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ニワトリをさばいて食べる

 用がなくなったニワトリを、もらってくれとの頼みが後を絶たず、無論、それは毎日卵を産まなくなったということで、不要になったとの意味である。

 これが養鶏場ならば、廃鶏として処分するか、頼むと一羽数十円から百円という値段、売ってもらえるところもあるが、手間が掛かるし、廃鶏の肉など欲しい人もいないので、ただ命の使い捨てというわけ、ニワトリに生まれなくて良かったと思わされる。

 さて、人が卵を産ませた後、その廃鶏をもらってくるので、こちらに何の利益もないが、ぼろぼろのそれをそこらに放ち、ほんの少しではあるものの、自由な余生を送って欲しいもの、青草を啄み、毛虫を飲み込み、冬は越せないようなので、その前に食べてしまうこととする。

 細い首の、その頸動脈を探って切って、逆さにして血抜きをし、そうしてやるとニワトリも騒がず、ぼうっとしながら目を閉じるもので、これを首などちょんとすれば、苦しみ抜くので見ていられない。

 そうして血が抜けてしまえば、さっと茹で、これも茹でない方が味は良いが、すると羽を抜くのが苦労なわけで、茹でた後で羽をむしり、ここまでが時間の掛かるところ、いよいよ解体に取りかかる。

 お腹を開き、肛門をくり抜き、臭い腸と胆嚢を捨て、あとは肝臓、卵管、心臓、肺に気管、内臓を取り出し綺麗にすれば、腿に胸、ささみ、手羽元手羽先、せせりと切り分ける。

 一羽のニワトリを捌いてみれば、スーパーに並ぶ鶏肉の不自然なこと、手羽元ばかりがぎっしりと、もも肉ばかりがぎっしりと、あれは何羽分の肝臓か、何羽分の手羽先かと、あまりの落差にめまいもしよう。

 卵を何個産んだのだろう、廃鶏の肉は少なく、固く、挽いて肉団子にするのが食べやすく、骨の出汁でスープにすれば、次はニワトリなどに生まれるなと、そんなことを思いつつ、残らず食す。

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