人生の迷子っていう自己紹介について-その1-
どうもちかうです
ちょっともやーんとした気持ちをツイッターだと長々なるので、こっちで。
自分語りも入っちゃいますしね。
よくあたしは、人生の迷子だーって言ってます。
ツイッターの自己紹介欄でも、書いてますしね。
今回はその迷子の一つについて、ちょっとメモメモしていきます。
闇が満載なので、危なくなったらブラウザバック。
今で嫌な予感する方は回れ右!
してくださいね?
自己自認が迷子
みんなの見てるあたしは、あたしじゃない。
でも、偽らないと生きていちゃいけないんだ……
をつづけたので、あたしって誰なの?状態に。
この原因は小さい頃からの積み重ねですけど、一番の分岐点は中学。
全てとは言えませんけど、中学に入るとあるものが待ち受けてます。
そう、制服。
それまではなんとなーく、おかしいな……で生きていたんですけどそこで完全に
「あたし、おかしい!」
ってなりました。
自分が着てる、制服に違和感しかない。
なんで、あっち側じゃないの?なんで……?でも、あたしはこっち側だからこれはおかしい。何とか抑えなきゃ!
そう、性自認でした。
といっても、あたしの中学時代はまだまだ性自認の理解が少なかったころ。
誰にも相談できないのは、明らかで。
そこで、あたしがやったのが
『もう一人のあたしを作る』
うわぁ!厨二だ!
と思う方もいるとは思いますけど、当時のあたしにはそれしかなかったんです。
学校や家族の前でのあたしと、一人で居る時にあたし。
その二人を作って、何とかダメージを分散させようってしたんです。
悪くないとは思うんですけど、時期が最悪でした。
なにせ、思春期っていう自己形成の時期に二つのあたしを作って両立させるわけです。
どっちがとっちか分からなくなりますし、ギャップに悩まされることも増えていきます。
「みんなが認めてくれているあたしは、あたしじゃない。あたしは嘘つきだ。騙してごめんなさい」
今振り返ると、毎日そう考えながらよく生きていたなぁって思います。
趣味に逃げようとしても、当時の趣味が
メカ物とマンガとゲーム、ラノベ、平安から江戸中期を中心に歴史系書籍を読み漁る。
……可愛さの欠片もない趣味ですからね。
中学でおかしくなった歯車のまま高校。
自分の意思を完全無視して、親のお勧めの理系高校に進学。
それは借金の返済という事情と、親が求めてるあたしを必死に作ろうとした結果だったんですよね。
当然、超文系のあたしにはついていくので、精一杯。
中学の成績は、社会と国語で点数を稼いで理数英はお察しくださいで平均だとそこそこといというあたしです。
学校は楽しくないです。周りのノリにもついていけないし。
マンガ読んでたら気持ち悪いって言われるし、容姿もあれでしたから結構いじられますし。
(と言っても、完全孤立したわけじゃなくてPCが使えたので教室に設置してあったPCにエミュ入れたりしてたら、一部が構ってくれました)
この時期に、あたしが完全におかしくなります。
分裂症まで行かないですけど、作っていたあたしと本当のあたしがが完全分離みたいになりました。
別人格状態じゃないと、生きていけなかったと言えばそれまでですけど。
そんなあたしの逃げ場になったのが、MMORPGでした。
そこでならアバターを通して、素直にあたしになれる。
元からゲーム好きだったことも重なって、はまっていくのですがそこでもあたしは悩むことになるわけです。
「あたしをアバター側だって見てるんだよね? でも、あたしは本当は……」
逃げた先でも、あたしは結局悩んじゃいました。
本当を見せるつもりだったのに、本当を言えない。
もちろん、ゲームですから言う必要もない。
でも、分離を加速させていく結果になりました。
言葉使いは平気だったのですけど、完全に性の話題や趣味の話題になると地獄。
必死で好きを嫌い、嫌いを好きに変えて合わせて……。
それでも唯一の逃げ場だったので、あたしは大学院卒業までプレイしていました。
そして大学。
一人暮らしになって、これであたしはあたしになって好きなこと!ってなる方も多いですけどあたしにはできませんでした。
それまでのこじれで、あたしが分からなくなっていたんです。
必死で周りに受け入れられる自分を作り続けた結果、性自認だけじゃなくてあたしはもうあたしが分からなくなっていた。
この感情はあたしの物なのか、それとも周りに合わせてそう思うべきって思ってしまった感情なのか。
もう、わからなかった。
それでも何とか学生生活を送る中、色々していました。
例えばいっそ壊してほしいって思いながら、身体をお金を払ってまで、重ねました。
重ねてるときは、こんな声が聞こえて安心ししたからでした。
「ちかは、こっち側なんだよ。嘘つきだね。こっち側だって認めれば、楽になれるよね」
ただ、堕ちきれなかったのも今生きているのも、お相手に恵まれたからでした。
何人もの方が
「ちかちゃんは、もうこんなことしないほうがいいよ? こういう関係じゃなくて、普通に友達になりたい感じだし」
終った後、そう言ってくれたからでした。
もちろん、一期一会と決めていたので二度と会う人はいなかったですけど、本当に運が良かったです。
ただ、それは自傷行為でした。
自分を傷つけて痛みを感じることで、無理やりにでも作り上げた自己を否定したかった。
本当のあたしをもう一度見つけたい、探したいっていう心の叫びでした。
だけど、それを拾う余裕はその時のあたしにはありませんでした。
……そのまま過ごして、数年後。
大学院卒業後、地元に戻ったせいであたしはさらに偽りを重ねました。
だって、実家暮らしになって苦しみが跳ね上がってしまったから。
身を重ねる自傷もできない、作り上げた自分じゃない時間を求めるなる時間もない。
疲弊は進み、お薬の量が3倍になりました。
「もう、諦めよう。あたしは、このまま頑張っていけばいい。それが運命だ。苦しいっていう想いは、運命受け入れる強さがないあたしが悪いんだ」
5年間であたしをすっかり壊していただいた3社の会社を辞めて、就労支援施設に転がり込みボロボロになりながらも生きていたあたしが、諦め半分でつかんだのがコーチングだったわけです。
(その話は、また後日出来たらなと)
そこでいろいろ解きほぐされていってもあたしは、まだまだ迷子です。
ただ、一つだけ変わったことは。
好きな服で、出かける機会が激増した事。
その時間を過ごそうって思えたのは、すごい変化なんですよね。
まだまだ、まだまだ、あたしは迷子です。
なりたいあたしはあいまいで、素直になるのは怖いし、自信が無い。
でも、迷子からたぶんこっちの道に行けばいいんじゃないかな?そう思って歩き出した感じです。
凄い、進歩です。
最近、高校中学、大学生のあたしに最近報告は出来ました。
「ちょっとは、進めたよ。生きることを諦めないでくれて、ありがとう」
返事は返ってこなかったけど
「もうっ、遅すぎるよ!バカ! さっさと人生楽しんできなさい!」
笑顔で、こう思ってるかなって思います。
まだまだ迷子で道半ばですけど、ね。
本当のあたしなんて、どこにもいないです。だって、あたしは変わり続けるし、永遠に届かないものだから。
でも、その時なりたいあたしは、必ずいるわけです。それを求めてもいいって思えるようになりました。そのあたしになるために、今日も明日も生きていきたいです。
最後に宣伝?
コーチングしていただいたコーチの方をリンクを張っておきます。生きにくいなーって方は、ちょっとやってみてもいいかもしれません。
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