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卑弥呼をめぐる!(15)

今回の巡るは、本拠地から離れて筑前町の山中に向かいます。
筑前町と言えば、大己貴神社が古社として有名ですが、ここは五社神社(筑前町赤坂字隈本)です。ここは天照大神(卑弥呼)を祀りますが、大己貴と
大いに関係がある神社です。(タイトル画は、出雲稲佐の弁天島:豊玉彦)

 天照大神 住吉大明神 春日大明神 神功・応神 
 境内 須賀 、他に観音堂 薬師堂 大行事 高木神 猿田彦 庚尊天

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裏側から、古墳?みたいなところを登っていきます。

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表の正面鳥居

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ここで特徴的なのが高木神、猿田彦

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天照大神と記載があります。筑前町はちゃんと由来が書いてあります。

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本殿

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レリーフが立派でした!

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須賀神社(素戔嗚)

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さて、なんの変哲もない普通の神社です。
しかし、周囲を見渡すと「田神社」(天神社)が50~60社はあると言われ、卑弥呼(天照大神)を祀る神社がとても多いのです。この神社もその一つです。その理由がはじめつかめませんでしたが、その理由のヒントになりそうな神社があります。”みなみの里”を南下して、大己貴神社(遙拝所がある)の”裏山”にある「田神社」(天神社)です。

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埴安命と日隅宮(うずのみや)を祀るとあります。
田神社はふつう田の神さあ兄が大幡主(埴安彦)弟が大山祇、大国主の父です。田の神さあはこの”兄弟”2神の「擬神体」といわれます。

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天神社の扁額、元は天神社だったようです。

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本殿

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日隅宮(うずのみや)

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祭神は大国主

実は、この「日隅宮」が以前から問題になっていました。日隅宮とは

高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴命に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。(『日本書紀』)

 ※天穂日命:太宰府天満宮に祀る。菅原の祖神でもある。

「出雲国風土記」によれば、八束水臣津野命(大国主)の国引き事業の後に神魂命(かみむすひのみこと:神産巣日神)の命により、天御鳥命(あめのみとりのみこと)が造営したとあります。
※「神魂命」派遣子神「天御鳥命」降臨地上成為製作「楯(即木製之盾)」氏族「楯部」之祖。其「楯」作為所造天下大神之宮,即「天日栖宮(あめのひすみのみや)」的裝飾物(神具)。《出雲國風土記》

書記、風土記で”違い”はありますが、大国主の国譲りのときに造営した神社が『日隅宮』としているのは一致しています。五社神社に天照と高木神が祀られるのは「書記」系といえるでしょう。

もう一つの例は栃木県”宇都宮”(うつのみや)にあります。下記の2社はいずれも国幣中社で一の宮を争っているそうです!

宇都宮二荒山神社 別名宇都宮 古くは宇津宮といった。一の宮、うつ(征討)の宮 旧社格は国幣中社 豊城入彦(崇神天皇の子) 大物主(大国さま)事代主(恵比寿さま)
日光二荒山神社 旧社格は国幣中社
 二荒山大神 大己貴命(大国主)、田心姫命(豊玉姫、道主貴)、味耜高    彦根命(賀茂(迦毛)建角身命、豊玉彦=八咫烏)の総称

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日光二荒山神社にはちゃんと大国主が祀られている

最後の日隅宮は出雲にあります!出雲大社です!

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出雲大社の由来では、出雲大社(いづもおおやしろ)『日本書紀』では天日隅宮(あめのひすみのみや)と表記する(大社より)とあり天日隅宮と称していたことになります。
書記と風土記で違うと書きましたが、高木の神が”交渉”し「天穂日命(豊玉彦)に祀らせよう」と言い「神魂命」(大幡主)の子神「天御鳥命」(豊玉彦)に造営させたと言うことになるでしょう。タイトルの弁天島に豊玉彦が祀られている理由も納得ですね!大国主の領域(狗奴国)だったこの地方に天照大神と高木神が多いのも分かる気がします。
もしかすると、出雲大社の「元宮」は、田神社に言う「字日隅宮」(移動してきたらしい)にあったのかも知れません。大己貴神社が遙拝する裏山あたりだったのでしょうか?

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大己貴神社の遙拝所(北側を向いている)

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