人というか、その……

「たーくん」
ぎゅっと腰にしがみつき、上目遣いであいつを見上げるこの女が、あいつの彼女であるリサだ。そしてあいつが「殺される」と怯えるその相手なのだ。

二人だけの甘い時間を期待して来たであろうリサは、けれど決して俺を邪魔者扱いするような素振りや発言はしなかった。
……但し、あいつが見ている限りは、だ。
今もあいつの胸に顔を埋めるフリをしながら、横目で俺を刺すように睨みつけている。甘い声であいつをうっとりと見上げるその合間に。

話はこうだ。
「リサはとんでもなく監視が激しく、自由がない。場所も場面も弁えず、常にまとわりついて来る。別れたい素振りでも見せようものなら、常軌を逸した取り乱し方をするものだから、もうふたりで会うのが怖くて仕方ない。そのうち自分は殺されてしまう」と。
ドラマや映画じゃよく聞く話だが、現実にそんな女が存在するとは、どうにも確信が持てなかった。それでも無二の親友の声色はどこまでも深刻だったし、
「いいなあ、随分と愛されてるじゃないか」
などと茶化すことが俺には出来なかった。
そんな訳で、半信半疑ながらあいつのデートにご厄介になっているという訳だ。
だけどなるほど確かに、リサが俺を睨みつけるその視線の鋭さと無機質さは、何とも言い知れない狂気に満ちている。あいつが恐怖を感じるのも無理はないのかも知れない。

しかしあいつは、本当にリサを恐れての行動なのか疑わしくなるくらい、さも嬉しそうに楽しそうに、そして愛おしそうにリサの腰に手を回して柔らかく微笑んでいる。
何だ、これは。もしかして俺は、お前らのその理性を失った恥ずかしくなるような醜態をただ見せつけられる為だけに、まんまと罠に嵌められ連れ出されたのか。

……いや、でも待てよ。
リサのあの目。あの目は明らかに俺を糾弾している。
「邪魔なんだよ、お前」
明らかにそう言っている。目は口ほどに物を言う、とはまさにこの事だ。少なくともリサは、俺が今日ここに来る事を知らなかったのだろう。

「ねえ、たーくん。この子、ここは怖いんじゃない?」
地上46階の展望台フロアで、リサは正当な理由をつけて、一時的にでも何とか俺を追い払おうとする。
「そんな事ないだろ」
そう言うあいつの表情からは真意が読み取れない。これがリサに対する演技なら、あいつはとんだ食わせ物だ。今すぐ役者になった方が良い。
いいさ、俺だってもう限界だ。お前たちと一緒に世間の目に晒される事の方が苦痛で苦行だ。むしろ早く解放してくれ。
……と言っても、俺はここで二人を置いて帰る事は出来ないのだけれど。
「ねえ、たーくん!」
あいつの袖口を掴み、いよいよ我慢の限界とばかりに少しばかり苛立ちをあらわにするリサの横で、それに気づかぬフリを貫くあいつは一層俺を側に寄せる。
リサの俺への視線は鋭さを増すばかりだ。

「ちょっとごめん、トイレ」
展望台に入ってすぐ、あいつが言った瞬間にリサはここぞとばかりに手を伸ばした。
「荷物、持ってるよ。ほら、その子も」
「ああ、じゃあ……」

嘘だろ。ここに来てまさか俺とリサを二人きりにするなんて。
高層階の風を肌で感じられるよう天井がなく、壁も人が越えられないギリギリの高さで作られている、この状況下では最大のリスクが最大の特徴という施設で、非情なのか馬鹿なのか、あいつは無防備な俺を躊躇なく置き去りにした。

殺されるかも知れないと恐れる相手と俺を二人きりにするなんて。自分以外の相手に危害を加える可能性を考えないあいつは、殺されると言いながらも、まだどこかでリサを信用しているのだろう。
俺が仕方なくぼんやりと空を見上げた時、途端、強い風が全身に吹き付けて、次の瞬間ぐわんと俺の視界に大きく空が近づいた。


……分かったよ。映画やドラマの世界だけじゃなく、現実にこんな狂った女がいるって。身をもって知ったよ。
俺は高く中空に打ち上げられ、視界の端にリサの勝ち誇った、だけど空虚な微笑みを捉えながら思った。
人間なんかよりずっと軽い俺は、風に煽られ、地上に打ち付けられるまでにはもう少し時間がかかるだろう。
知ってるか?俺にだって人間と同じくらい恐怖心てやつはあるんだよ。

「嫌い。全部嫌い。たーくんの側にいて良いのは私だけ。犬一匹許さない」

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